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尖閣~防人の末裔たち

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表情とは裏腹に落ち着いた声でゆっくりと命令をマイクに吹き込んだ河田は、ビニールをタブレットに掛た。河田の表情から状況の深刻さを感じた古川は、これから起こる「シャッターチャンス」を諦め、カメラをビニール袋に入れてリュックに仕舞った。そしてリュックを背負い、バックをたすきに掛けて、前方の手すりに両手で掴まった。既に眼前には白い中国海警船が迫り、船橋に立つ人の表情も読み取れる。
-あいつら笑っていやがる-
古川は背筋が凍る思いがした。確かに小さな漁船など、海警の敵ではなかろう。しかし、事もあろうに公船が他国の、しかも民間の船舶と危険な状態に陥っているというこの瞬間に乗組員が笑っているというのはどういう事なのか?
-あいつらは、俺達を、いや、日本人を虫けらか何かのようにしか考えていない。-
-殺されるんじゃないか-
古川の心の中には、次々に恐怖と怒りが湧き上がってきた。しかし古川にはどうにもできない。歩道のない狭い道路でトラックと自転車が擦れ違う時のような逃れられない圧迫感とスピード感。。。既に海警の船首は横一列に並んだ河田艦隊の漁船と漁船の間に割って入っていた。
次の瞬間、体が大きく左に揺れ、そして数メートルも持ち上げられたかのような感覚を受けると直ぐに真下に落ちるような虚脱感と、右へ引っ張られるような感覚が襲ってくる。
古川は思わず目を閉じた。
「大丈夫ですからしっかり掴まって。」
河田の声が遠のいていく。一瞬どちらが前なのかさえ分からなくなる。それらがランダムに繰り返され、眩暈にも似た不快感が胃を締め上げ、意識も朦朧(もうろう)としてきた。何が何だか分からない。
「うぉ~っ」
自分に喝を入れるつもりで、言葉にならない声を上げ、目を開ける。視界には既に海警は見当たらず、海面が斜めに見える。
「!」
視界が閉ざされた瞬間、冷たい衝撃を頭から浴びた。飛沫(しぶき)にやられたらしい。
海水の飛沫の洗礼を受ると、それを最後に揺れは急激に収束していった。古川は、全ての船が無事なのを確認すると、ずっと聞こえていた船尾側上空のボトボトという力強く低い音に今気付いたかのように振り返ると、ヘリコプターがこちらへ向かって旋回を始めていた。白いボディーに濃淡2色の青いストライプ、そして細く後方に伸びた尾に小さな尾翼と小さなプロペラ状のテイルローターがいかにも「ヘリコプター」といった形のそのヘリコプターは、海上保安庁のベル212型だった。旋回を終えると後ろから真っ直ぐこちらに向かってくる。その姿に古川は何故か安堵の溜息をついた。
しかし、それも束の間、海面に視線を下した古川は、安堵の溜息も吐き終らぬままに息を飲み込んだ。
中国海警の船団が回頭を始めていた、こちらを追跡するつもりだろう。きっとあいつらはまた笑顔でこちらを見ているに違いない。古川は戦慄を覚えた。

「PL「はてるま」こちらMH「うみばと」、該船は漁船団の間を擦り抜けて後方へ突破。至近距離のため中国船の波で漁船団かなり動揺しました。今のところ遭難者はなし。当機はこれを危険行為と認めます。さらに該船は回頭して漁船団を追跡しようとしています。同様の事態になった場合は、警告の必要ありと認めます。許可されたい。」
マイクに吹き込む浜田の声は、いつになく早口になっていた。さっきから能面のような表情になって周囲を監視している浜田からは緊張しているのか怒っているのか昇護には分からなかった。きっと、俺を始め、クルーのみんなに不安を与えないように表情を押し殺しているのだろう。と昇護は自分に言い聞かせた。
「MH「うみばと」こちらPL「はてるま」。その必要はない。たった今該船は日本の接続水域に侵入した。全ての行為に対して警告を許可する。絶対に領海に入れるな!」
領海に入れるな!という語尾に力が籠っていた。接続水域に入った今は、領海への侵入を含め警告を開始できる。ただし、無害通航権は国際的に認められているので、強制はできない。しかしそれはあくまで「無害」である場合だけだ。つまり沿岸国の平和・秩序・安全を害さないかぎり、その国の領海を自由に通航できる権利なのであって、漁業などの経済活動を行ったりするのはもちろん、潜水艦が潜水したまま航行することも禁止されているのである。「無害」を貫き通されると、海を守る側にとっては、静観や退去を「お願い」するしかない「歯痒い(はがゆい)」立場となる。しかし無害通航権という制度が悪かと言えば決してそうではない。無害通航権があるために貨物船など外国の船舶が自由に日本の領海を通り日本の港に入港することで貿易が成り立っているのだから。。。これを尖閣諸島のような何の目的もない島の周辺の領海を徘徊(はいかい)することにあてはめられている現状が事態をより複雑にしている。
「了解!警告を開始する。」
浜田が答えた。
眼下には回頭を終えた中国海警船4隻が横一列になって河田船団に追いつこうとしているところだった。浜田は、後ろを振り向くと、機上整備員の土屋と機上通信員の磯原が浜田を見つめる。巡視船「ざおう」から連れて来た整備班の2名は巡視船「はてるま」で待機中だった。
浜田は、意味もなく親指を立ると、
「ヨシっ、土屋っ警告開始。」
と命令する。
「了解!」
と静かな兄貴分の土屋のいつになく気合の入った返事が聞こえてくる。
親指なんか立てちゃって、機長はカッコつけてるのかな?と昇護は思ったが、いや、多分、緊張せず、頑張っていこう、という意味なのかもしれない。と考え直した。少なくともカッコつけてる場合ではない。「昇護、高度をもっと下げろ。ギリギリまで降ろせ30フィート(約9m)でビビらせてやれっ!」
と、浜田が檄を飛ばす様に昇護に命じた。
昇護は、浜田の表情が能面から、いつもの感情の変化に柔軟に反応する表情に戻っていることに内心ホッとすると、
「了解。ディーセント(降下)30フィート。ビビらせてやりましょう!」
と答えた。明確な命令と浜田のいつもの態度に安心したのか、昇護の心に先ほどのような昂った感情がなくなっていく。そして自分でも分かるくらい、声が弾んでいた。大丈夫。俺はいつものようにやれる。昇護は自分に言い聞かせると、息を静かに、大きく吸った。

横一列に進む河田の5隻の漁船団。前方には魚釣島の岩だった山がそびえ立つのが見える。そして、その5隻の漁船の間には、中国海警の警備船が1隻ずつ割り込んでいる。中国海警の船は、漁船よりも2回り以上も大きく、隣の漁船が完全に見えなくなっている。
同一方向へ向かっているため、先ほどのように極端に漁船が揺さぶられることはない。
古川は、リュックの降ろすと、落とさないように肩ベルトを左腕に通して、リュックをぶら下げると、中からカメラを取り出した。床に置けば取りやすいのだが、先ほどの飛沫で床は海水に濡れている。
河田は、傍らで、写真を撮り始まった古川を横目で見ると、
海水の飛沫からタブレットを守るために被せていたビニールを慎重に取り外す。タブレット画面を指でなぞって動作を確認すると、ヘッドセットの棒状のマイクを口元に寄せて
「動揺開始っ!」
と命じ、そして、キーボードで短文を打った。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹