尖閣~防人の末裔たち
ただし、きわどい一面もある。それは信念の問題との兼ね合いだった。河田からの依頼で独占密着取材についているからには、活動の広報的な役割も古川は期待されているのだろうから、最大限に役立つ存在で居続けなければ、他の者にお鉢を奪われるかもしれない。記者としての公平さを信念にしてきた古川は、それでもギリギリの線までは妥協しよう。と思っている。とは言っても1回目の取材早々にそのギリギリの線を越えそうなり、記事で叩くことにはお茶を濁した。それは、巡視船「はてるま」船長が退去を拒む河田を説得した際に用いた言葉だった。「領土よりも日本人の生命を優先する」と無線で結論付けた巡視船「はてるま」船長の言葉を記事にはした。しかし、その言葉を批判するような記事は書いていないが、その言葉はマスコミを賑わせ、社会を揺さぶった。なぜならそれは今まで日本人が天秤に掛けてこなかった。いや、掛けることを避けてきた言葉だったのだから。。。当然当事者だった船団の代表者である河田は、メディアから引っ張りだこになりその名が急速に広まった。名の広まりと共に全国各地から講演会の依頼が舞い込んだ。そういった公の場で河田は、その巡視船船長の言葉を「現場まで浸透した弱腰主義」と罵り、さらに内閣官房長官が定例記者会見の中で記者の質問に答える形で公式に巡視船船長を擁護したことで、河田は対決姿勢をとるような過激な発言をするようになった。これを受けてか国会でも党・派閥を超えて意見が二分され紛糾。遂には保守派の有志議員が河田を支援する議員団の設立を準備していることがここ最近の話題となっている。このような状況の中で自然と河田のスポークスマン的な立場となった古川もワイドショーに度々声が掛かるようになった。一度目の尖閣行きの後のこの世論の騒ぎに手ごたえを実感した河田は、自分と同じように巡視船船長の発言を取り上げて海上保安庁を非難するようことを遠まわしに伝えてきたが、古川は動じず、河田の機嫌を損ねぬようにのらりくらりとかわしてきた。それを受け入れ、共に海上保安庁を批判することは古川の記者としての信念を崩してしまう。そう考えたのだった。長年防衛を担当してきた記者としての経験から、巡視船船長のその答えが決して間違えているわけではなく、そして、現場の声を代弁する切実な問題であることも承知していたからだった。
-今度は、どんな種を蒔き、何を刈り取るつもりなんだろう。-
リンスインシャンプーで洗った髪を熱いシャワーでゆっくり流す。心地よさの中で古川は考えた。
行くからには必ず何かを起こすはず。海上幕僚長にまでなった河田という男は先の先まで読んでいるに違いない。そしてその頭の中ではきっと何か大きな目的を持っているに違いない。俺ごときでは予測もつかない何か。古川は期待と不安をあらためて感じた。
翌日の夕方、古川は日本トランスオーシャン航空73便の機内で目を覚ました。今日は、お盆も中日と呼ばれる14日であったが、仕事の関係で帰省が遅れたのか、石垣へ向かう機内は満席であった。機内の通路を挟んで左右に座席が3列ずつ並ぶ横6列のシートの殆どは家族連れで占められ、賑やかな子供達の声で溢れていた。旅行慣れした古川ではあったが、子供の頃飛行機が好きだった古川は、窓際を好んだ。今回も窓際の席で外の景色を楽しんでいたが、空港で飲んだビールと昨日の疲れ、そして何よりも汚れた大気を通して浴びる地上での日差しとは比べ物にならない高空のシャープな陽の光が心地よく居眠りをしてしまったらしい。腕時計を確認すると16時30分を少し回ったところだった。到着予定の17時50分までは少し間があった。今日は天気が良く、眼下には横に規則正しく並んだ2隻の船の航跡が見えた。護衛艦だろうか、だとすると、佐世保所属の護衛艦だな。だとすると「はつゆき」型だな、前回行ったときは「いそゆき」が裏方で頑張っていたという噂だったから、きっと尖閣方面に向かっているんだろう。終戦記念日を前に増強するのだろうか?我々が尖閣へ行くという情報が漏れているわけではないはずだ。河田は今回の尖閣行きについても、前回同様口外しないようにという文言を添えて、この便のチケットを古川に送ってきたのだから。それとも現地に貼り付けている艦と交替なのかもしれない。ま、いずれにしても海自は、「最前線」には出てこないのだから我々には関係ないか。視界にすら入らないだろう。
古川は、視線を機内に戻す。機内の明るさに目が順応したのを見計らって足元に置いていたバッグからノートPCのような形をした「モバイルギア」を取り出して、テーブルに乗せた。スイッチを入れると「モバイルギア」のモノクロの画面が瞬時に息を吹き返して書き掛けの文章を表示した。最新のノートPCでも真似の出来ない芸当だ。これに対抗出来るのは電子メモ帳として一世を風靡した「ポメラ」ぐらいだな。古川は、長年使ってきた「モバイルギア」の調子に満足すると、黙々と文書を打ち始めた。
夕方の石垣島の新川漁港は、お盆ということもあり漁業関係者を殆ど見かけない。その反面釣り人がいつもより多かった。その殆どが親子連れであることからお盆で帰省した親子であろうことは一目瞭然だった。その埠頭の一画は「にわか釣り人」達が釣り糸を垂れようとすると
「船が出る準備をしているので、ここで釣りをしないで下さいね。」
とにこやかに「立ち入り禁止」を体現する中年の男に守られていた。その背後には100tクラスのマグロ延縄漁船5隻が所狭しと一列に係留されており、何名もの乗組員がトラックから黙々と荷物を船に運び込んでいた。
「あれが例のブツだな。」
河田は、夕方になり、高度が低くなっても厳しい日差しに目を細めながら2人の屈強な男達が横長の木箱を積み込む様子を見届けると、傍らの田原に尋ねた。
「そうです。「やまと」を除く全艦に載せてます。あれで積み込みは完了です。」
田原は、安心したように答えた。河田が率いるメンバーは、全て元自衛官で、その殆どが海上自衛官だった。彼らは自分たちの漁船を「船」ではなく「艦」と呼び、全ての漁船には旧日本海軍の軍艦の名前を与えていた。
「御苦労だった。古川さんには、予定通り私と「やまと」に乗って貰う。他の艦には絶対に近付けないように。記者というのは、両刃の剣のようなものだからな。ネタ次第でどちら側にでも付く。油断は禁物だぞ。」
河田は田原の方に顔を向けると細めていた目を開き、鋭い視線で一瞥した。
「了解しました。」
田原は深く頷いて見せた。
「ところで、その古川さんは、予定通りまだ石垣には着いてないよな。」
河田が、田原の目を覗き込むように見つめる。失敗は許さないぞ。と、厳しく念を押す目に田原は緊張を感じた。
「はい。こちらからチケットを送った便にこれから乗るところだと電話がありました。念のためそうなるように仕向けています。」
田原が答えた。田原は元自衛隊員が多く、主に自衛隊向けの雑誌を手掛けている出版社で編集者をしている元部下をけしかけて、田原が指定した便の前日に古川と打合せの予定を組ませた。打合せの後に飲み会を設定することを提案したのはその元部下だった。もちろん経費は田原持ちだ。
河田は、満足そうに頷くと
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹