尖閣~防人の末裔たち
健夫は昇護の顔を覗き込んだ。店の中では、酔って赤い顔をしていた昇護が、街灯の下でも分かるくらい白っぽくなっていた。(こりゃ、いかんな)と健夫は思った。吐くか二日酔いは確定だな。
「ちょっと頭が痛くなってきた。でも大丈夫だよ。」
と昇護は言いながらヨタヨタと歩き始めた。
そんな姿を見て健夫は、
「そんなんじゃ、ラッタル(桟橋から船に掛けられた簡易な階段)は昇れんな。電話して誰か舷側(船の側面、ふなべり)に迎えに来てもらっておけ。」
自分の声が艦長の声になっていることに健夫は気付いた。泥酔している昇護の機嫌を損ねるかもしれないと思ったが、それでいい。と思った。いくら酔っているからと言え、これくらいのことで荒れるのであれば今度は喝を入れてやる。美由紀さんとの件だって、本当はしっかりしろと一喝してやりたいくらいなんだが繊細な問題だ。しかし、躾は別だ。自分がどんな状態であれ、人とどう接するかは、厳しくしてきたつもりだ。特に海の男は集団生活・チームワークが基本だ。それは、海保だって一緒の筈だ。自分の中で、そう結論づけた健夫が昇護を見ると、健夫は相変わらず白い顔をしていたが、苦虫を噛み潰したような渋い顔に笑顔を浮かべ
「それもそうだね。ヘリのクルーに電話してみるよ。父さんは酒強いね。」
と昇護は言うと、携帯電話を取り出して、歩き出した。その表情をみて、健夫は、少し安心した。辛そうではあるが。。。口数が多くなったのは、多少はさっきの発言気にしているということなのだろうか。ま、父子で細かい詮索をするのはよそう。後で気にするぐらい深い話を出来たということは、飲みに連れ出して正解ではあったわけだな。また時々飲みに行くことにしよう。先をよたよたと歩く昇護は携帯電話を耳にあて立ち止まっていた。しきりにおじぎを繰り返している姿が啄木鳥のように見える。うまくやっているようだ。何だかんだ言っても迎えに来てくれる仲間がいる。人付き合いやチームワークについての躾は間違っていなかったようだ。健夫の顔に苦労と栄誉の年輪のよう刻まれた皺が調律を保ちながら乱れると顔に明るい笑みが浮かぶ、それは満足そうな笑みだった。それは目の前の昇護の電話でのやりとりが、航海ばかりで子供と接する時間が少なかった健夫が最も重視していた躾は間違いでなかった。という証明になったと思えたからだった。
片側2車線の県道11号線沿いに南に歩くと、間もなく右手に鉄筋コンクリート造りの庁舎や合同宿舎が見え、その谷間からは、護衛艦や巡視船のマストが月明かりの元、黒い影となって目に入ってくる。健夫と昇護は、その方向に伸びる道に入った。庁舎の影から出ると道路の正面には、停泊する護衛艦がシルエットを見え、ここが港であり、この道路はあと200m程度で海に突き当たる。この先、道路は何の意味も持たないことを当然のように、そして静かに主張していた。そして左手直前には巡視船「ざおう」が停泊していた。ここまで歩く間、2人とも終始無言だった。やはり「税金泥棒発言」が尾を曳いていたのかもしれない。護衛艦が視界に現れた際には、努めてその方向を見ないようにしているようにさえ思えた。
10mほど先に見える巡視船「ざおう」の係留されている埠頭には、常夜灯に照らされた3人の人影が見えた。それを確認すると、昇護は、搭乗しているヘリコプター「うみかぜ」のクルーでの機長、機上整備員、機上通信員だと、父健夫に言うと、健夫の方に体ごと顔を向け
「父さん、今日はありがとう。気をつけて。」
と深々と一礼した。
健夫は、
「こちらこそありがとう。また飲もうな。お前も気をつけて。」
と丁寧に一礼した。
それを見届けると、昇護は、酔ってふらついていたのが嘘のように、小走りで彼らの元へ向かった。
健夫はその背中越しに3人に深く頭を下げた。それに応えて3人の影が健夫よりも深く頭を下げているのが見えた。
これまで昇護を見守り、育ててくれたであろうクルー。そして、美由紀さんの問題もおそらく相談に乗ってくれているであろう兄弟のような存在。そして、、、これから尖閣の海へ行く、、、自衛隊よりも前面に立つ、即ち、どんな日本人よりも最前線に立ち生死を共にするであろうクルー。。。
健夫は、3人の影に「よろしく頼みます」と小さく、しかし強く呟きながら、もう一度彼らより深く頭を下げた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹