尖閣~防人の末裔たち
「ん~、何て言うか、航海に出るとフォローが出来ないからな、当然連絡もとれないし。だから、別れ際の「想い」が会えない間に膨らむんだ。お前もあるだろそういうの。
いい想いで別れれば、会えない間じゅう、相手の良い所や良い思い出のことばかり考えている。普通の恋愛の100倍以上にイイ方向に想いが膨らむ。揉め事して別れれば、会えない間じゅう相手の悪い所ばかりを掘り下げて考えていき、あっという間に取り返しがつかない状況になっちまう。だから究極なんだ。」
父は両手でジェスチャーを交えながら得意気に持論を説明していた。先程の涙でばつが悪くなったのか、昇護は父の話を聞いている間に更に2杯の焼酎を飲んでいた。自分で薄めに水割りを作ったつもりだったが、昇護は軽い頭痛を感じ始めていた。飲み過ぎたかと思ったが、既に手遅れだった。(悪い方向か。。。じゃあ、俺はどうなんだろう?美由紀は悩んでいるのだろうか。。。それとも「終わり」を想い描いているのだろうか。。。)ぼんやりと想いを巡らす昇護の心の中に焦りと苛立ちが交錯し始めた。(どうすりゃいいんだ!)心が悲鳴を挙げていた。
「じゃあ、俺の場合は、完璧に悪い方向ってことだ!」
昇護は、音を立ててグラスをカウンターに置いた。
「いや、そういうわけじゃないだろう。お互い冷静に考えるには、いい間合いじゃないか?」
父は慰めるように昇護の肩を軽く叩いた。
その父の手を昇護は片手で素早く振り払うと
「間合い?間合いどころか隔離じゃないか!だいたいなんで俺が、、、俺達が尖閣に張り付かなきゃならないんだっ!俺達じゃ、中国の監視船すら追い払えない。俺たちは海洋犯罪以外は専門外なんだ。あんな奴等に舐められに行くだけなんだ。領土問題だろっ!あんたら海自(海上自衛隊)は何やってんだよ。」
昇護は声を荒げていた。カウンターの内側で他の客と談笑していた店主が一瞬心配そうな顔を向けた。目があってしまった昇護は、思わず目をそらしてしまった。が、もうどうにも止まらなかった。振り上げた拳を降ろすところを失ってしまったように昇護の苛立ちは止まらなかった。
「そんなこと言ったってしょうがないだろう。お前だって分かっているはずだ、俺達が出ていけば中国海軍が黙っちゃいない。奴等は自慢の空母まで持ち出してくるだろう。ま、あれは使い物にならんだろうが、、、そうなるとどっちつかずの対応をしてきた米軍は決断せざるを得なくなる。もし、米軍が中国に気を遣って出てこなかったら中国の勢いは止まらなくなるぞ。だから海保が」
静かにゆっくりした口調で諭すように話していた父の言葉を制して昇護が怒鳴った。
「じゃ、何のために!何のためにあんたら海自がいるんだよっ!立派な護衛艦を沢山持ってるくせに!何がイージス艦だ、張り子の虎じゃないか。金ばかり使ってよっ、税金泥棒じゃんかっ!」
父の目が潤んでいるように見えた。俺は、親父に何を言ってるんだ?税金泥棒なんて、とんでもないことを言ってしまった。酔って頭が痛い。もうフォローする言葉も浮かばない。。。昇護は血の気が引いていくのを感じた。
「お前だけは分かってくれていると思ってた。俺がどんな想いで現場にいるのかを。。。海保の巡視船を前面に立てておいて、どんな想いで後方に張り付いているのかを。。。」
父は、語気を強めて言った。
「。。。」
昇護は返す言葉が無かった。こんなこと言うつもりじゃなかったのに、今日はどうにかしている。完全な八つ当たりをしてしまった。でも何も思い浮かばない。
「少々飲み過ぎたようだ。もう出よう。」
父は静かに言い立ち上がった。
父が奢ってくれるとは言っていたものの、自分の発言に後ろめたさを感じた昇護は財布を取り出したが、父の手に制された。店の外で待つように言われた昇護は、
「ごちそうさまでした。」
と言うと店の外に出た。塩気をたっぷり含んだ生暖かい空気が昇護の体にまとわり着くような不快感を与えた。父に会わす顔がない。早く船に帰りたい。昇護は思った。
店内からは支払いをしている父と店主の笑い声が聞こえてきた。馴染みの店での父子の騒動を、父は気恥ずかしく思っているに違いない。
昇護の父、健夫は、店主に支払いを済ませると、詫びを言って店の外に出た。息子の昇護がぼんやり立っていた。ちょっと飲ませ過ぎたかな。と健夫は思いつつも、久々にシケた顔を見せる息子・昇護に未熟さを感じ、何となく安心感を感じている自分に苦笑した。(それにしても、息子に税金泥棒とまで言われるとはな、、、)他の誰でもない、息子の昇護に言われたのがキツかった。お前は、、、子供の頃から父である俺が航海で家を空けてばかりだった母子家庭のような環境で育ったんだろう?他の子達にはない苦労や寂しさも味わってきたはずだ。俺も辛かった。でも、国のためと思って頑張ってきたんだ。そしてその想いは家族も分かってくれていると思っていた。そう、昇護が生まれたとき、俺は海の上だった。親父の死に目にも会えなかった。少なくとも、家族みんなで助け合ってきたんじゃなかったのか?お前はそれを「税金泥棒」という一言で片付けてしまうのか?ま、今の泥酔した昇護には何を言っても伝わらないだろうから止めておこう。一昔前の親父族だったら「誰のお陰で飯喰わしてもらってきたんだ!」とか「何に飯喰わしてもらってきたんだ!」と怒鳴る場面だったのだろうが、俺一人でやって来た訳じゃない。家族が頑張って支えてくれてこそ、という感謝の気持ちが原動力になているからだ、それを、昇護の奴。。。しかも事の発端は美由紀さん絡みの話じゃないか。女の事なんかでメソメソしやがって、挙げ句のはてにカリカリして海自批判ときた。思わずしっかりしろ!と怒鳴り付けてやりたいところだが、、、いつのまにか堅く拳を握りしめていた自分に気付き苦笑いする。俺もイライラしてるな。手をゆっくり開くと、汗ばんだ手のひらに風があたる、心地よさが、気分を落ち着けてくれる。全く、若とはこういうものなのかもしれないな。健夫は、自分に言い聞かせるようにつぶやくと、後ろを振り返る。5mほど後ろをとぼとぼと歩く昇護が目に入った。飲ませ過ぎたな。健夫は再びつぶやいた。あの状態では何を言っても響かないだろうな。せめて「飲み過ぎて要らぬことを言ってしまった。」という程度だといいんだが、と思う健夫の脳裏に幼い頃の昇護を肩車して護衛艦を見せている若い自分の姿が浮かび、それに続いて、出港前に玄関で泣く幼い昇護を一生懸命なだめている自分の姿が浮かんだ。そして、帰宅したときに、満面の笑顔ではしゃぎながら自分に抱きついてくる幼い昇護の姿が浮かんだ。最後に、自分が艦長を務める護衛艦「いそゆき」艦長室の机の写真立ての中の昇護の写真が浮かぶ。その写真には、念願の海上保安庁パイロットになった昇護が、大好きなベル212の前で笑顔で写真に収まっていた。これで良かったんだよな。と健夫は自分に問いかけてみた。昇護には答えが見えているのだろうか。。。そんなことをぼんやり考えているうちに昇護が追い付いた。そこで初めて健夫は自分が立ち止まっていたことに気付いた。
「どうした。飲みすぎたか?」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹