尖閣~防人の末裔たち
石岡のお祭りは、9月の中旬に3日間かけて行われる石岡のお祭りは、関東三大祭りと呼ばれている。天下泰平,国家安穏,萬民豊楽,五穀豊穣等を願う祭りで、神輿をはじめとして,山車や幌獅子など四十数台がひしめく壮大な祭りで、約四十万人もの見物客が訪れる。
祖父母が石岡で健在だった頃、昇護はよく祖父母宅に泊まりに行っていたが、このお祭りの期間がいちばんの楽しみだった。それは祭りだけでなく、好物の赤飯や御馳走を腹いっぱい食べられ、普段疎遠がちな親戚も集まってきて、賑やかになるからだった。
石岡を出発した列車は、あと15分ほどで土浦に到着する。明日のことを考える。明日は、朝から美由紀とドライブに行く予定だった。ふと浜田たちの顔が脳裏をよぎる。プロポーズ。。。実は3、4ヶ月前に「うみばと」のクルーで飲みに行った時に酔いの手伝いもあり、思い切って相談してしまったのが運のツキであった。
狭い船内、そして兄弟のような関係のフライトクルーの状況もあって、以前から恋人である美由紀の存在は、みんなの知るところとなっていた。そんな彼らが、特に美由紀が小学校教諭で仕事に執着があるであろうことに親身に相談に乗ってくれ安心したのも束の間。その後が問題だった。ことあるごとに「結婚しろ」、「プロポーズはこうやれ!」的に、言われるようになってしまった。今回、不当な賭けで負けてしまったということもあるが、あの相談以来、そろそろ結婚を、と考えていた昇護は、満更でもなかった。それにクルーが無理矢理背中を押してくれたことで、きっかけが掴めた。と、素直に思えるようになったのは、昨夜の浜田の行動だった。
昨夜、昇護が荷造りをしている時に、機長の浜田が「昇護、ちょっと」と手招きして昇護を廊下呼び出した。「ついて来い。」と言われ、昇護はうつむきながら薄暗い通路を無言で歩く浜田の後に続く。辿り着いた先はヘリコプター格納庫だった。照明が点けられると、そこには昇護達の愛機のベル212ヘリコプター「うみばと」が、照明の明かりを曲面で優しく反射させた顔を向けていた。浜田はその「うみばと」の鼻先を右手で撫でると昇護の方に振り向いた。
「明日。頑張れよ」
浜田が口を開くと
「えっ?何をですか」
昇護が思わず素っ頓狂な声を挙げた。自分でも分かるくらい声が裏返りかけていた。
「何だ、とぼけるなよ。プロポーズだよ。プロポーズ。なんだかんだいってその気はあるんだろ?素直に言えよ。」
そう問い詰める浜田の笑顔は、いつものからかうような笑顔ではなかった。優しい感じの笑顔だった。
その笑顔の-素直に言えよ-という言葉に、急に昇護の心につかえていた物が外れて大きく流れ出した感じがした。
「あ、はい。近々とは思ってはいましたが、なかなかチャンスが無くて。。。でも明日から休みを頂けたので、お陰様で。。。言うつもりです。」
昇護は素直に、噛み締めるように答えた。
「そうか、ならいい。頑張れよ。ただ一言、嫁さんを持つ先輩として言っておきたい事がある。」
いつもは茶目っ気いっぱいの浜田が、珍しくかしこまって言った。
「はい。お願いします。」
昇護は、素直な気持ちになっていた。
軽く頷いてから、浜田は次を続けた。
「俺たちは、巡視船の搭載ヘリコプターの搭乗員だ。それがカミさん達にとってどういう存在か分かるか?
まず1つめは、大前提として海上保安官という存在だ。海の警察であって消防・救急でもある海上保安官という存在。いつも人為的な危険や災害に対する危険に接しているという心配。
そして2つめは、巡視船に乗り組んでいるという船乗りとしての心配と、長期間家を空けることになるという不安と苦労だ。
そして3つめは、パイロットだということだ。言うまでもなく空は俺たちがいくら安全だと言っても、安全のために気を付けて、努力をしていても一般人から見たらいつ死んでもおかしくない危険な仕事だということに変わりはない。もちろんカミさん達もどれだけ説明してもその不安とは隣り合わせだ。
俺たちみたいに海と空が仕事場の場合は、海の心配も空の心配も両方の心配をしなきゃならないということだ。おまけに俺たちは海上保安官だしな。
だから巡視船のヘリパイロットの妻っていうのは、普通の奥様方の何人分もの心配と不安と苦労を味わうことになる。その。。。なんというか。。。分かり易くいうと、お前の彼女がお前と結婚するということは、そういうことと共に生きるってことになるんだ。」
分かるか?浜田は、まっすぐに昇護を見つめる。昇護は頷いた。それを確認すると浜田は続けた。
「だからお前は彼女に、そういう苦労があるこをきちんと説明して、それをひっくるめてお前と幸せな生活を送れるかどうかと、いざというときの覚悟があるのかを確認したうえで結婚した方がいい。知らなくて後悔するのと知っていて後悔するのじゃあ大違いだからな。そしてお前はお前で、そういうことにカミさんが耐えてくれているんだということを理解してカミさんを大事にしてあげなきゃダメだぞ。それさえお互い納得してれば、大抵のことはうまくいく筈だ。俺が言っておきたかったのはそれだけだ。あとこれは、俺がプロポーズした時持っていたお守りだ。持ってけ。」
と言って浜田は小さな紙の包みを昇護の手に握らせ、その手を両手で包んで、
「頑張れよ、」
と言った。
「あ、ありがとうございます。」
昇護は言いながら、目から涙が出そうになっているのに気付き、必死で堪えていた。
その言葉に合わせたかのように、格納庫に拍手が沸き起こった。あまりに突然のことであっけに取られている昇護の前に「うみばと」の開け放たれていた左側のスライドドアから機上整備員の土屋と機上通信員の磯原が拍手しながら満面の笑みを浮かべて出てきた。
「機長の言う通りだぞ、昇護頑張れよ。」
「結果なんて、神のみぞ知る。だ、後悔しないように頑張りゃいいんだ!」
口々に励ましの言葉をくれた。
「なんだ、みんな居たんスか」
といい笑った。昇護の目からは涙が溢れてきており、もはや隠すことはできない。
「ほら、メソメソすんな。ところで何を貰ったんだ?」
磯原が昇護の背中を叩いた。
「おいおい、あげた訳じゃないぞ、用が済んだら返せよ。お、おい今開けるんじゃあない。」
と浜田が言ったときには時すでに遅しだった。
「えっ、安産祈願?なんで安産なんですか?出来ちゃった結婚ですか?」
昇護の手の中のお守りを見て土屋が声をあげた。
「んな訳ねーだろ!何買っていいか分かんなかったんだよ。」
心なしか顔を赤くした浜田が答えた。
昇護を含めて全員が笑った。浜田も釣られて笑い出す。
「それにしても、、、プロポーズって、みんなお守り使うもんなんですか?」
涙で目を赤くした昇護が真面目な声で問いかけると、
「あっ、そういえばプロポーズでお守り買った人なんて初耳だ。」
と磯原。続けて
「そんなことするのは機長だけかもな。」
と土屋。
「うるさい。2人とも、いいじゃねえか、上手くいったんだから。昇護、こいつらはほっといて黙って持ってけ」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹