尖閣~防人の末裔たち
12.記者と小道具
古川は河田の部下が運転する軽1BOX車に送られて石垣島のホテルに到着した。礼を述べて早々にホテルのレストランで夕食を済ませると、部屋に戻って記事のまとめに取り掛かった。部屋に置いていたビジネスバックから黒いノートPCを取り出して電源を入れる。B5ファイルサイズの古川のノートPCはレノボ社製のThinkPadで所狭しと並ぶキーボードの中ほどにトラックポイントと呼ばれる赤くて丸いスティックが付いており、これをマウス代わりに使える所と頑丈で信頼性の高い筐体が古川のお気に入りで、このThinkPadシリーズが米国の老舗メーカーであるIBM社が製造していた頃から古川はThinkPadを愛用してきた。古川のようなThinkPadの愛好者は多く、彼らの間で赤いトラックポイントは「赤鼻」と呼ばれ、シンボル的存在となっている。
そのノートPCが起動する間にカメラバックから、カメラとNEC製のハンドヘルドPCモバイルギアを取り出し電源を入れた。モバイルギアは、WindowsCEと呼ばれるWindowsの簡易版で古川のThinkPadを横半分にしたよりも更に一回り小さい端末で、横長の小型ノートPCのような形状をしている。そして、ノートPCと決定的に違うのは、電源を入れると瞬時に立ち上がり、しかも前回電源を切った時の状態を保持している所だった。古川が電源を入れると、モノクロの画面には書きかけの記事が瞬時に現れ、古川は文字を入力し始めた。発売から10年以上も経過し、既に市場から淘汰された機種であるが、古川は駆け出しの頃からこの機種を愛用していた。モバイルギアを始めとするWindowsCE機はカラーディスプレイの機種の方がメジャーであったがカラーの機種の殆どが専用のバッテリーを用いていたため、古川は出先での実用性を考えて単3乾電池で駆動できるモノクロディスプレイのこの機種を重宝がっていた。
古川はきりのよいところまで文言を書き足すと文書を保存してから、シンクロソフトを起動し赤外線通信でThinkPadとデータを同期した。これにより、モバイルギアとThinkPadで同じ名称のファイルがある場合は、最新の方にデータを更新してくれる。更にメールやスケジュールも同期が可能だ。
次にカメラとThinkPadをUSBケーブルで接続し、写真データをThinkPadに取り込んだ。
一連の作業を終えた古川は、カメラを片付けてから椅子に座った。背中を背もたれに預けるようにして伸びをし、煙草に火を点けた。最後に河田が話していたことを反芻(はんすう)しながら煙をゆっくりと吐き出す。
確かにアメリカが日本を守るわけがない。北朝鮮ならともかくアメリカは中国市場に多くを依存している。安くて豊富な労働力を得たことで生産を中国に頼り、そして同時に10億人規模の大きな市場を手に入れた。日本は日本人の手で守るしかない。だが守り方がしっくり来ない。焦点が定まらない感じだ。誰が、どうやって守るのかが分からない。海保か?自衛隊か?漁船ならともかく、公船なら自衛隊ではないのか?何が原因なのだろうか?憲法9条か?自衛隊が軍隊とは違うと定義されている世界でも例のない武装集団だからか?貿易・外交面で中国に媚びているだけなのか?北朝鮮が同じ事をしてきたらどう対応するのだろうか?
「海上保安庁も海上自衛隊も自分達に与えられた範囲で頑張っているが限界があるのでは?」
「中国漁船の衝突事件で中国の圧力に屈し船長を釈放したことのは海保の役割を否定だ。仲間の釈放を求めるハイジャック犯に屈することと何が違うのか?これが国家と言えるのか?」
「アメリカはアメリカの利益のためにしか血は流さない。それは国家として当たり前のことだ。だが、「思いやり予算」という意味の分からない名前の米軍への資金援助は何のためなのか?日米同盟を傘に米軍駐留のために税金をつぎ込み、周辺住民が様々な制約・環境の悪化に我慢をし、時には理不尽な犯罪の餌食になりながらも耐えてきたのは何のためだったのか?国民は気付くべきだ。」
「日本に対して問題を抱える国とは強い経済関係を結ぶべきではない。急に豹変するかもしれない人に台所を任せているのと一緒だ。むしろ冷戦時代の方が経済は安定していた。少なくとも、仲間同士で台所を預けあっていたからだ。」
メモを見なくても河田の声が頭の中にリフレインする。古川は、モバイルギアと同期した文書ファイルをThinkPadで開いて、船を降りた後に河田から聞いた言葉に背中を押されるように無心に書き続けた。
原稿が出来上がり、写真も選び終わった。夢中で書いていたらしく、煙草は2本しか灰になっていなかった。古川は、顔が火照っていることに気付いた。多少興奮気味だったらしい。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、呷るように一気に半分ほど飲んだ。河田の語った言葉は、自分にとってインパクトと説得力に満ちていたのかもしれない。古川はビールでクールダウンされた頭でこう自己診断した。
メールソフトを起動し、原稿と写真を添付する。宛先は権田だ。河田の仕事を紹介してくれたとき、権田が記事については受け入れ態勢を整えてくれる手はずになっていた。フリーの古川ではあったが、かつては古川も勤めていた権田の新聞社で記事の面倒は見てくれることになっていた。
メールを送信すると、古川は、ThinkPadを片付けて、煙草に火を点け、深呼吸でもするかのように深く吸い込み、そしてゆっくり煙を吐き出した。そして、ビールをひと口飲むと、折りたたみ式の携帯電話を取り出し、権田に記事をPCにメールで送ったこと、今夜はもう遅いから明日の朝電話で話をしよう。という内容を権田の携帯にメールで送信した。携帯を閉じてポケットに入れると、スマートフォンを取り出した。そのスマートフォンは、NTTドコモが数年前に発売した東芝製のT-01Bで、AndroidをOsに使用する端末や、iPhoneが主流のスマートフォン市場では珍しい、WindowsPhone正確には一世代前のWindowsMobileの端末だった。古川に言わせれば、WindowsMobileの先祖はモバイルギア等のWindowsCEであって歴史が古く、スマートフォンとしてもAndroidより遥か前から市場に出回っていたのだそうだ。Windowsそのままのフォルダ構成と操作性は、パソコンに慣れた人には違和感無く安心して使えるのに、なぜWindows系のスマートフォンが主流にならないのか古川は腑に落ちない。
古川の気に入っている点は、この端末がWindowsベースであるのは当然のこと横にスライドすると、PCと同じQWERTYキーボードが出てくる点だった。小さいキーボードは最初戸惑うが、慣れてしまえば、ちょっとした文章なら苦にならずに打ち込めるようになる。
古川はこの端末には通信速度が遅く通話もできないものの利用料金が格安のSIMカードを挿入し、データ通信用として主にインターネット閲覧に使用している。また、スケジュールや、仕事管理もPCと同期できるので、手帳の代わりとしても重宝しているのだった。
古川は早速インターネットでニュースをチェックし始まった。程なくして
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹