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尖閣~防人の末裔たち

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11.日本よ


 河田の乗るマグロ延縄漁船「やはぎ」を先頭とした5隻の漁船が石垣島の新川漁港に帰り着いたのは夕方になっていた。これから出港し、夜間漁を行う漁船のラッシュに昼間の閑散としたたたずまいはなく、港の岸壁に接岸し荷物を降ろす傍らを、出港の準備をする他の漁船へ向かう軽トラックが行き来する。軽トラックを運転するのは、タオルや手拭で頬かむりをした女性達だった。お世辞にも若いといえない年代の彼女たちは、日に焼けた肌には長年夫を送り出し続けることの辛さの数を物語るように皺が刻まれていた。それでも彼女たちの表情は爛々と輝き、声は弾んでいた。こんな彼女達の支えをどれほど実感し、感謝しているのかは表面上分からない位に海の男達はぶっきらぼうに妻と言葉のやり取りをしている。これが阿吽の呼吸というやつなのかもしれない。若い世代が不足しているのは、陸の農業も海の漁業も同じだった。

 古川は、河田に礼を言うと反省会という名の打ち上げに誘われたが、早く記事を送らねばならないことから、丁重に辞退した。古川が最後にひとつだけ聞いておきたい事があると言うと、船を降りて少し待つように言われた。荷物をまとめて「やはぎ」の船員に礼を言いながら船を降り、久々の煙草に火を点けた。煙を深く吸い込むと、全身の力がスーッと抜けるように感じると共に忘れかけていた疲れが湧きあがってきた。初めての船上での取材、そして尖閣諸島。。。入り乱れる漁船と巡視船と中国の公船、さらには海上自衛隊の航空機まで登場する中、緊張が続き疲れを忘れていた。「それにしても」と古川は疲れを振り払うかのように自分に問いかけた。初回とはいえ、やけにあっさりと引いたな。というのが古川の感想だった。河田率いる漁船達が巧みな船団運動で海保の巡視船や、中国の海監を翻弄していたのは、船に素人の古川でも十分に理解できた。そのまま振り切って領海に入るなり何なり好きに出来たはずだった。その辺の河田の考えを聞いてから帰るか。。。船上であらかた河田の国防への想いを聞いた古川は、ある程度の記事は書き進めていたが、このあっけない幕引きについては、やはり聞いておきたかった。
 思いを巡らせながら古川が2本目の煙草に火をつけようとした時、河田が船から下りてきた。
「いやいや、お待たせしました。」
 河田は帽子を脱いで頭を下げると、軽く微笑みながら汗と帽子の圧迫で型の付いてしまった豊かな白髪頭を掻き揚げた。
「いえ、こちらこそお忙しいところをお時間を割いていただきすみません。ほんの5分、10分ほどで終わりますから。」
「で、どのようなことをお知りになりたいのですか?」
 河田の顔にはもう微笑みは無かった。疲れているのか、警戒しているのか、それとも勘ぐっているのかは付き合いの浅い古川には分からなかったが、こちらが目を逸らしてしまいそうなほど真っ直ぐに古川を見つめていた。
「洋上で全て聞いてしまえばよかったのですが、他の乗組員の方の前で後いう事を聞くのもどうかと思いましたので、」
古川は、河田の表情を感じ取ろうと、目を逸らさないように見つめながら話を切り出した。
「まあ、私の部下なら大丈夫ですよ。でもお気遣いには感謝致します。で、何でしょう。」
古川から視線を外すと、作業状況に目を配りながら再び質問を促す。柔らかな口調は変わらないが、手短にして欲しいのだろう。と古川は思った。
「では、お忙しいでしょうから手短で結構ですので、教えてください。素人目から見ても、河田さんの船団の動きは素晴らしかったと思います。海保も海監も河田さんの船団に翻弄されていたのではないかというのが私の感想ですが、なぜ、海保の呼び掛けに素直に応じて引き下がったのでしょうか?」
 河田の表情が緩んだことに古川は安堵すると共に、胸騒ぎを感じた。何でも質問してくれと言いながらも俺が質問しようとした時に、微笑みが消えたのは何だったんだろうか?ただ単に忙しいだけでもなさそうであるが、記者だから気にしているのか?まぁこの質問は大丈夫そうなので正直なところを聞けそうだ。
「古川さんは、海保の巡視船が実力で我々を引き返させたとは見ていないわけですね?」
 河田は、古川の目を窺う。だがその目は目尻が下がり気味で優しささえ感じる目つきで、古川は再びほっとした。
「そうです。」
 古川は深く頷いた。
「そうですね。半分正解。で半分不正解。というよりは、不明確ですね。彼らは「命が優先する」と言って我々に引き返すように説得しましたよね。それに対して私は、一理あるのでそれに承諾して引き返したということになりますからね。だだ、あえて不明確と答えたのは、私があの時その気になれば簡単に突破できたということです。要は、海保の説得がいかに相手に響くかによるということです。
 私が従わなかったら海監は領海に侵入したことでしょう。そして深刻なトラブルになる。場合によっては、私の船団は、領海侵犯したとして、海監に拿捕されるかもしれませんよね。でも、海保は我々に対しても海監に対しても実力行使は出来ないということなんです。海保が怠慢だと言っているの訳ではないのです。むしろ頑張っていると感じました。でも、それは出来る範囲の中での話です。海上自衛隊にしてもしかりです。今回の航空機、P-3Cの派遣に中国は抗議するかも知れませんが、海自は通常のパトロール飛行の一部だ。と言い切るでしょう。海自の言い分も間違ってません。普段のパトロール飛行です。そう、海自も頑張っているんです。出来る範囲の中で。。。」
 河田は、多少早口ながらも丁寧に説明を続けた。
「半分正解なのは、いくら海自も海保も頑張っているとは言っても、その役割というか法整備が適正でないと効果がない。ということなのです。ですから実力で我々を追い返すことが出来ないのです。まあ、今回の航海ではそれを確かめたかった。というのもあるんですよ。」
なるほど、と古川は小さく頷くと、
「ということは、海保ではなく、海自を尖閣に貼り付ければ解決できるというお考えでよろしいですか?」
「理想を言えばそうです。でもそれをやれば、中国も軍艦を持ち出してきて緊張状態はさらにエスカレートする。しかもこのままの法的環境では対処できないでしょう。でも多くの政治家は、中国との関係の方にすぐ目が行ってしまい。海自を派遣して問題を解決することや法整備のことまで頭が回らない。
 御存知のように2010年に発生した中国漁船が海保の巡視船に体当たりした事件では。船長の身柄を釈放するまでの間、中国はレアアースなど資源の輸出に規制を掛け、日本との輸出入品の通関作業を遅らせるなどしましたが、結局は貿易・外交問題で終始し、最終的には船長を帰国させるという、海保が正しい役割を果たしたのにそれを真っ向から否定されてしまったのです。しかも海保には関係のない貿易・外交の判断で踏みにじられたのです。。。犯罪者を脅されて釈放する。これは、囚われとなっている仲間の釈放を求めるハイジャック犯と何が違うのでしょうか?こんな振る舞いが国家と言えるのでしょうか?
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹