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尖閣~防人の末裔たち

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「ごめんなさい。。。」
その言葉で怒鳴り声が思い出したように止まる。
「そうだよな。仕組みが分かんないんだよな」自分を諭すように呟いた父は、カメラのことを説明してくれた。それこそ幼い古川の瞳を覗き込むようにして理解しているか確認しながらいろいろな図を書いて話してくれた。
 翌日、帰宅した父はカメラ屋の紙袋から例のフィルムを現像、プリントしたものを広げた。
 シャッターが開いた一瞬の光に反応して画像として記録しているフィルムを現像前に光に当てるとどうなるか。眩しい光をたっぷり「追加」されるようなものだ。シャッターを開けっぱなしにしたような状態になれば、眩しい写真になるだろ?
 父は昨夜説明してくれた話の一部を繰り返した。
 そして、広告の裏紙に曇りの時、晴れた日、蛍光灯の室内それぞれの場合のシャッタースピードや、レンズの絞りの設定を書いてくれた。そして紙袋から新しいフィルムを1本取り出した。
「フィルムをセットしてみろ。」
「いいの?」
 昨日の事件でもう二度とカメラを触らせて貰えないと思っていた古川少年は父を見上げた。そこには優しい笑顔があった。
「36枚撮れるからな。夏休みだし、好きなものを撮ってみろ。」
「ありがとう。」
 父は満足そうに頷くいた。
「あ、そうそう。撮り終わったらフィルムの出し方を教えてやるから。今度は開けるなよ。」
 罰が悪そうに下を向いた少年の頭を指の太い手がくしゃくしゃに撫でた。
「いいんだ。気にするな。」
 それ以来古川はカメラに夢中になっていった。
 
-あの時、俺の生き方が決まったような気がする。-
 デジカメで便利になったが、もしあの時にデジカメがあったらカメラを使った仕事はしてないだろうな。。。

 今やデジタルの時代、シャッター幕を開いて被写体を光として焼き付ける原理は同じだが、受けた光をデータとしてメモリに書き込むメカニズムは画素数と呼ばれる画像の精密さが加速度的に上昇する過程で気がつくと報道の世界にも浸透し、あっという間にフィルムを追いやった。そもそも、現像など不要なのですぐにデータとして画像を送れる利点も大きい。もうフィルムを持ち歩く必要も、フィルムを巻き上げる必要もない。
 それは一眼レフカメラ自体の構造も変えた。フィルムを手で巻く必要もモータードライブで巻き上げる必要も無くなり、フィルム本体のケースとフィルムを巻き取る部分のスペースは不要となった。それでもフィルム時代末期のオートフォーカス一眼レフカメラと比べて大差ない形なのが古川には滑稽に思えた。
-機能美というより「道具としてあるべき形」なのかも知れないな。でも道具としては未だにしっくりこないんだよな-
 その過渡期を駆け抜けてきた古川は、手元のデジタル一眼レフカメラを優しく撫でた。
-だけど大きく変わったことがある-
 今や家電量販店でも扱われるようになったカメラ達。便利なのは確かだが、電池がないと動かない。フリーになってからは、撮ることも大事だが、記事も大事。綺麗に撮ることよりも「撮れていること」を重視した。だから海外の戦地で取材するときは今も小柄で電池の要らないFMを持っていく、防塵防滴ではないから砂漠の砂が入らぬように、ジャングルで豪雨に打たれぬように対策が必要だが、どんな環境でも確実に写真が撮れる。昔のマニュアルカメラはデジカメのように電気がないと機能しない電気製品ではなく精密機械だ。寒さでグリスが固まると動かなくなるだろうが、温める。という対策をとれば写真は撮れるのだ。
-だから道具といえば、アイツになるんだよな。。。-
 今となっては遺品となってしまったあの時のカメラ。。。父から貰ったFMは、今だに現役だ。

 4ヶ月前、以前勤めていた新聞社の先輩である権田から軍事関係に詳しいフリーの記者を探している人がいるという電話があった。その先輩は、新聞記者として配属されてから一緒に仕事をしてきた人で、報道のイロハを古川に厳しく、そして時には熱く叩き込んでくれた人間だった。防衛省担当から社会部への移動が打診されていたある日、半人前とドヤされようがフリーで仕事をしてみたい。と意を決して権田を飲みに誘った居酒屋で、古川がフリーになる決心を話したとき、一気にウィスキーのロックを呷ると、ただ一言、
「俺たちの報道魂を試してこい!しっかりやれよ!これからもよろしくな。」
と肩を叩いて微笑んでくれたのだった。古川にはその目は微かに潤んでいるように見えた。怒るでもなく、理由を詮索したり引き留めることもせずに、古川は何故か溢れてくる涙が止まらなかった。その後は日本の防衛について、周辺諸国との外交と国防について、防衛省担当らしい話題をいつものように熱く語り合ったのだった。あれから4年が過ぎたが、半年に一度は一緒に飲みに行くことにしていた。その間も、権田は古川を半人前扱いしたり見下したりするようなことはせず、情報を交換したり、古川が行き詰まった時には厳しくも遠回しにアドバイスをくれる間柄になっていた。今では先輩後輩というよりも、かけがえのない友人という存在になっていた。それでもどこかでいつになったら権田に追いつけるのだろうか、と常に思っていた古川は、権田に認められる存在になるのが当面の目標だった。そんな権田から古川が仕事を紹介されたのは、今回が初めてであった。
 嬉しさと不安とが頭を駆け巡る。とにかく受けたいが、大丈夫なのか?それが気になった。どんな仕事かと聞くと、権田は内容は知らされておらず、詳細は会ってからということが条件とのことだった。
電話越しでも古川の戸惑いを感じたのか、権田は、こう付け加えた。
「お前はここまでフリーでやってこれたんだから、堂々とやりゃあいいんだよ。俺からの仕事も受けるのも断るのもお前の自由だ。ただ、このネタはお前にピッタリだと思うぜ。」
 その言葉を聞いて古川は、権田から初めて仕事を貰ったことに、認められたという嬉しさもあり、断るという考えはそもそも無かったが、その好意に報いたいという自信が芽生えてくるのを感じた。古川は、不安と疑問を飲み込み、そこまで一人前扱いをしてくれた権田に、根掘り葉掘り聞くことはやめ、とりあえず話を聞いてみることにした。
 それから2日後、古川に電話で先方からの連絡があった。相手は田原と名乗り、依頼人の代理であり、依頼人は沖縄にいるので直接は話せないという。依頼人の名前を聞くと、電話では話せない。と田原は言った。一瞬何か嫌な予感がしたが、古川は田原と会うことにし、日時と場所を打ち合わせて電話を切った。
 1月中旬のある日の昼下がり、古川は打合せの場所に指定された都内のホテルに向かった。
 非常に寒い日で都内は今にも雪が降り出しそうな高い灰色の雲に覆われていた。田原とはホテルのロビーで待ち合わせることになっていた。約束の時間よりも15分前にロビーに着いた。高い天井とクリスタルの散りばめられた照明、磨きあげられた大理石の大きな柱がこのホテルの格調の高さを静かに語りかけてくる。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹