尖閣~防人の末裔たち
1.出港前夜
201X年6月22日、20時を回った石垣島の新川漁港の常夜灯は、一列に並んで岸壁に係留されている5隻の漁船の白い列をくっきりと浮かび上がらせていた。その漁船たちは、整然と動き回る船員たちにより、凛々しくさえ見える。
4tの青いトラックからは次々とダンボールが運び出され、船員から船員へとバケツリレーの要領で船に積み込まれていった。カップ麺やレトルト食品、飲料水のダンボール箱の列が途切れると、ややあって数個のアルミケースが荷台から姿を現した。船員たちはこのアルミケースだけは他のダンボールのように軽々と扱わずに、両手で慎重に扱っていた。アルミケース自体は傷や凹みのある年代ものだったが、派手な英数字や鳥を象ったステッカーが不揃いに貼られていた。それらは古川にはお馴染みの航空自衛隊やアメリカ軍の戦闘機部隊使用しているエンブレムだった。
-飛行機マニアでもいるのか?-
航空ショーなどで、よく見かけるアルミケースのアレンジに古川は首を傾げる。無表情できびきびと作業をしている船員達にはあまりにも不釣り合いだった。
かつて古川もそうだったように、カメラに凝った飛行機マニアにとって角張った質実剛健なアルミケースは彼らの財産をつぎ込んだ機材を守り、人垣の後ろでは踏み台となって視界を確保してくれる頼もしい相棒だった。
アルミケースは、古川に中身がカメラであることをさりげなくアピールしている
-尖閣に行くのにそんな機材が必要なのか?-
取材と併せて撮影を依頼されていた古川は、若干不本意気味に常夜灯の柱に寄りかかり、二本目の煙草に火をつけながら再び積み込みの様子に目を向ける。
自分のカメラバックの2倍はありそうな大きさの古びたアルミケースが、甲板に所狭しと並べられた食料類と別に船室に慎重に運び込まれていくところだった。アルミケースに貼られた白い鷹の頭の形をしたステッカーと、黄色いカメラメーカーのステッカーがふと目に付いた。
-204飛行隊のエンブレムだな、百里にいた頃はよく取材に行ったものだが、那覇に移動してからは行ってないな。隊員たちは大分顔ぶれが変わったのだろうか?空自(航空自衛隊)は異動が極端で悲惨だな~。しかし、いいメーカーのカメラ使ってるな、さすがは金持ち連中だ。それにしても素人さんが立派な道具で何を撮るんだ?-
俺も昔は道具にこだわったな。あんな感じのアルミケースに沢山詰め込んで。。。
古川は、ゆっくりと煙を吐く。
駆け出しの頃、金も無いのにカメラはニコンで揃えた。報道といったらカメラはニコンかキャノンが定番だった。プロでもアマでも腕に関係なく金さえ掛ければ一流の道具が手に入る。良くも悪くも金さえ払えば平等なところが資本主義だ。こんな俺でもメインに大型のF3、サブには小柄なFMを持って歩いた。どちらもピントを手動で合わせるマニュアルカメラだ。F3の場合は写真の命である光の取り込み具合を決める「シャッタースピード」や「絞り」は今時の一眼レフデジカメ同様「シャッター優先」や「絞り優先」で自動にすることもできるが、FMはそれさえもできない。全てが経験と勘だ。露出計にボタン電池を使っているだけで、写真を撮るのに電池は不要だ。
しかもフィルムの場合はデジカメのようにその場で画像を確認することはできない。現像するまでどのように撮れたか見ることはできない。まさに腕の世界だったのである。
しかもフィルムは1本で36枚しか取れないから、すぐに取り替えることになる。それもカメラから取り出す前にフィルムケースに巻き戻しておく必要があるからフィルムの交換に1分は掛かる。
-巻き戻さないでカメラの蓋を開けると大変なことになる。-
古川は懐かしい思い出に吹き出しそうになり、ぐっと飲み込む。決して漁民の格好が滑稽なほど似合わない男たちを笑っているわけではない。
古川は小学生の頃、父親のカメラの蓋を開けたことがある。巻き戻すことが必要だということも現像の意味も知らずに。。。
あれは夏休みのことだった。。。あと2枚だけ撮れるから、好きに撮ってみろ。と言い残して仕事に出かけた父に使い方を聞くのを忘れていたことを後悔しつつ、古川少年は、自分のお気に入りの飛行機のプラモデルを見よう見まねで撮った。
本体には良く分からない数字や記号、アルファベットが刻まれたダイヤル、それにレンズの付け根にあるグルグル回るリングにの意味不明な小数点のある数字は何だ?今の自分にとってはかなり重要な事だが、当然古川少年は知らなかった。とりあえず本体の数字だらけのダイヤルは、意味ありげに自己主張している「X」に、レンズのリングは、「A」にした。「自動はオート」だから「オートってAで始まるんだったよな」といった程度の知識だった。
撮ってみたらすぐに見たくなる。それは大人になった今も変わらない。
古川少年は、四苦八苦しながらやっとのことでカメラ蓋を開けた。本当に意味不明な開け方だった。ボタンひとつでは開けられない構造の意味を今なら知っているが、当時は知る由もない。
「やった!」
と独り言にしては大きな声で、蓋を開けると、これまた意味不明だった。カメラの中で左側には緑色のよく見掛けるフィルムケース。フィルムケースから出ているフィルムは裸のままで右側に巻かれている。その真上にはシャッターを押す前に引くレバーがある。このレバーを引かなければシャッターボタンを押しても何も起きないのは知っていた。どうやらレバーと裸のフィルムが巻かれている軸は連動しているらしい。
蓋を開けたままゆっくりレバーを引いてみると、左側のフィルムケースからフィルムが引っ張られて右の軸に巻かれていく、その途中でレバーが固くなってこれ以上フィルムを巻けなくなった。もうフィルムケースの中にフィルムはないのだろう。フィルム切れってこういうことか。。。
好奇心が納得に変わる。なんか楽しい。。。
右側に巻かれているフィルムを引き出そうとするが、これがなかなかうまくいかない。レバーと連動した軸が頑なに動かない。
軸が動けばいいのか、、、レバーと連動してるということは、上にはレバーしかない。下は、、、ひっくり返したカメラの底、軸の真下にあたる場所が窪んでいて銀色のボタンがあった。押してみる。最初ちょっとだけ固かったボタンがへこむ。フィルムを引っ張ると参りましたと言わんばかりに軸が回って素直にフィルムを出してくれる。
「僕って天才。」
引き出したフィルムを太陽にさらす。
映画のフィルムのように撮影した画像が透けて見えると思っていたが、フィルムには何も写っていなかった。片方は一面黒くて反対側はベージュ一色だった。とても透けて見えるような代物ではなかった。
-親父に悪いことしたよな~。-
また吹き出しそうになる自分に当時の父と同じぐらいの年齢になった古川が心の中で苦笑する。
「フィルムって何も見えないんだね」
仕事から帰宅した父にベルトのように例のフィルムを両手でいっぱいに広げて見せると、父は今までに見せたことのないような表情を作った。怒っているような悲しいような。
ワンテンポ遅れて嘆くように吐いた言葉を覚えてはいないが、口調は怒鳴っているときと一緒だった。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹