尖閣~防人の末裔たち
10.主権
120トンクラスのマグロ延縄漁船5隻から成る河田の漁船団は針路・速度とも変わらず尖閣諸島の中で最大の島である魚釣島へ真っ直ぐ向かっていた。昨夜から走り続けて既に魚釣島まで47海里(約87km)。変わったことといえば、彼らの漁船団の真横にそれぞれ2隻、真後ろに1隻の巡視船が航行していることだった。巡視船はいずれも1000トンクラスと呼ばれるシリーズで実際には1300トンの排水量の「はてるま」型である。それら巡視船は120トンクラスの漁船に対しては数倍の大きさではあるが、5隻の船団のX形の輪形陣には上手く張り付くことが出来ず。大きく外側を航行する羽目となった彼ら巡視船は、遠めに見ても漁船団を取り囲んでいるようには見えなかった。
「あまり巡視船は接近してこないんですね。新聞やテレビなんかでは、もっと巡視船が接近した絵をよく見ますが。。。」
古川が、拍子抜けしたように河田に言った。
「この輪形陣のせいでうまく入り込めないんですよ。どうしてもひと回り外側を走るしかない。」
河田は、得意気に言い放った。
「あぁ、それと、真正面に魚釣島ですが、そちらから中国の海監が向かってくるはずです。彼らも我々を取り囲んでくるでしょう。」
と河田は付け加えた。
「乱戦になりそうですね。」
と古川は答えながら、ここまで距離が離れていると、近くの漁船団の様子を標準レンズで、遠くの巡視船、海監の写真は望遠レンズで撮らなければいかんな、レンズをいちいち換えている時間はないな。と考え、バックの中からカメラをもう1台取出すと、望遠レンズを取り付けた。望遠レンズを取り付けたカメラと標準レンズを取り付けたカメラの合計2台の一眼レフデジカメを首から提げた古川は、ホント楽になったよ。と実感した。昔のカメラは、重かったし、フィルムは36枚撮りですぐ取替えなきゃならないし。いい時代になったもんだ。
「近付けませんな。」
と副長の声に現実に引き戻された兼子は、どんな奴が何の目的であの漁船団でここに来たのだろうということを考えていたところだった。
「船名は確認出来たか?」
と兼子は副長に聞いた。兼子が乗る「はてるま」は最後尾につけているため、全ての漁船の船名を把握することは困難だった。これは、漁船団の左右に展開する他の2隻の巡視船も同じことだった。
「少々お待ちください」
副長は船内電話で通信室を介して情報のやり取りをしていた。そういうのは率先して動いてくれないと
困るな~。と内心兼子は毒づく。この船に副長で配属されてきて2ヶ月。それまでは地上で書類に埋もれてたらしいから仕方ないが、気を利かせるのって、初歩中の初歩だと思うんだけどな。書類裁きはピカイチらしいが、鍛え直さなきゃだめか。。。いちおう副長という立場があるからな、あまりギャラリーの居ない時を見計らって少しお説教だな。
「当船と、各船の情報を合わせると。「やはぎ」「ふゆづき」「すずつき」「かすみ」「ゆきかぜ」の5隻です。」
臆せずに副長が答えた。
「なに?!そりゃあ、長官の艦隊じゃないか?」
兼子は大声を上げてしまった。
「えっ、長官?艦隊?どういうことですか?」
副長の岡村が何時代錯誤なことを言い出すのか?というくらいに今にも兼子をからかいそうな勢いだ。その表情が、内心毒気づいた気持ちを抑えた兼子の心の水門を溢れさせてしまった。
「君は知らんのかっ!石垣じゃあ有名じゃないか?そもそも、さっき俺が聞いた船名だってな、率先して他船と連絡を取り聞き出しておくもんなんだ。君は、今目の前にいるあの漁船団が何者か気にならないのか?」
兼子は半ば怒鳴り気味の話し方になっていた。航海士が驚いてこちらを見、また直ぐ視線を戻した。
「あ、はい。すみません。存じあげておりませんでした。船名の件も申し訳ありません。気にならないことは無いのですが。副長としてどう関わっていったらいいのか判断できませんでした。。。」
副長は、兼子の突然の苦言に目を赤くして答えていた。普段は明朗で部下を気遣う印象の兼子の豹変に動揺を隠しえない様子だった。そこにはいつもの人懐こい眼差しはなかった。
その表情を目の当たりにし、兼子はマズイことをしてしまったことに直感的に気付いた。副長として必要なこと、やるべきこと、求められる資質。。。この事務屋上がりの新米副長に何一つ教えなかった。いや、教えるには教えたが、表面上のやることのみで、それがなぜ必要なのか、何故そうしなければならないのか、どうあるべきか、身になることを何一つ教えていなかった。プライベートなことは勿論、血液型に至るまで、こいつのことは何一つ知らない。いや、知ろうとしなかった。今は忙しい。コミュニケーションは後からついてくる。副長なら、上に立つものとして困らないように積極的に振舞う心意気が無くてどうする。と、勝手に期待して、自分はそれよりも下位の部下とのコミュニケーションを重視した。。。自分には周りを見るゆとりが無かったのかもしれない。ただ、理由はどうあろうと目の前にある自分への信頼のひとつが崩れ去ろうとしているのは確実だった。
「そうか。。。知らなかったのなら仕方ないな。それに副長云々については追々な。。。ただ、自分で気になったことは積極的にやってくれ。フォローは俺がするから自信をもってやってくれ」
いや、我ながら具体性がない答えだな。でも俺の気持ちは伝わっただろうか?ダメもとで進むしかないな。兼子は答えづらいであろうその答えがまともに返ってくるのを避けるように、副長の岡村の目の色をさりげなく確かめながら続けた
「石垣の水産会社の娘の婿さんで海上自衛隊を退官した人がその水産会社の跡を継いだんだ。こともあろうに最終職歴は海上幕僚長。そして、保有する船の名前の殆どを旧日本海軍の艦艇の名前に変更したんだ。そういうわけで、長官の艦隊って呼ばれてるんだ。分かったかい?」
教えるような口調で兼子は説明した。ここでちょっとでも笑いを取れれば完璧だ。と祈りながら。。。
「なるほど、そういうことですか。ありがとうございました。」
とりつく島のない無表情で副長の岡村は答えた。
気まずい空気が数分ほど流れた後
「正面の海監3隻。左右に分離!なおも接近!」
と見張り員の声が響く
「おいでなすったな!やはりこっちに向かってくるか。」
兼子は、努めて張り切った声を張り上げると、副長に
「各船に連絡。海監接近当初打ち合わせた方法で阻止運動を展開する。各船準備状態で待機」
と命令した。
副長はホッとしたような表情も束の間
「了解。各船に連絡します。」
と船内電話を取り出した。
ちょうどその頃上空から重低音が響いてきた。音がドンドン大きくなる。
おっ、来たな。
「全船に連絡、海自のP-3C2機が援護飛行の為接近中。派手にやるそうなので、注意されたし」
と兼子は努めて明るく命令した。岡村は、お茶目な言葉の入った命令をそのまま発信して良いものかと悩みながらもそのまま投稿した。その方が兼子の全船職員への思いが伝わりやすいと考えたからだ。全面の窓ガラスの直前で双眼鏡を下ろした兼子が右手の親指を上向きに立てて合図してきた。グッドという意味だ。岡村は思わず微笑んでいた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹