尖閣~防人の末裔たち
世界中に「カミカゼ」を彷彿(ほうふつ)させた河田の行為は、同胞のためにその命を捧げて侵略者に立ち向かったという自己犠牲の精神と行動を、民間人を犠牲にして意のままにしようとするテロと区別して、世界各国の多くの人々が称えた。その一方で当然の如く、太平洋戦争で行われた本当の「カミカゼ」・・・神風特別攻撃隊がクローズアップされ、映画や小説、書籍やドキュメンタリー番組がこれまでになく多くなった。その多くが彼らの自己犠牲の精神を称える共に散っていった若者達への鎮魂の言葉で締めくくられている。
「統率の外道」か。。。
兼子は、ある番組の中で語られていた特攻の生みの親とも言われ、終戦により自決した大西瀧治郎中将の言葉を噛みしめるように呟いた。兼子は、その言葉の前段で述べられたという「日本の作戦指導がいかに「まずい」かを表している。」という大西の言葉が本質を突いている。と思っている。個々の人間の思いは様々だろうが、日本のため、日本人のため、いや、家族を敵から守るために命を捨てて敵と差し違えようとした彼らの自己犠牲、日々、死ぬための訓練でしごかれながら、何を思っていたのかを思うと胸が詰まる思いだ。それを疑う余地はない。しかし、そういった彼らの命、、、自己犠牲に頼る作戦しか立てられない状況は、国家として、軍として、あまりにも無責任だ。と兼子は思っている。
だからこそ分からない、河田が中国空母に特攻した理由が。。。最初から体当たり「ありき」で作戦を立てていたことが信じられなかった。 これは部内の極秘情報だが、海上保安庁と海上自衛隊の合同捜査の結果、河田達は、その経験と技術力、人脈を駆使して特殊なシステムを開発した。
そのシステムは、護衛艦「あさゆき」の戦術システムCICを傍受するだけでなく、そのシステムを乗っ取り、偽の情報をCICに送り込み、妨害電波で無線を封止して外界と遮断。「あさゆき」を意のままに操ることが出来たという。「あさゆき」近傍にあって、電波の送受信、妨害を行っていた漁船が何者かの妨害にあってシステムを破壊されたことが、失敗の原因とされたが、もっと徹底的にやれたのではないか、というのが専らの疑問であった。だが、システムに関わる人間が死亡し、「あさゆき」に乗船し、河田と内通していた自衛官が事件直後に自殺したことで全ては憶測でしかない。
もしかして、、、
最初から特攻する計画だったのではないか。。。侵略に対する我が国の現状認識の甘さを世界に訴えるために。。。
兼子の脳裏には、あの日の光景が浮かぶ。
「船長。中国海警のヘリ、着船コースに入りました。」
報告に兼子は我に返り、遠くを見つめていた目を部下に向け直した。
「ご苦労、進路、速度そのまま。お出迎えに行くとするか」
言いながら双眼鏡を置いた兼子はもう一度遠くを見つめた。
河田さん。。。日本は変わることができたのだろうか。。。いや、きっと日本は変わっていく。。。安らかに眠ってください。。。
呟いた兼子は、部下に気付かれぬように数秒だけ目を閉じて黙祷を捧げた。
「おい、今朝もちゃんと嫁さんの写真に挨拶したのか?」
右席で操縦桿を握る機長の浜田が視線を外に向けたまま茶目っ気の多い声を出す。
「正確には、カミさんと息子の写真ですよ。もちろん挨拶しましたよ。浜田さんは、写真持ってないんですか?」
昇護の屈託のない返事が当然だということを代弁している。
「もちろん持ってるさ、でも、お前みたいに毎朝挨拶はしないけどな。」
会話をしながらも周辺の海上に目を配る昇護に浜田がいたずらな笑みを向ける。
「意外とクールなんですね。」
昇護が言ったとたんに後ろのキャビンから大爆笑が湧き起こった。
「クールなもんか、なあ、磯原」
機上通信員の土屋がコックピットに顔を突っ込む。GPSと通信を担当する土屋は、機外の監視はしていないので、比較的自由度が高い。土屋に話を振られた機上整備員の磯原はキャビン側面の窓から外を監視しながら爆笑の余韻でニヤケている。
「そうだそうだ。クールなもんか。」
わざと裏返りそうな声で追い打ちを掛ける。
彼らを乗せた「うみばと2」は、最新型のシコルスキーS76Dで、4枚の羽で構成されたメインローターと静粛性の高い今時のタービンエンジンのお陰で機内が静かで、ベル212の頃のようにキャビンとコックピットの間でクルーは大声で話す必要はなく、言葉の機微を感じ取れるほど会話が弾む。
4年前のあの夏、特別警備隊員を乗せて魚釣島に強行着陸した際に受けた銃弾で、初代「うみばと」は、2度とあの島から自力で飛び立つことはなかった。武装集団から解放されて彼らが用意したゴムボートで特別警備隊員と島を離れてから数日後、浜田達クルーが知らぬ間にあの島で解体され、船で運び出された「うみばと」は、屑鉄として解体業者に引き取られた。後日そのことを知った機上整備員の磯原が、解体業者から外板パネルの一部を譲り受け、入院中の昇護のために、書類挟みを作って贈った。海保のヘリコプターであることを示す2種類の青いストライプの入った軽いジュラルミンの板は、手に取らない限り誰も本物のパネルだとは気付かない。知っているのは「うみばと」のクルーと彼らの元愛機ベル212「うみばと」だけだった。昇護がベル212が大好きで海保のパイロットを目指したこと、念願のベル212乗りになった昇護が、どれだけ「うみばと」を気に入っているのかを知っていたクルーの優しさも加わり、その書類挟みは昇護にとってかけがえのない宝物になった。
銃撃された傷が癒えて、数ヶ月に及ぶ入院生活を終えた昇護がさらに半年かけてリハビリを行い、航空隊の現場に復帰した頃に、浜田達はやっと自分達の愛機を割り当てられた。
その頃すでに旧式となっていたベル212の後継機として4枚羽根のメインローターを持つベル412やAW139、シコルスキーS76Cが導入されたが、いずれも自動で4枚のローターを折りたたむことができず、巡視船に搭載するのは不向きで、陸上基地のベル212の後継として配備が進んだ。竹トンボのような2枚羽根のメインローターを持つベル212は、機体の前後方向に平行した位置でローターを止めておけば、幅をとらない。つまり、巡視船内に格納する際、メインローターを折りたたむ必要がないのだった。このため、ベル212は、その後も巡視船の搭載ヘリとして主流を務めていたが、破壊された「うみばと」の後継として新たに旧式のベル212を調達することは困難であり、当時まだ検討中ではあったがベル212の後継機となる機体を調達、装備させた方がいい。どうせ副操縦士が復帰するまで時間が掛かる。というのが上層部の考えだった。
文字通り翼を無くした「うみばと」のクルーは、後継機導入第1号機のクルーとして白羽の矢が立ったのだった。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹