尖閣~防人の末裔たち
69.あれから
「船長、中国海警のヘリが救難活動を終えたそうです。こちらに向かっています。」
通信士が報告した。
「了解。取り舵いっぱい。風上に船首を向ける。回頭終了後スタビライザ展張」
お手並み拝見といこうじゃないか。。。
兼子が口元を歪める。本人は微笑んでいるつもりだが、副長の岡野には、苦笑しているようにも見える。
尖閣諸島の外側に位置する公海上で、海上保安庁と中国海警局の初の合同海難救助訓練が行われている最中だった。お互いに気を遣ってか領海からはだいぶ離れている。
あれから4年か。。。
声に出さずに兼子は呟く。初の合同訓練になぜ自分の船が、というより自分が日本側の指揮者として選ばれたのか、、、唯一心当たりのある出来事が脳裏に浮かぶ。
中国艦隊に向かって突進する漁船を止める。という命令を受けて漁船を追った。もう少しで追いつけると思った矢先、漁船は信じられないような加速を見せつけて兼子の指揮する巡視船「はてるま」を引き離す。そのまま漁船は中国虎の子の空母「遼寧」の艦首に体当たりし、大爆発を起こした。空母の艦首、しかも海面付近に出来た損傷と火災は、当の空母からは、スキージャンプ台のように高く反り上がった飛行甲板の先端が災いして対処不可能、周囲の中国駆逐艦は、自艦を消火する設備は重視されていたが、その結果として他の艦まで届くような放水装備はなかった。しかも後に判明したことだが、艦首部にはロシアから買い取って改造した際に増設した航空燃料のタンクがあったため、接近して消火活動をすること事態が危険と判断されていたのだった。
こうして中国艦隊が停船して対応に苦慮している中、炎は兼子達の目の前で勢いを増し始めていた。
咄嗟(とっさ)に「はてるま」の遠隔放水銃を使用することを決断した兼子は、「本船には消火の用意がある。」という意味の旗りゅう信号をマストに掲げたまま、中国艦隊の回答を待たずに空母「遼寧」に「はてるま」を接近させ、放水を開始したのだった。
この出来事は、元海上幕僚長だった河田が組織した漁船団が、その代表である河田が空母「遼寧」に体当たりした後も引き続き動画投稿サイトで実況していたため、侵略して来た中国の空母に対して必死に消火活動をする「はてるま」の姿は世界中に瞬く間に広がり、美談としてリアルタイムで賞賛された。当の中国では、彼の敵味方を超えた海の男としての本能とも言うべき勇敢な行動が世界の賞賛を呼び、不幸な戦争を回避できた。という説が主流となっている。そして、その賞賛がインターネットという文明の利器のおかげで生中継的に世界の人々に注目されていることで中国も迂闊(うかつ)に攻撃できなかった。まさにインターネット時代の生んだ奇跡だ。と絶賛した。そのせいか、かつては海保の巡視船に体当たりしてくることもあった不法操業の中国漁船でさえ、「はてるま」を見ると笑顔で手を振り、素直に自国に戻っていくことも多い。
だが、それは中国の言い分だろうな。結局は、米軍の介入を恐れて抜いた刀をさっさと鞘(さや)に納めてしまったことを、中国は国民に知られたくないだけさ。
兼子は独り苦笑する。
やっぱアメリカの影響さ。。。
あの日、沖縄に展開するアメリカ海兵隊の司令官が、アメリカ大使館を通して防衛省に魚釣島のテロリストを摘発するための陸上自衛隊員をMV22オスプレイで空輸する準備が出来ている。と連絡してきた。この情報は、すぐさま作戦案として、陸海空三自衛隊の幕僚で協議・立案され、NSC(国家安全保障会議)に上申された。アメリカとしてもここでオスプレイの安全性と有効性を証明できれば、地域住民の不安の声を払拭でき、在日米軍基地への展開がスムーズに進むし、まさに離島展開能力を示すことで自衛隊への導入を後押しすることになる。さらに、このことが中国への牽制に繋がればアメリカのアジアでの地位を再認識させることが出来る。
そんなアメリカの思惑からかどうかは、当時の兼子には分からなかったが、この情報は何故か民放にも即座に流れた。産業日報系の放送局がデジタル放送特有の機能を使ってアンケートを行ったのだ、産業日報はクイズ番組などでよくある視聴者が参加する時に使う青、赤、緑、黄色のボタンをアンケートに割り当てた。なぜ産業日報が突出してそういう動きが出来たのかについて、今は友人となっている元産業日報の古川に聞いてもはぐらかされるばかりだった。
そのアンケートの結果から、国民の同意を得た手応えを感じた政府は、記者会見を行い、NSCの判断として国内である魚釣島でのテロ行為を鎮圧するための部隊の輸送手段として米軍のオスプレイ提供の申し出を受け入れる。と発表した。無論それは、オスプレイほど速やかに離島に部隊を展開する能力のない自衛隊にとって、願ったりかなったりでもあったが、中国に対するインパクトは極めて大きかった。魚釣島に進出してくる自衛隊を妨害することは、米軍機に対して敵対行動をとることになる。それを中国は避けたのではないか、というのが一般的な見解となっている。中国の目的は、アメリカと太平洋の覇権を二分することであって、アメリカと渡り合うことではない。ということがこの事件で裏付けられた、とする評論家もいる。
どちらの言い分が正しいのかは、それぞれの立場によって異なるのだろうが、とにかく、この事件が戦争を引き起こすことだけは避けられた。
が、さらに世界を震撼させる事実が数日後に発覚した。
公平性を期すために体当たりした漁船の残骸を日本、中国それぞれで分けて持ち帰り調査したところ、大部分から爆薬と、油脂の反応が出た。爆薬だけでも十分に衝撃的な事実だったが、油脂の分析結果は、さらに周囲を唸らせた。この油脂は、一瞬にして周囲を火の海にするナパーム弾に使われているものと同種のものだったのだ。つまり、この体当たりは、周到に計画されて行われたということが判明したのだった。そもそも彼は体当たりするつもりでいた。ということが世界に衝撃を与えたのだった。
この事実は、河田達が当時動画投稿サイトに投稿していた日本国民へ向けてのメッセージと共に、ありとあらゆる言語で世界中の放送局で、インターネットサイトで流された。
中国艦隊の侵略という未曾有(みぞう)の危機に、たった1隻の小さな漁船で立ち向かった日本人として、河田の名とその思想は瞬く間に世界に知れ渡り、「神風の再来」「21世紀の神風」「大和魂」という言葉が横行した。そして、河田のメッセージの中で語られた「防人」という言葉は、そのまま「サキモリ」という名詞として、世界中に浸透した。まるで「テンプラ」「サシミ」「カミカゼ」といった日本文化の一部のように。。。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹