尖閣~防人の末裔たち
そういう意味では、作戦の中止を進言出来るかもしれない。が、シースパローミサイルにCIWS機関砲、76mm速射砲を装備した護衛艦に2度目の攻撃をする余裕はない。チャフが晴れれば間違いなく撃墜される。そして、中国艦隊へ向けてハープーンが発射される。命令はこれを阻止することだ。
この一撃を逃したら次はない。。。
目標を捉えて離さないHUDを前にした鳥谷部には、任務を中止するという選択肢はない。
漁船との距離を確認し、その安全を確保できると判断した鳥谷部は再び、チャフの霧に包まれた護衛艦「あさゆき」に目を凝らす。
何だあれは?
レーダーを一瞥するがチャフ滲んだ向こうには何もない。キョウジュこと高山の機は既にレンジの外に出ている。
間違いない。何なんだ。
再び目を向けると、霧のようなチャフの頂点を越えて向かって来る黒い筋を、今度は、はっきりと認めた。それは目の前であっという間に形を示し始める。
ダメだ、間に合わない。
護衛艦「あさゆき」に接近すれば、民間船舶を巻き添えにしてまで爆撃を行うことはないだろう。という古川の提案により、全速力で護衛艦「あさゆき」の左舷後方を目指して追いかけていた「しまかぜ」は、彼らの努力も虚しく、あっという間にF-15J戦闘機に抜かれてしまった。
甲高い音で向かってきたF-15Jの音は、「しまかぜ」を追い抜くと、落雷したときのような振動と、張り裂けんばかりの轟音で後方にあるあらゆるものを制圧する。
「クソッ」
騒音の主であるF-15Jの後ろ姿を忌々しげに睨みつけて古川が力の限り罵声を吐く。この轟音の中ではどうせ誰にも聞こえない。
燃焼した高圧のジェット排気に再度燃料を吹き付けて点火するアフターバーナーの作用でオレンジ色に輝くジェットノズルは、超低空の密度の濃い空気を切り裂くためにF-15J戦闘機が全てのパワーをつぎ込んでいる証だ。
F-15Jの特徴的な2つの垂直尾翼のシルエットが護衛艦「あさゆき」の艦影に重なる。
もうダメだ。
悔しさのあまり唇を噛みしめた古川の視界の中で、突如F-15Jの背中が弾けたように白い煙を吐き、大きな翼と一体となった独特な背中を見せながら左斜めに急上昇していく、その翼の両端からは雲のような白い筋が日の傾きかけた青空に流れる。それらの白。。。ベイパーは、機体や翼から剥がれた空気が急減圧されることにより、その空気中に含まれた水分が雲のように発生する。それは、目の前のF-15Jがベイパーが発生するほど急激な引き起こしを行っていることを示していた。
やられたか?
反射的に身を伏せながら古川は護衛艦を覗う。が、爆発はおろか、水柱ひとつ立っていない。
何が起こったんだ。
立ち上がった古川に、舵輪を握ったまま振り返った倉田も首を傾げる。古川同様に立ち上がった権田が、レンズにヒビの入った双眼鏡を構える。
正面に向き直った倉田は、なおも護衛艦「あさゆき」を目指し、操船を続ける。その倉田が、レシーバーにしばし片手を添えて、何かを喋り始めた。
駆け寄る古川に顔を向けた倉田が、満面の笑みを作って親指を突き出してみせた。
「やりましたよっ、来てくれたんです。」
何が?
と聞き返そうと口を開きかけた古川の耳に、聞き慣れた重低音が響いてきた。
その方向に双眼鏡を向けた権田が小躍りするように両手を振り始めた。
4本の黒い煙を曳(ひ)きながら向かってくるのは、紛れもなくP−3C哨戒機だった。
来てくれたんだ。。。
任務に向かうため、倉田の頼みを拒否したP−3C、那覇基地のTIDA06が、応えてくれた。そして今、護衛艦「あさゆき」を攻撃しようとした航空自衛隊のF−15J戦闘機に真っ向から挑み、その意図を挫かせたのだった。いくら任務でも、他の航空機と接触する危険を冒すことはできない。チャフで出来た電波の影と、塵の靄(もや)の向こうに隠れた格好になっていたP−3CにF−15Jのパイロットは気づかなかったのだ。
「了解。TIDA06感謝する。これから本船は、「あさゆき」に接舷する。F-15(イーグル)に2度と変な気を起させんように、上空で待機してくれ。」
上機嫌な声をマイクに吹き込んだ倉田が、古川に顔を向ける。
「エンジン不調。とか報告して引き返してきたそうです。黒煙を吐いてるでしょ。ワザと燃料の調整を狂わせてるようです。バレたら怒られるな。。。いや、それじゃ済まないでしょう。処分を覚悟で。。。皆川さんらしいな。。。申し訳ない。」
語尾が濁る倉田の目は涙で滲んでいた。
「僚機はどうしたんでしょうね。確か2機でしたよね。」
倉田の涙を見ぬ振りで古川は問いかけた。そんな男が僚機をたった1機で前線に残してくるはずはないだろう。
「遠巻きに監視することになったそうです。所詮、政治家は我々が毅然とした行動を取る事を嫌っていますからね。誰にも非難はされません。そもそも、法律上、いざとなったらまずは撃ち落とされるしかないんですからね。集団的自衛権云々の前に、領土を守るための法律をしっかり決めてほしいもんだ。だから河田さんだって立ち上がった。私はそう思います。」
倉田が柔らかい苦笑を頬に浮かべて語った。
護衛艦「あさゆき」への爆撃を回避できたことで、心が緩んだのだろうか、これが本音なんだろう。
「いや、でもね。我々はそれに同調すべきではない。と私は思います。我々はシビリアンコントロールを守らねばならない。
我々は、我々のためでなく、国民のためにあるんですからね。たとえ法や規定の不備で1発も撃たずにやられたとしても、シビリアンコントロールを守ります。我々は国民に信頼され、頼られていることを震災で初めて実感したんです。この信頼関係を崩してはならない。そう思います。例え先制攻撃で倒れるとしても本望です。ただ、相手に攻撃されてからでないと反撃できない。今の正当防衛レベルの対処では、最初の一撃で全滅してしまう。それでは国を守れないんです。それだけが心配なんです。」
古川が浮かべた不安の色を敏感に感じ取ったのか、軽く頭を振りながら倉田が続けた。
「私も、河田さんの想いは、分かります。やり方は別として。。。」
河田の思想に賛成はしつつも、同調することは否定する倉田の朴訥さに古川は同情の念で答えた。
「倉田さん、ありましたよ。これですよね?発光器って」
いつの間にかキャビンから戻った権田が、バケツを横に向けて拳銃のグリップを付けた様な黒い機材を持ってきた。
数分で発光器の点検を終えた頃には、倉田の操船する「しまかぜ」は、突然航空自衛隊機の標的にされて驚いたように停船していた護衛艦「あさゆき」と横並びになっていた。もっとも、チャフの霧が明けきらないので、近付くことはできない。
艦長、接近してきた漁船から発光信号です。
くぐもった声で報告しながら防毒マスクを付けた隊員が艦橋に入ってきた。手にはメモ紙を持っている。梅沢の命令でウィングで見張りについていた彼は、チャフの塵を吸わないように防毒マスクを付けさせられていた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹