尖閣~防人の末裔たち
その黒い点はまっすぐと上に増えていき、その延長線上でベレッタを構えた男に達した。男は人間の動きとは思えない早さで体を左右に振ると、海面に水柱を立てて落下した。
奴は助かるまい。
心の中で手を合わせる古川を新たな弾丸が襲う。古川の周囲の船べりが割れて破片が舞う。FRPの繊維と思しき、ささくれ立った破片に、一瞬目を閉じる
古川が目を向けた先に片手で「おおよど」の舵輪を握りながら巧みに拳銃を扱う男が映った。
その銃撃を伏せて凌いでいた古川がM-16A1を構えなおした時には、既に「しまかぜ」と「おおおど」の距離は無きに等しかった。
拳銃の弾丸を使い果たしたらしく、銃を古川に投げつけた男は、両手で舵輪を握り、素早く左に回した。平行して接舷しようとする「しまかぜ」に対して、船体が大きいことを武器に体当たりをする意図を感じ取った倉田が叫んだ。
「何かに掴まってくださいっ」
その声で咄嗟(とっさ)に掴まろうとした船縁が銃撃でささくれ立っているのを見た古川は迷わず床に伏せた。
その直後、衝撃とキシミ音が錯綜し、床を転げた古川の体が伏せていた権田に激突した。その上に2隻の船に挟まれて行き場を無くした海水が滝のように降り注ぐ。
「ふざけてんじゃねえぞっ」
権田の怒声が、空気を震わし、目にしみる海水を手で拭った古川に、駆け出す権田の後ろ姿がぼんやりと見えた。
もう一度ぶつけるつもりなのか、「おおよど」が「しまかぜ」から離れようとする。「しまかぜ」は離されないように横腹を「おおよど」の横腹に擦り寄せる。そのたびに小さな衝撃が体を揺する。
このままじゃ沈められる。。。
古川が銃を杖にして体を起こした時には、「おおよど」に飛び移った権田が舵輪を握る男に殴りかかっていた。
権田に舵輪から引き離されて、蹴られ、殴り飛ばされた小柄な男が立ち上がる。
しまった。。。
男の手に光るものを認めた古川は、銃のグリップを握る手の親指でセレクターをセミオートの位置にする。これなら1発ずつ発射できる。これまでの射撃で銃の癖を掴み、勘を取り戻した古川は、直接男の手元を狙った。
焚火で生木が爆ぜた様な乾いた音は、男に気付く間も与えずその拳を血に染めた。弾き飛ばされたのか撃たれた拳が反射的に動いたのか、ナイフが船の向うの海面に飛んだ。
ナイフを狙ったが、そこまで精密な射撃が出来るほど射撃の腕を取り戻したわけではなかった。至近距離で撃たれた拳は骨が砕け使い物にならないだろう。
古川は銃を降ろし男に歩み寄り、権田は、倉田に教わった通りに「おおよど」のエンジンを止めた。
男は怒りと痛みに顔を歪ませて古川を睨んでいたが、「しまかぜ」を停止させて「おおよど」とロープで結び終えた倉田に目を向けると、勝ち誇る様な笑顔を見せた。
「久しぶりだな副長、いや倉田さん。なかなか見事じゃないか。。。艦長になっただけのことはある。
だが、これで終わりじゃない。。。君も知っている通り、河田さんは万全を期して物事にあたる人だ。それを忘れるなよ。」
「先任伍長。。。軍司さん。。。なぜあなたまで。。。」
大きく見開いた目で倉田が嘆くように問う。かつて倉田が護衛艦の副長になりたてだった頃、下士官・兵にあたる曹・士をまとめる立場だった裏方の艦長ともいうべきベテラン海曹であり先任伍長と呼ばれていた軍司。倉田にとってあまりにも辛い再会だ。
勝ち誇ったような笑顔が苦痛に歪むと、呼吸を整えながら、倉田の知る元先任伍長の凛とした表情を見せる。
「倉田さん、あんたには悪いことをしてしまった。大事な息子さんを。。。申し訳ない。
だが、あんたには分かってもらいたかった。海上自衛官として、本当に日本を守るために何が必要なのか。あんたなら分かってくれると思っていた。。。さらばだっ。」
デッキを血に染め、血の気の引いた顔にもう一度笑顔を浮かべると、海に飛び込んだ。
「軍司さんっ!」
叫んだ倉田が「おおよど」に乗り移り船べりに駆け寄った。気泡が消えても、軍司は浮かんでこなかった。
あの出血で海水に浸かっていては助からない。俺が撃たなければ。。。
「すみません。倉田さん。。。」
船べりに跪(ひざまず)き、項垂れる倉田に古川が声を掛けた。その先には護衛艦「あさゆき」が灰色の島のように見える。いつのまにか接近してしまったらしい。
「いや、いいんです。彼らの言い分も痛いほど分かります。しかし、やり方が。。。
それより早く止めなければ。彼らを。」
立ち上がった倉田が声に力を込める。
そう、早く止めなければ。。。
頷いた古川に、権田も倣う。
銃で破壊し尽くしたい衝動に駆られたが、このシステムこそが河田の行動を証拠ともなり、船尾のケーブルに繋がる配線のコネクタを片っ端から引き抜いて外す。設置しやすいように配線はすべてコネクタによって接続していたらしい。おかげで作業は数分で終わった。
「しまかぜ」に戻ってタブレットの画面を確認すると、画面は真っ暗でウィンドウの枠だけが明るい灰色で表示され、そのシステムが動作していることを主張している。その後、様々なエラーが画面上を埋め尽くした後、「接続不能」「配線を確認せよ」との警告が表示された。
歓喜の声を上げ、互いに握手する。
「艦隊通信の周波数も復活してます。これで「あさゆき」を止められる。」
キャビンで無線を確認した倉田が満面の笑顔でデッキに戻る。
手を叩いて喜んでいた3人だったが、不意に古川が空を仰いだ。その表情が険しくなる。
「F-15(イーグル)だ。イーグルのエンジン音がします。」
その声に、全員が耳を澄ます。船のエンジンが止まっているため、一瞬で静寂が訪れ、船に当たる小さな波の音が邪魔にさえ感じる。
コーラの小瓶に息を吹き込んだような音が微かに聞こえ始めたと思うと、急激に周囲を包み始めた。
「来たっ」
古川が指差した空にF-15Jが1機見える。既に特徴的な2枚の垂直尾翼が識別できるほど接近していた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹