尖閣~防人の末裔たち
64.専守防衛
何気なくタブレット端末を操作していた権田が、ふと指を止めた。2機の航跡の行き先を確認するように画面をスクロールさせるとその先には、那覇空港、つまり航空自衛隊那覇基地があった。
操船する倉田に駆け寄った権田が兼子にタブレットを見せる。
「さっきのF-15が引き返しています。」
「えっ?」
差し出されたタブレットを片手で受け取った倉田がもう一方の手でしっかりと舵輪を握りながら画面を凝視する。
「ほら、これ、真っ直ぐ那覇に向かってますよね。」
舵輪を握っているために、タブレットを操作できない倉田に変わって権田が指で画面をスクロールさせる。
「確かに、しかし今帰還する意味が分かりませんね、これからが正念場だというのに、、、何もしないで帰るのか?」
唸るように言いながら倉田が首を捻る。確かに2機のF-15は那覇に向かっている。飛行機を表すシンボルに添えられた数字が少しずつ減っていく。徐々に高度を下げているということだった。
「あっ、これはいかん。高度を下げすぎている。」
急に声を張り上げた倉田に、権田がシンボルを見つめる。100ftと示されたコメントから高度100フィート(約30m)であることを示していた。まだ洋上であり、基地までも距離がある。
「もしかして墜落?」
そのひと言がまるで呪文のように飛行機を墜落させてしまいそうな不安に駆られて権田が声を潜める。
「いや、昼間に2機が揃って高度を下げすぎて墜落。というのは考えにくいですね。しかも晴天。しまった。そういうことかっ。」
船縁に座って床に立てたM-16A1自動小銃の銃身に手を添えていた古川が、水平線を睨んでいた目を権田達に向けた。その古川を手招きしながら権田が倉田に先を促す。
「そういうこと、とはどういうことですか?」
「この2機は、レーダーから身を隠すために超低空飛行に移ります。まもなく「あさゆき」のレーダー、要するにこの画面から消えるはずです。そして「あさゆき」に近づいて攻撃する。」
「なるほど。」
銃を慎重に抱えた古川が相槌をうつ。
「なぜ空自の戦闘機が、海自の護衛艦を攻撃する必要があるんですか?」
権田が批判じみた声を挙げる。
「いや、空自の判断ではありえませんよ。政府は、「あさゆき」が河田さん達の制御下にあることに気づいたのでしょう。このままでは、「あさゆき」が中国艦隊にミサイルを撃ち込む可能性がある。その前に沈めてしまおう。という魂胆だと思いますよ。なんのための防衛力なんだ。」
きっぱりと断じる倉田の声が怒りに震えている。
「早く奴を止めないと。あの「おおよど」という船を何とかすれば、護衛艦は攻撃されずにすみますよね。急ぎましょう。」
古川が再び水平線を睨み付ける。
「間に合えばいいが。。。F-15なら爆弾での攻撃になるだろうが、1発でも食らえばお仕舞いです。。。おぉ、そうだ。」
倉田が手を打ち合わせた。驚いたように顔を向けた古川に倉田がキャビンを指差す。
「キャビンに無線機がありましたよね?こっちに持ってこれますか?」
「ラックに載ってたからどうですかね~。」
「あっ、レーダーから消えた。一刻を争う。とにかくやってみてください。私は操船で手が離せない。」
首を傾げる古川に急を告げる倉田の声は、言葉遣いこそ丁寧だが、自信と威厳を取り戻していた。
「了解。」
弾かれたように体を動かした古川は、操船している倉田の足元のドアを素早くくぐった。
ラックにところ狭しと様々な無線機が詰め込まれている。どれも据え置きタイプの大型のものだった。持っていくだけなら出来なくはないが、電源やアンテナは引き出せないだろう。倉田が無線で何をしたいかが分からないだけに代案も浮かばず、焦りの汗が吹き出す。
要はデッキで無線を使えればいい。マイクの配線を伸ばすか?そんな時間はない。超低空で爆撃を仕掛けてくる。ということだったが、あとどれくらい猶予があるのだろうか。。。空気の密度の高い低空では、たとえF-15といえどもそうそう高速を出せない。だからといって速度が分からなければ時間は予測できな。さっき、倉田はレーダーから消えた。といっていた。ということは、レーダーをかい潜るために超低空でこちらに、正確には護衛艦「あさゆき」に向かっているということだけは確かだ。
何かないのか。。。
ふとテーブルの下の段ボール箱が目についた。みかん箱の半分程度の大きさのそれには「艦長」と書かれている。
何が艦長だっふざけやがって。。。
呟きながら古川が箱を蹴飛ばした。見た目ほどに重くないその箱は予想以上に飛ぶと、派手な音を立てて壁に激突し、中身を撒き散らした。一瞬身体を竦(すく)めた
「おおっ、」
思わず声をあげて古川が拾いあげたのは、マイクつきのレシーバーだった。その傍らに散らばる書類の中で周波数の一覧が目につき、それもついでに拾い上げる。壁際に無造作に転がる双眼鏡が、派手な音と段ボールが予想以上に跳んだ元凶であることを古川に納得させたる。年季が入りながらも艦長専用のためか念入りに磨き上げられていた双眼鏡の、ヒビの入ったレンズが不当な扱いを無言で抗議しているように古川を睨んでいた。
「ありましたよ。これも。」
「ありがとうございます。ん、これは。。。」
帽子を脱いでレシーバーを装着した倉田の手が周波数表に伸びる。
そこには、海上自衛隊を始め、沖縄を中心とした南西諸島関係の全ての無線周波数が記載されていた。例えば通信している周波数を変更したい場合、民間航空では、周波数の数字そのものを連絡する。よって民間機は連絡された周波数に無線機を合わせればよい。他方、軍用航空では、チャンネル番号を伝える。例えば「Contact channel5(チャンネル5で交信せよ)」
といった具合だ。ひとえにチャンネル5といわれても、「周波数5」などは存在しない。チャンネル5は周波数333.3MHzと言った具合に特定の周波数をチャンネル番号として割り当てて、お互いに把握している。よって、無線を傍受できても「チャンネル5で交信せよ」などと言われたとたんに、その後の通信を聞くことは出来ない。また、運良くチャンネル5の周波数を探り当てたとしても、その割り当て周波数は定期的に変更されているので、いずれ傍受することができなくなる。したがって、たとえ護衛艦「いそゆき」の艦長を務めていた倉田であっても、その周波数自体を覚えていることは困難だった。
「全く、情報漏洩も甚だしいな。だが今は助かる。こんな数字の羅列は覚え切れませんから。ん~。多分チャンネル5か6だな、この周波数だから、UHFタイプの無線機を使ってこの表のチャンネル5の周波数にセット。もといセットしてください。」
指で示された部分には、航空隊通信チャンネルと書かれていた。
「了解しました。」
倉田の雰囲気に思わず敬礼しそうになった古川は、苦笑して頷くとキャビンへ入っていった。
周波数を合わせてキャビンの小さな扉から顔を出す古川に倉田が親指を立て、何か喋っていた。古川は、頷くと、キャビンを出て倉田の隣に立った。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹