尖閣~防人の末裔たち
核心を突く河田の言葉が、そのインパクトとは正反対に淡々と語られたことで、宇部の日本一の政治家に登り詰めたというプライドで張られた琴線が激しく弾かれたようだ。
強く短く息を吐いた宇部は誰かと目を合わせるのを避けるように即座にマイクのボタンを押す。総理大臣としてはあまりにも幼稚な反応をさすがに気まずく思ているらしい。
「何を言ってるんですか?実行支配しているのは我が国であって、君達ではない。」
スピーカーに沈黙を示すノイズだけが流れる。今にも河田の呼吸が聞こえてきそうな微妙な距離感が周囲を緊張に包み込む。数秒のことが数分に感じる。
溜息ともとれる音がしたのは何秒経ってからだっただろう。得意気に腕を組んだ首相が、追い打ちを掛けようと組んだ腕をほどいて、マイクのスイッチを押そうとした時だった。
-状況認識が甘すぎる。この島を侵略すると明言した艦隊がまもなく領海を侵犯しようとしているにも関わらず、毅然とした対応を取れないあなた方に国家を名乗る資格はないっ。-
吐き捨てるような言葉の後は、沈黙のノイズさえなくなった。それが相手が一方的に通話を終了したことを意味しているのをこの部屋の政治家たちが気付くまでには、数分を要した。
「もう切れてますよ。」
山本が宇部に声を掛けた。無様なもんだ。。。
さっきまでの総理大臣という立場とプライドで振舞っていた宇部が河田に呼び掛けを続けていた。やっと手の内が無いことに気付いたらしい。
いや、ひとつある。最後の切り札が。。。
山本は込み上げる悪寒を隠しながら傍らの加藤航空幕僚長に顔を向けた。加藤の顔が苦渋で歪むのが分かる。
やはりやるしかないのか。。。
悪寒は隠せても、胃を掴まれているような痛みが急に湧きあがり、体中が冷たい汗を吹き出すのを感じた。
俺の部下達が。。。こんなことで、彼らの命を奪っていいのか?彼らの家族は。。。
「空幕長っ。待機中のF-15に攻撃命令を出せ。目標、護衛艦「あさゆき」。」
宇部が、淡々と命令を発した。表情は内閣総理大臣のそれに戻っていた。
政治家と役者は紙一重ということか。。。
自分の政治生命のためなら国民をも騙す演技をする最も影響力のある役者。。。まだ国家の為に国民を騙す政治家の方がマシかもしれない。。。
山本が心の中で呟く。。
「了解。。。」
加藤の返事が聞こえた。その声音は、緊張というよりも、悔しさに震えているように山本には聞こえた。
「すまない。。。」
3幕僚に辛うじて聞き取れるぐらいの小さな声で呟いた加藤の肩に立ち上がった山本がそっと手を添えた。
最終的には最高指揮者である総理大臣の命令には従わなければならない。それは分かっている。しかし、何故「あさゆき」の隊員が犠牲にならなければならないのか?政府の無策と隠蔽文化の犠牲など何の価値があるのか?浮かばれないというのはこのことだ。政治家は結局自らの政治生命が何よりも重要なのだ。
怒りと、無念と、重責が一挙に山本の胃に集中する。痛みが吐き気に変わり、冷たい汗が頬を流れ落ちた。
いかん。。。しかし、案外俺は情けない奴だったんだな。。。
その場に崩れ落ちそうになるのを賢明に堪えてトイレへと向かおうと会議室の大きな扉に手を掛けた山本が、背後の咳払いに振り返る。自分の方に向いた山本に、立ち上がった総理が仰々しく口を開いた。
「「あさゆき」の乗員に犠牲が出ることは、百も承知だ。しかし、「あさゆき」は河田の指揮下にある。万が一、、、中国艦隊を攻撃するようなことがあれば、、、我が国に未来はない。中国を怒らせてはならないんだ。
国家の運命が掛かっている。尊い犠牲を出すことは、申し訳なく思っている。」
深々と頭を下げる総理が顔を上げるのを待って、山本は満腔の怒りで睨みつける。
「勘弁で済むかっ!」
部屋中に響く声で怒鳴った山本は、そのまま扉を開けて駆けだした。
-ELBOW01 This is Head Quater.Do you read me?(エルボー01、こちら司令部。聞こえるか?)-
おいでなすったか。。。
204飛行隊を指揮下に置く南西航空混成団。その司令の濁声を耳にした鳥谷部が、酸素マスクの中で唇を噛む。司令が直接航空無線を扱うこと自体が珍しいが、要は他の人間を介在させられないということだろう。
「ELBOW01 Go ahead(エルボー01、聞こえている。どうぞ。)」
-攻撃命令が出た。目標、海上自衛隊護衛艦「あさゆき」。復唱は、いらん。-
ひとつひとつの言葉が噛みしめられるように響く。豪傑で知られる司令らしくない言葉に、人の心を感じる。
だが命令には変わりはない。どんなに言葉を選ぼうとも、どんな口調で語ろうとも、それらが「味方を殺せ」という命令を和らげることはない。
「了解。」
鳥谷部は、操縦桿を左右に小刻みに振り、機体を左右に数回傾けた。左右の翼が小気味よく上下に振られる。
「ウータン。どうした。」
異変に気づいた高山が鳥谷部のタックネームを呼んだ。この翼を振る「バンク」という合図を、意味もなくしてしまった自分に、酸素マスクの中で自嘲気味に口元を歪めた。
「すまんキョウジュ。何でもない。
聞いての通りだ。攻撃を開始する。いきなり撃たれることはないとは思うが、充分気をつけてくれ。
念のため、いったん引き返すコースをとった後、レーダーをOFFにして接近する。高度50フィート(約15m)目標手前で急上昇しながらチャフをバラマいてくれ。その後は真っ直ぐ基地へ戻ってくれ。俺に構うなよ。」
「了解。ウータンも気をつけてくれよ。」
「あさゆき」を中心に、気付かれぬように大きく左周りに旋回させていた愛機を鳥谷部が急激な右旋回に入れる。左後方に位置していた高山が間髪入れずに続いた。
護衛艦「あさゆき」にその意図を気付かれぬように那覇基地へと機種を向けた2機のF-15J戦闘機が超低空へ向けて少しずつ高度を下げていく。
「あさゆき」のレーダーに捉えられないよう超低空で接近するまではいい。こちらはレーダーもOFFにしているのだから、発見される事はないだろう。しかし、超低空のまま高速で爆弾を放てば海面で跳ね返った爆弾の行方は保障できない。機体下部センターのパイロンに6発搭載された爆弾のうち、2、3発は跳ねることなく沈み、或いは文字通り明後日の方向へと弾かれるだろう。しかし、残りは容赦なく「あさゆき」に致命傷を与えるだろう。直接照準して命中させる爆撃とはまるで性質が違う。それほどまでに水面に高速で物体がぶつかる場合、水はコンクリートのように硬いのだ。第二次世界大戦中、この特徴に目を付けた爆撃方法の研究が各国で行われた。「水きり」の要領で爆弾を海面に弾けさせながら飛ばすことができれば、魚雷が無くとも艦船の弱点である側面の喫水線下や、上部構造物を攻撃することができる。海外で言う「スキップボミング」であり、日本海軍では反跳爆撃、日本陸軍では跳飛爆撃と呼ばれ、切り札としてその実用化を急いでいた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹