尖閣~防人の末裔たち
56.目覚めよ
「艦長、やはりあの黄色い漂流物は漁具の類ですね。」
双眼鏡を左手にさげた副長の松隈敏郎3等海佐が、その形状からウィングと呼ばれる艦橋横の張り出しから戻ると、安堵の溜息をつきながら眼鏡を掛けなおした。艦隊勤務を長年こなしてきた海の男にしては、珍しく潮に焼けていない真っ白な肌と痩せて見える長身は、事務屋をしていたと言われても違和感はない。そういった意味で「らしさ」を欠く松隈だが、実際にはラグビーの強豪で知られる都内の有名私立大学の出身で、自らもフォワードのフロントローという最前線で活躍していた根っからのスポーツマンだった。彼は一般幹部候補生と略して一般幹候と呼ばれる防大卒とは異なる幹部養成コースつまり、一般の大学を卒業した学生を採用するコースで入隊してきた。今年42歳になる彼が就職活動をした頃は、バブル崩壊後の就職氷河期の始まりだった。それは有名私立大学卒とて例外ではなく、希望していた会社は、その門戸を閉ざし、或いは殺到する学生達で狭き門となり、ラグビーに明け暮れていた松隈にとっては、一段と厳しい状況にあった。彼は、愚痴を言いながら、或いは、自分を納得させるための言い訳を誰にともなく語りながら「でも、」と言い、第2、第3希望へと進む級友を目にしながら、第1希望が採用を凍結したことを知った松隈は、なぜその企業に行きたかったのか?を考えた。その結果、出てきた言葉が「やりがいがあるから」だった。彼は「やりがい」を「使命感」と定義づけ、妥協するくらいなら、せめて使命感の強い仕事をしたい。ということを第1希望に据え直して選んだのがこの自衛官。という職業だった。
彼のその後の努力と「使命感」の結果だとしても、防大卒の占める割合の多い護衛艦の2トップに一般幹候出身の彼が地位を得たことは珍しいケースだった。
その松隈が、明け方を迎えて何やら迷っている素振りの見張り員に気付き、声を掛けたのが漂流物の確認につながったのだった。
ネイビーたるもの漫然と海を航行しているだけではだめだ。自分だけ安全なのではだめ、周囲の異変にいち早く気付き判断して「自分の」ではなく、「海の」安全を守らなければならない。そしてその指揮官たる人間は、部下の機微を見落としてはならない。
「そうか。ご苦労」
こいつが防大出だったらいい艦長になるんだがな。。。旧海軍時代の兵学校出と区別する習わしなのか知らんが人材の少ないこの時代に惜しいことをするもんだ。。。護衛艦「あさゆき」艦長の梅沢孝夫2等海佐は、持ち前の人懐こく優しい顔を松隈に向けると、正面を向き直って顔を引き締め、新たな指示を出した。
「周回コースに戻る。面舵30度」
艦長の梅沢の声が艦橋に凛とした雰囲気を創る。
「お~もかーじ、30度」
復唱する声が、艦長の声とは正反対の独特の抑揚をつけて響いた。
個艦行動というのはどうも落ち着かんな。。。
そもそも僚艦の「いそゆき」を帰還させたうえに、艦長の倉田さんを艦(フネ)から降ろすなんて、上は何を考えてるんだ。あの場合は他にどうしようもなかったのが分からんのか?俺たちは張りぼてと同じか?なら護衛艦の模型でも浮かべておけばいい。
間が持たない喫煙者がとりあえず煙草を吸うのと同じような感覚で、前方に向けていた梅沢は、その双眼鏡を降ろした。
「艦長、CICからです。」
そのタイミングを見計らっていたかのように松隈が艦内電話を差し出した。礼を兼ねて軽く頷いた梅沢は、艦内電話の受話器を丁寧に受け取った。
「CIC。こちら艦橋。梅沢です。どうした?」
-CICです。中国艦隊に動きがでました。進路は東南東
速力16ノット(約30km/h)。前回入手の衛星情報から考えると、隻数は変わらないので空母1、駆逐艦2、フリゲート艦2の計5隻。-
「そうか。。。遂に動き出したか。。。通信は回復したのか?」
こんな時に通信不能とは。。。
原因不明の妨害電波により朝からあらゆる無線が使用できなかった。梅沢は顎を撫でながら、首を傾げた。
-いえ、依然通信不能です。たった今、司令部からCICに電文が届いたので、こちらへお越しいただけないでしょうか?-
そうか、司令部がCICの回線を開いてくれたなら御の字だ。中国艦隊が動き出した今、司令部の判断を仰げないのは危険だ。
これで何とかなる。
梅沢は、バーのカウンター席のように座面の高い艦長席で膝を打った。
「了解、今行く。」
背の低い梅沢は、高い椅子から、ストンと両足で降りると
「司令部から電文が届くようになったそうだ。俺はCICへ行く、松隈、操艦をよろしく」
了解、と言って敬礼した松隈に敬礼を返した梅沢は、松隈とは対照的に昔ラグビーで鍛えたことが一目で分かるガッチリとした体躯を揺らして歩き出した。
アタッシュケースをそのまま小さくしたような、いかにもといった外観のノートPC「タフノート」を操作する片岡の顔を画面のバックライトの明かりがぼんやりと照らし、その目鼻立ちのハッキリとした派手な顔に陰を作る。
「そうだな、巡視船は西側に進路を取らせよう。中国艦隊を迎撃するような格好で。。。」
忙しなくキーボードを叩きながら、時々思い出したようにタッチペンで画面をタップした片岡の手を邪魔しないように遠慮気味に河田が画面を指差した。
「こんな感じでいいですか?」
魚釣島の東側に位置する巡視船を示す3つの輝点を画面上で円を描くようにタップして囲むと、そのまま線を引くようにタッチペンで画面をなぞり、画面左側にある5つの輝点のうち、中心の輝点、空母「遼寧」と結んだ。画面上に「速度?」と掛かれた小さなウィンドウが現れる。
「よし、速力は、10ノット(18km/h)にしてくれ。」
河田の言葉に、了解、と静かに頷いた片岡がキーボードの上を這わせるようにしなやかな指を動かす。瞬く間に数字が入力され、速度のウィンドウが閉じ、別なウィンドウが立ち上がる。
見上げるように目を向けた片岡に河田は満足げにうなずくと、片岡からタッチペンを受け取って「送信」ボタンをタッチした。
画面がレーダーのようなCICの画面に戻り、何事もなかったように巡視船の輝点が進路を変え始めた。
「よし、水野君、ネットの通信状況はどうだ?」
タフノートの画面の変化を見届けた河田は、テーブルの向こう側で黒いノートPCを操る男に声を掛け歩み寄った。
「良好です。投稿サイトにアクセスしました。通信も安定しています。」
画面には、赤色を基調としたデザインでお馴染みのサイトが映っていた。
「よし、イントロは出来ているか?」
穏やかな表情で画面を確認しながら、河田が質問を続けた。
「はい。ご覧になりますか?」
水野が背後に立つ河田に顔を向ける。河田が頷いて先を促すと、水野は画面に向き直ってマウスを操作した。
全画面表示でプレイヤーが立ち上がり、
-尖閣は日本領土
~「目覚めよ日本」は魚釣島に上陸しました~」-
白文字のタイトルが黒いバックに堂々と並んでいた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹