尖閣~防人の末裔たち
河田が相槌を打つ。最良の判断をするためには、部下の意見といえども他の意見を即座に否定しないことが大事だ。組織のモチベーションにも影響する。強い組織には高いモチベーションと強い自主性、そして個々の主体性が必要不可欠だということを河田は信じてきた。旧帝国陸軍と比べて開放的と言われてきた旧帝国海軍の伝統と規律を受け継ぐ海上自衛隊であっても十分にそれを実践することが難しかった河田は退官後に河田水産でそれを実践し、強い組織を作ってきた。その手法が民間会社でも通用することを試したいという思いとは裏腹に結局準軍事組織の体となってしまったのは時代の皮肉か。。。
「ここを爆撃する気か。。。確かに我々は武装している。敵にとってはいい口実ですね。」
テノールボイスの主が慎重に言葉を継ぐ。
「鷹の目で攻撃を指示しますか?」
真っ白な白髪頭の割には肌に張りのあるオペレーター水野が声を張る。
こいつは、少し喧嘩っ早いのが玉に瑕(きず)なんだが。。。
「いや、まだ相手がよく分からん。そいつは最後の手段にとっておこうじゃないか。もっと大きな事態で使おう。佐藤君、敵機の機体はどんなもんだろう。」
河田は、やんわりと言うと、テノールボイスの男に尋ねた。河田に佐藤と呼ばれたこの男は、航空自衛隊出身で、レーダーサイトを中心に最前線で、日本の「目」を担ってきた男で、いわば、レーダーから相手の姿や行動などあらゆることを予測するその道の鉄人だった。その佐藤は今、鷹の目のレーダー情報を扱っている。
「エコーの種類から見て小型機ですね。これまでの速度と高度の関係。つまり飛行特性から見てジェット機とみて間違いないですね。
だとすると、戦闘機か、偵察機、もしくは攻撃機。いずれにしても、ジェット戦闘機の派生型だと考えられます。」
佐藤は相変わらずの早口で言う。
この男は、考えているところを余すことなく言おうとする。誠実さの現れと捉えてよいものか。。。いや、彼にとっては、判断材料としていずれも漏らさず司令官には知って置いて欲しいことなのだろう。確かにそうなのかもしれない。それが空自のやり方なのかもしれないな
。3次元で兵力を動かす空自では判断する材料が多いのだろう。。。いずれにしても今更報告の仕方を変えろと言う方が無駄な労力だ。ここは専門家のやり方に従おう。
「つまり、対地攻撃をされる恐れは拭えないということだな。」
河田は、固唾を飲むと苦虫を噛みつぶしたような表情を作った。
「これからの高度の変化を見てみないとなんとも言えませんが。。。ただ、このクラスの攻撃機の場合、攻撃は一度きりではないかと考えます。というのも、搭載している武装が対地ミサイルであれば、既に発射している距離ですが、まだ発射していません。であれば、敵機は対地ミサイルではなく爆弾を搭載しているのではないかと私は考えます。爆弾であれば、搭載している者を一度にバラまいて終わりですから、その1回を耐えればいいと考えます。」
佐藤の答え方は河田にとっては長い。が、その分かりやすく理論付けられており作戦を立てやすいということに河田は今更ながら気付いた。
「なるほど。では、一時的に山の陰に待避して様子を見るということでどうだろう。何か意見のある者は?」
河田がテント内を見回す。
「敵機が爆撃してくる場合、海岸からこの指揮所に向かって進入する筈です。結果として山に向かってくる格好となるため、高度をあまり下げることが出来ません。ですから、山の陰もしくは、横に待避すれば安全と考えます。」
佐藤の早口が今となっては頼もしく感じられる。
なるほど、専門家らしい意見だ。やはり空自も採用して良かった。
河田は、満足げに頷くと、明るい口調で結論づけた。
「鷹の目は、全てノートPCです。アンテナとの通信は無線ですから、機能を確保したまま待避可能です。バッテリーだけで4時間は稼動できます。」
オペレーターをまとめている水野が各端末を扱う人間に目配せをしながら即座に発言した。
その言葉を受けた河田は安堵の笑顔を見せると、全員を見渡し口を開いた。
「では、一時待避し、状況を確認する。発電器停止。オペレーターは各自バッテリー電源にて待避箇所にて任務を継続。」
テントの中であることを思わせないぐらいの凛とした声が室内に響くと、
「了解」
弾むような返事が異口同音に声が響く。発生する全ての事象を自分のものと覚悟し事に当たるプロの軍人そのものの対応に河田はあらためて頼もしさを感じた。
室内のメンバーが行動に移ると、河田は藤田についてくるように目で合図をし、テントの外へ出た。
河田は振り返ると、ささやくように藤田に語りだした。
「藤田さんは陸戦部隊を一時待避させてください。ただし、敵機が偵察機だった場合には無線で連絡しますから、武器を構えて目立つように展開してください。」
「我々が占拠しているということをアピールして焚き付けるわけですね。」
藤田が悪戯な笑みを返す。
「まあ、それもあるのですが、さらに政治的な意味を込めたいと思ってます。そのために武器を目立たせて欲しいのです。」
河田の目が藤田を真っ直ぐに見つめた。
射るような眼差しに藤田がその意図を汲み取ったように頬を引き締めると慎重に口を開いた。
「なるほど。しかし、事は重大ですな。。。
日本政府にとっては、うまく対応できれば領土問題で今後中国はおろか周辺諸国に対しても毅然とした対等の立場をとれるようになりますが。。。対応できなければ。。。つまり、河田さんの思惑通りの対応ができなければ、二度と領土問題で国家らしく対応することができなくなるのではないでしょうか。。。」
河田は、藤田から視線を外して洋上の海上保安庁の巡視船を見つめながら静かに語りだした。
「手は打ってあります。あとは、内閣が勇気と誇りを持って行動に移すかどうか、ということだけです。私は賭け事が嫌いな質ですが、こればかりは賭けですな。」
河田が苦笑した。釣られて苦笑する藤田に目を向けた河田は、沖合いの巡視船を指差す。
「見てください、さっきまで巡視船を振り切ってこちらへ向かおうとしていた中国海警船が引き下がってしまいました。事態は着々と進んでいます。最悪のシナリオへ向かって。。。」
苦笑だけでなくあらゆる感情が消えたように静まった河田の表情に決意の深さを汲み取った藤田は、力強く頷いた。
澄みきった青空にどこまでも続く青い海。。。同じ青とはいっても、視界に同居する空の青さを青と言うのならば、深く濃い海の色はどちらかというと黒だよな。。。
洋上を飛行する度に、湧いてくるいつもの疑問にいつものように曖昧に思いを巡らす。そして思考はいつものように空の青の無限のグラデーションを賞賛し、そして、それを直に感じられる立場にある自分の運命に感謝して終わる。
「ウータン、今度も戦闘機だと思うか?だとしたらたっぷり海自さんのお礼をさせてもらおうぜっ」
酸素マスクに深く息を吐いた「ウータン」こと鳥谷部のTACネームを呼ぶ僚機高山の声がレシーバーに響く。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹