尖閣~防人の末裔たち
時間を惜しむように警報と同時に大きな扉が左右にスライドしながら開いていく。その扉と競うように、それぞれの機体に整備員達が取りつき定められた作業を手際よく行う。どの動きにも無駄がない。座席のベルトを締めたパイロットが即座に手信号を送ると、機体前方で統括するマイク内臓マスクを付けた整備員が周囲の安全を確認して手信号を返す。パイロットがそれに応えると同時に機体後方でエンジンを起動する内臓コンプレッサーが唸りを上げる。F-4EJファントムとは違い、F-15や、F-2は、外部の専用トラックから圧縮空気を貰うことなく、自らエンジンを始動することが可能なのである。甲高い音が高鳴り回転数が上がり2つのノズルから陽炎がたち始めると、パイロットがキャノピーを閉める。整備員達は機体の各所に取り付けられた赤い大きなリボンのようなタグを外す。武器担当者は、空対空ミサイルのタグを外し、外部レバーを「ARMED(発射可能)」位置にセットする。
鳥谷部が顔の正面で合わせた両手を左右に払う合図をすると、正面から機体と作業を監視している整備員が同じように正面から両手を払う、こちらはコックピットの鳥谷部とは違い両腕をいっぱいに広げる。それを見た機体側の整備員が、ロープを引いて車輪止めを一斉に外したのを見届けると、正面の整備員が親指を大きく突き上げる。機体はいつでも動かせる。という整備責任者の合図だ。ここからパイロットと整備員の本当の意味での信頼関係が試される。
右に見える高山の機体が自分と同じ進捗状況であることを確認した鳥谷部は、キャノピー越しに高山が親指を高く突き上げて準備完了を告げているのを確認すると、目の前の計器を一瞥し、無線のスイッチを押した。今回は、鳥谷部がリーダーを務めることになっている。
「Naha Tower.ELBOW01 scramble.(那覇管制塔、エルボー01スクランブル発進です。)」
-ELBOW01.Naha Tower,taxi approved.(エルボー01、那覇管制塔 地上走行を許可する。)-
管制塔の許可を得た鳥谷部が正面の整備員に合図を送ると、格納庫の外に出た整備員は左右を素早く見て格納庫の外の安全を確認すると、両手を胸の前から左右に広げる動作を繰り返して機体を格納庫の外に誘導した。鳥谷部は、上体ごと大きく左右に体を捻り、左翼下と右翼下に整備員がいないか安全確認をしてから左右のペダルから両足を離してブレーキを解除し、スロットルを数秒間上げて下げると、エンジン音が一瞬だけ高鳴る。まるでそれが合図のように機体が滑るように動き出した。
格納庫を出ると、再び左右を大きな身振りで確認した鳥谷部は、愛機を左に回頭させながら整備員に敬礼をして滑走路へ向かう。地上走行中の機体は微妙な出力の変化や、微小な誘導路の路面の起伏によりゆらゆらと頼りなく揺れながら進む。彼らが待機していたスクランブル発進用の格納庫-通称アラートハンガーは、直ちに離陸できるように滑走路の近くに置かれている。ここ那覇基地も例外ではなく、頼りなく見える地上走行もすぐに力強い離陸滑走へと移る。
既に2機のF-15Jが進む誘導路のすぐ横には滑走路が横たわる。
-ELBOW01,Order,vector260,climb Angels20.Contact channel1.Read back.(エルボー01 スクランブル指令、方位260度、高度20,000フィート(約6,000m)まで上昇、チャンネル1でレーダーサイトと交信せよ、復唱どうぞ)-
管制官の冷静で乾いた声がレシーバーに響く。
「Roger.ELBOW01.Vector260,climb Angels20.Contact channel1.(了解、エルボー01、方位260度、高度20,000フィートまで上昇、チャンネル1でレーダーサイトと交信。)」
レシーバーには始終自分の酸素マスクを通した呼吸の音が大げさに響く。まるで、水中カメラでリポートするアナウンサーのようだ。
-ELBOW01.Read back is correct(エルボー01、その通り。)-
復唱を確認するとほどなくして滑走路の入り口にが目に入ると再び管制官の声が響く、
-ELBOW01.Wind calm,runway36 Clear for takeoff(エルボー01、風は微風、滑走路36からの離陸を許可する。)-
「Roger ELBOW01.Cleared for takeoff.(了解、離陸します。)」
絶妙なタイミングだ。滑走路に入る前に離陸許可を貰ったので、滑走路の手前で止まって許可を待つ必要はない。
鳥谷部は滑走路端よりも1つ手前の誘導路を右に曲がり、大袈裟にも見えるような動作で左右を見ることで上空を含めた滑走路の先まで他の飛行機がいないことを確認し、機体を止めることなく滑走路に入る。視界の隅には滑走路末端につながる誘導路で離陸を待たされている日本トランスオーシャン航空ボーイング737-400型機の鶴丸が見えた。
「すまんねぇ。ジェイオーシャンさん」
鳥谷部は、日本トランスオーシャン航空のコールサインであるジェイオーシャンへの詫びを酸素マスクの中で呟く。普段からダイヤが過密気味の那覇空港は、滑走路が1本しかないため、スクランブル発進の際には必ずと言っていいほど旅客機が足止めを食わされる。逆に、訓練の際には旅客機にだいぶ待たされるのが悩みの種だ。問題はそれだけではない、南西諸島に他に航空基地を持たない自衛隊にとって、那覇基地の滑走路が事故などでふさがれるような事態が発生したとき、防衛上は南の防衛ががら空きになってしまうという重大な意味をもつ。
ともあれ、このままでは増え続ける航空需要を裁ききれないことを中心に様々な議論を経て、ようやく第二滑走路の建設が始まったばかりだった。
鳥谷部は視線を正面に据えて計器のを慎重に確認しながらスロットルを上げる。
大丈夫、行ける。
視線を上げて滑走路の先まで射るような目つきで見つめる鳥谷部の体が、離陸時の急激な加速でシートに押しつけられる。
「キョウジュお先に」
軽くマイクに吹き込むと、機首を少しだけ上げて僅かに機体を浮かび上がらせると、すぐに車輪を格納して、そのまま超低空で滑走路上スレスレを駆け抜ける。車輪の抵抗という足かせが無くなったF-15Jはアフターバーナーの大出力を余すことなく加速に替えて観る者の内蔵をも震わせる様な轟音を響かせながら滑走路の端まで来ると一気に急上昇に移る。この方法は、離陸滑走という「最も脆弱な状態」から一刻も早く機体を加速させて反撃に移るために編み出された離陸方法なだけあって、緊急発進の際にも有効だった。
「ELBOW01.Airborn.(エルボー01離陸した。)」
と無線に吹き込むと
急角度で上昇するGに抗いながら後ろを振り返った鳥谷部の目には、矢のような勢いで滑走路を這う高山のF-15Jが映った。顔を正面に向けると時を同じくして
「ELBOW02.Airbone.(エルボー02離陸した。)」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹