尖閣~防人の末裔たち
だからといって我々の目的が変わるわけではない。運が良かっただけのことを自覚せず、戦後の平和と繁栄の中で危機に対する想像力と備えを悪として蓋をしてきた愚かな国民に現実を思い知らせる。その時が早まるまでだ。」
河田の挑戦的な笑みに、藤田は悪寒を感じた。
南国の高い太陽に手の平をかざして影を作りタブレット端末の画面を確認すると、どうやら、画面中心の護衛艦「あさゆき」に向かって東進しているのが古川達の乗る「しまかぜ」だということが分かる。
「針路そのままでOkです。」
古川は傍らで車のハンドルのような舵輪を握る倉田に報告する。日差しの強さを和らげるように冷たく頬を叩く海風が心地よい。日差しの強さに眉間に皺を寄せながら目を細めて見張りをしている権田を見る。権田さんも同じような気分だろう。。。まるで、イソップ寓話「北風と太陽」の南国版だな。こんな強い日差しの中でもデッキに立っていられるのは、絶妙な自然のバランスあってのものなのだと感じると、妙に可笑しく。頬を緩めた。
どんな状況にあっても、つくづく人間っていう生き物は自然に生かされてるんだな。。。
そんなことを漠然と思っていた古川が、のんびりした輝点の動きを映していた画面の端の動きが乱れていることに気付くのには数十秒を要した。
何が起こっているんだ?
古川の頬の緩みが凍りつくように固まり、それよりも早く鋭く変わった目つきと相まって一瞬微妙なアンバランスを呈した表情になる。
「魚釣島で何かが起きているようですね。」
古川の言葉に、倉田が顔を向ける。
操船している倉田が見やすいように手で影を作りながら前方の視界を遮らないように顔に近づける。
「海保の巡視船と中国海警局の船がずいぶん動いてますね。領海侵犯している中国海警局の船を巡視船が追い払っているのかもしれません。」
倉田が言う。
「軍艦ではないんですね。」
古川が念を押す。CICの画面は、視覚的でみやすいのだろうが、記号化された部分が多く、軍事知識に長けた分野のジャーナリストの古川でも細かいことは判らない。古川でさえこのレベルなのだから素人には意味不明な地図程度のものだろう。
「他国の軍艦は、ほら、こんな感じで赤い輝点で現されます。青は所属不明または未確認の船舶です。」
倉田の指差した尖閣諸島北西の海域に赤い点が4つ、青い点が1つあった。
「なるほど、お馴染みの領海侵犯ですかね。」
古川の問いに、ん~。と画面を凝視した倉田が右手は舵輪を握ったままにして、左手を顎に添えて首を傾げながら考え込んだ。
「やっぱりおかしい。いつもより島に近い。今までのパターンと確実に違うのは、動きが激しいということです。今まではただ領海を通過するだけでした。
ほら、今日は、何度も島に接近しようとして、まるで追いかけっこみたいに動いてますよね。しかも河田さんの漁船をほったらかしにして。現時点では過激な日本人より海警船の脅威が強いと現場が判断している。と私は見ます。」
なるほど、確かに輝点が入り乱れて動いている。そして、さらに島に近い位置に動かない輝点数個がある。それが「河田艦隊」というわけか。古川が相槌の言葉を発しようと口を開きかけた時、
「あ、そうだ。無線はどうですかね。海保の無線、傍受できますかね。」
考えることから解き放たれたかのように倉田の表情に明かりがともる。
「なるほど。
多分、出来ると思います。私が取材していた船では、各種無線を傍受する部屋と担当者がいたくらいなので、この船にも無線機ぐらいはあるかもしれません。」
古川がキャビンに入り、棚を物色し始めるとすぐに、2台の無線機と周波数表、そしてトランシーバーを3台発見した。無線機は、2台それぞれ全く異なるタイプで、大きい方はUHF、VHF、FMの3種類の周波数帯が傍受可能で、航空から船舶、消防無線など、殆どの無線通話が聞けるということで最近人気のいわゆる「トライバンド」の物で、小さい方は、デジタルと銘板のシールに油性ペンで几帳面に書かれていた。トランシーバーも同じくデジタル方式である旨が明記されていた。
通信距離が短いトランシーバーは周囲に何もないこの位置では使い道はないだろう。トランシーバーは棚に戻して、トライバンドとデジタルの無線機を肩に下げる。どちらも運搬して使用できるように幅の広いベルトが取り付けられていた。デジタルは何に使うのか分からないが念のため持っていこう。
「海保の無線ならこっちのトライバンドですよね。」
デッキに出た古川は、日差しが眩しく思わず顔をしかめながらひとまず2台の無線を床に置いた後、トライバンドの無線機を持ち上げて
「そうですね。でも、その、もう1台のは何ですか?」
差し出したトライバンドの無線機には目もくれずに倉田は床に置かれたデジタル無線に目を向けた。
その倉田の態度に古川は怪訝そうに眉をひそめつつもデジタル無線を倉田に手渡す。
「デジタル通信方式の無線ですよ。何に使ったのか。。。」
そんなことより海保無線の傍受を。。。と言いたいのを飲み込む。
「やっぱりデジタル無線を使ってたのか。。。」
低く、そして静かに呟いた倉田が唇を噛む。
「どういうことなんですか?」
倉田の言っていることが全く理解できない古川がオウム返しに聞く。
「河田さんが船団を出すたんびに、我々はデジタル無線の信号を受信していたんです。長いものから短いものまで通信時間は様々でした。やっと分かった。長い通信は通話による通信、短い通信はCICのデータを横取りしていたものだったんです。古川さんは気付かなかったのかもしれませんが、彼らはデジタル通信を駆使していたんです。」
倉田が熱を帯びる。
「なぜデジタル通信を?確かにキャビンにはトランシーバーもありましたが、デジタル方式と書いてありました。」
「データ通信だけなら納得でしょうが、通話にも使うということは、目的はただ一つ。彼らは聞かれたくないんですよ。通話の内容をね。警察無線と一緒です。あれも聞かれたらマズいんでデジタル化したんです。
昔30年以上前ですが、警察無線を傍受しながら上手く逃げ回った犯人がいて問題になったんですよ。それでデジタル無線にすることで通話音声をデジタルに置き換えることで、暗号化したのと同じ効果を得るようにした。というわけです。だから普通に聞いても雑音しか聞こえないんです。」
倉田が訳知り顔で解説をする。この人はきっと多趣味なのかもしれないな。古川は頷きながら講釈を聞いた。ということは。。。
「じゃあ、この無線機を使って河田さんの行動を知ることが出来るということですね。」
「いや、まだ待ちましょう。状況が判らない。あちらも、こちらもね。少なくともあちらはこの船が何者かに奪われたことだけは把握している筈です。多分このタブレットが、この船の位置情報を送っているのでしょう。だとすると、我々が聞くことの出来るチャンネルで偽の情報を流す可能性があります。
まずは状況を把握しましょう。」
合点がいったと言わんばかりに弾んだ声が倉田の次の一言に一蹴された。倉田はそんな古川の様子には微塵も気をくれず、トライバンドの無線機に海保の周波数をセットする。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹