尖閣~防人の末裔たち
51.妨害
「元自衛官のくせに、自衛隊を何だと思ってるんだっ。」
怒りを隠さない倉田の声が狭いキャビンで弾ける。
黒地に白い線で描かれた島の輪郭や、航空機や、艦船の所在を示す多くの輝点が散らばっている。倉田にとっては、今まで飽きるほど見てきた画面のデザインだった。そしてもう二度と見ることはないだろう、と諦めていた懐かしい画面でもある。
しかし、懐かしさよりも怒りが噴出するのは、自分の位置を示す中央の輝点が今乗っている「しまかぜ」と名付けられたボートではなく、かつての僚艦DD132「あさゆき」であることだった。倉田にとっては信じがたいことだが、それが事実であることを画面右下の「接続先;DD132」という小さな文字が雄弁している。その隣にはホームページでお馴染みのボタンのように「送信」「受信」という文字が四角で囲まれている。ちなみに今は、「受信」というボタンが赤く塗りつぶしになっており、文字が白抜きになっていた。
「「あさゆき」のCICがハッキングされているというわけですね。」
冷静を取り繕っているようでも、倉田の声が怒りで震えているのがその雰囲気から感じ取れる。
「結局これを作るためだったのか。。。」
権田が唸る。
「どういうことですか?」
タブレット端末から驚いたように倉田が顔を上げる。
「自衛隊の中で、情報流出の噂をキャッチしましてね。それを調査していたんですよ。河田さんに繋がっているようだという感触は得ていたんですけど、何しろ証拠がない。。。なかなか尻尾を掴ませてくれなかったんです。」
「それで俺に河田さんの密着取材を勧めたんですか?」
会話に割り込んだ古川が語気を強めた。顔が紅潮している。
「いや、それは違う。お前の仕事に箔がつくと思ったから紹介したんだ。これで当たれば一躍「時の人」になれると思てな。。。」
権田が古川に顔を向けると、ゆっくりと諭すように答えた。それでも古川の顔に怒りと不信の色が消えないのを認めた権田は、思い詰めたように口を開いた。
「お前が社を辞めた後、俺はある事件がきっかけで、ずっと河田に弱味を握られてきた。。。これは俺の問題なんだ。自分のことは自分で決着をつけるつもりだった。だから、この情報漏洩問題を調査してきた。尖閣の取材の件は、全く別だ。適任者を紹介してくれ。と言ってきたんだ。もっとも、あいつらは俺がなびいていると勘違いしていただろうから、どうにでもなるジャーナリストを期待していたのかもしれんがな。でも俺にはそんなことは関係ない。尖閣問題は茶番じゃ済まされない。と俺は思っていた。包み隠さず本気で取り組まなければならない問題だと思うんだ。だから本気で取り組んでくれるし、知識もある。そして何よりも信用に値する。お前を選んだ。それにお前にとっても仕事的には滅多にないチャンスだと思ったんだ。。。だが、許して欲しい。この段階になってお前を巻き込んでしまったことを。それだけじゃない。。。えっちゃん。悦子さんを巻き添えにしてしまって、しかも危険に晒してしまったことを。。。どうしても河田には逆らえなかった。。。」
ひとつひとつの言葉を確かめるように語る権田は、終いには土下座をしていた。永年目標にしてきた先輩が崩れていくのを目の当たりにした古川の心に何故か熱いものがこみ上げてきた。
河田を許せない。。。
古川は、首を横に振りながら権田の肩に手を起き、静かに声を掛けた。
「顔を上げて下さい。権田さんは何も悪くない。権田さんの方こそ巻き込まれたんです。許せないのは河田さんの方だ。何を企んでいるのか判りませんが、絶対ぶっ潰してやりましょう。」
古川の言葉に権田がゆっくりと顔を上げる。その目は無念で赤く濁り、潤んでいた。
「私にも協力させて下さい。息子を殺され掛けた。そして息子の翼を奪われた父親としてだけでなく、国を守る自衛官の端くれとして。。。この国を危険に晒すことはできない。まして彼らはOBだ。私には止める義務がある。。。」
2人のやりとりを真剣な眼差しで見つめていた倉田は、2人の肩にそれぞれ手を置くと、力強く語りかけた。
「田原君は捕まったらしい。」
河田が海保の巡視船に双眼鏡を向けたまま呟くように言う。その視野には一度海面に降ろしたゴムボートを収容し始めた職員達の背中が映っていた。
よし、それでいい。奴等はゴムボートを出すのを諦めたらしい。
オレンジ色のライフジャケットは戦うというよりは、発見してもらうのが目的であり、おおよそこの島を奪還するには不向きな装備だ。それで我々に立ち向かおうとするなんて、指揮官は軽蔑に値するが、こちらに向かおうとした職員達の勇気には敬意を払うべきところだ。。。
そんな事を思いながら双眼鏡を降ろすと、傍らの藤田に目を向けた。
目を細めて空を見ていた藤田が視線を河田に向け、顔をしかめる。
「信じられませんな~。どこからそんな情報を?」
訝しがる藤田に、河田は溜息をつくと、再び重い口を開いた。
「捕虜にした海保の隊長が言っていた。今朝ウチの石垣事務所が家宅捜索を受けて。そこで縛られた状態の田原君が発見され、そして同じ部屋で松土君が死んでいた。」
怒りのあまり強く握られた河田の拳が白くなっている。
「松土が?なんでそんな事に。。。田原さんが縛られていたということは、古川達が殺した。ということですか?」
松土という信頼していた部下を突然亡くした藤田の声が震える。
「詳しい状況は分からないが、射殺されていたそうだ。しかも撃ったのは田原君とのことだ。。。自供したんだそうだ。状況はどうであれ、あいつが松土君を撃つとは。。。すまない。松土君は君の大事な部下だったのに。。。」
河田は、頭を深く下げ腹心の部下の不始末を詫びた。
「死んでしまったものは悔やんでも仕方がないです。今はあいつの。。。松土の冥福を一緒に祈りましょう。あいつは、、、やっと嫁さんの所へ行けたんだ。と思ってやりましょう。」
「そうだな。」
本当にすまない。
心の中で河田は、もう一度藤田に詫びた。
松土は阪神大震災の時に藤田の部下だった。東日本大震災の時は既に退官していた藤田にとって震災といえば、阪神大震災のおとだった。酒を飲むと当時の事を涙ながらに語っていた。その中に松土の話も出てきたのだった。信頼できる部下故に無理をさせた。まさか嫁さんがあんなことになっていたとは。。。と語る事もしばしばだった。そんな状況になかった。と言い訳をしつつも、よほど後悔していたに違いない。そんな「不幸にしてしまった部下」を亡くした藤田の無念はいかほどか。。。きっと、彼の松土への後悔に、私の団体に誘ったことが追加されるだろうな。。。松土君、安らかに眠れ。。。
「そもそもなんで家宅捜索をされたんですか?」
黙とうから目を開けると、それを待っていたように顔を向けた藤田が鼻水を軽く啜りながら聞いた。目が涙を貯えているように潤んでいる。
「こないだの海保ヘリ銃撃の疑いが掛けられた。とういうことだ。古川さんの写真が海保に流れたらしい。。。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹