尖閣~防人の末裔たち
佐竹は若いとはいえ、そこは海上保安官、どんな状況でも上官に対する接し方は身に染みている。
「おはよう。御苦労、佐竹二士。建造物周辺に人影は見えるか?」
甲高いが語りかけるように響く落ち着いた船長の声が、佐竹が冷静になれるようにひとつずつ質問をする。
落ち着かなきゃ。。。
佐竹は、深く息を吸うと、ゆっくりと吐きながら双眼鏡を目に当てた。
「はい。人影は見えません。。。いや、ちょっと待って下さい。。。今人が出てきました。4,5,6。6人。あっ、日の丸を、国旗を揚げ始めました。」
「こちらでも確認した。」
船長の声にも心なしか興奮の色が見え始めてきた。
「ばかな、いつの間に建てたんだ。。。」
「おいおい。。。過激だな。」
見張りからの報告に、左舷を注目していた船員達が顔をしかめ、船橋内にざわめきが起こった。
「昨日は影も形も無かった人や建物が、一夜開けたら出現した。それだけのことだ。驚くことはない。追い払うまでだ。」
と、船橋に響きわたる声で一喝すると、船長の近藤がマイクに向かって口を開いた。
「通信!石垣へ連絡。
魚釣島に数名規模の上陸あり、侵入者は、鰹節工場跡地付近に建物を構築した模様。現在国旗を掲揚中」
通信担当の復唱を確認すると、続けて
「僚船に連絡、魚釣島に上陸者。我に続け!」
と声を張り上げた。
巡視船「ざおう」は、石垣海上保安部の巡視船「みずき」及び巡視艇「なつづき」と行動を共にしていた。「ざおう」が最も大きいという理由よりも、近藤の階級が上であることから、この海域に不慣れながらも、「ざおう」船長の近藤がこの船団の指揮をとっていた。
僚船の返事を確認すると、近藤は、
「微速前進、進路355度」
を命じた。
「了解。微速前進。355度」
キビキビとした復唱が跳ね返ってくる
さあ、日頃の訓練の成果をお披露目と行くか、
搭載ヘリコプターを銃撃という最悪の事態で失ったことに対する不安を微塵も見せない部下達の行動に、近藤は満足げに微笑んだ。
尖閣諸島へ出港する度に問題を引き起こす河田船団の行動は、石垣海上保安部では、注目の的だった、いや、今や、彼らの行動は、全国区と言っても過言ではない。それは、尖閣諸島沖の銃撃事件で副操縦士の倉田昇護を失った海上保安庁ヘリコプター「うみばと」のクルーにとって、敵のような存在になっていた。
「奴らが、中国人を煽らなければ。」
というのが、彼らの正直な気持ちだった。
海保のヘリが好きでたまらなくてやっと夢を掴んだ男。
なかなかプロポーズ出来なかった情けない男。
遂にプロポーズしたと思ったら、彼女から返事を貰えずに悶々とした日々を送っていた煮え切らない男。。。
愛すべき彼らの弟分の命を奪おうとした、いや、パイロット人生は奪われたかもしれない。いや、あいつは人生を失ったも同然かもしれない。
・・・一命は取り留めたものの、後遺症でパイロットとしての命は奪われた可能性が高い、という話は既に彼らに届いていた。・・・
事件のきっかけを作った河田達を許せないのが、彼らの本音だった。もちろん、海の安全を守る男として建前は別だというのことは理解しるし、そもそもそんな価値観で判断するまでもなく河田達が危機に晒された際には躊躇無く助ける対象であることは、体に、そして精神に刻み込まれている。それは彼らにとって疑いようもない本能であり、誇りであった。
河田船団出港の情報に基づき、「うみばと」のクルーは、朝7時には出動するように昨日の夕方には既に命令を受領していた。
・・・今度こそ好きなようにはさせない。・・・
一夜開けてもその熱は冷めることなく、彼らは、仮の住まいだった宿舎を手早く片付けると、荷物をまとめて早々に朝食を済ませ、機体の確認を行っていた。
昇護の血のりで塗られた副操縦士席は、たまたま基地にストックされていた予備の座席と交換されていたが、穴の開いた足下のアクリルの窓はテープで補修されただけであの時の記憶を生々しく物語っていた。そして、クルーの思いに改めて怒りの火を植え付けていた。
銃撃事件で負傷した昇護を護衛艦「いそゆき」に緊急着艦して引き渡した後、機上整備員の土屋が機体の点検を行い燃料の補給を受けた後、新石垣空港に隣接した石垣航空基地に移動してきていた。
今日の任務は、昨日午後石垣からおそらく尖閣諸島へ向けて出港した河田船団の監視のため早朝離陸してその後、もともと所属していた巡視船「ざおう」に着船して、合流するというものだった。本来なら負傷した昇護の代わりの副操縦士が着任するまで、待つべきであったが、そんな余裕は今の海保にはなかった。それに、母船である「ざおう」が近海にいるうちに「うみばと」を返してやらなければ後々運用面で面倒なことになる。とりあえず石垣航空基地所属で昨日非番だった加藤という30歳直前の副操縦士が、しばらくの間、臨時に「うみばと」の副操縦士を務めることになった。石垣基地のヘリコプターは、現在新型のAW139型しか配備されていないが、加藤は、3ヶ月前まで「うみばと」と同型のベル212型を飛ばしていた男だった。
たまたま非番だったというよりは、自分が身軽な独身だから選ばれたんですよ。と挨拶の時に笑いながら頭を掻くあたりが打ち解けやすい気さくな加藤の人柄を現しているようで、クルー一同安心した。
さすがに早朝の出動前に飲み会は気が引けたので、昨夜は夕食がてらにささやかな「歓迎会」を行った。
久々に母船の「ざおう」に帰れることもあり、早めに出てきたクルーは、出動の50分前には既に機体の点検を終えていた。
急にする事のなくなったクルーは、雑談をしたり、河田船団の行動の予測に憤ったり、機体に積んだ身の回りの荷物の点検を行い、思い思いの時を過ごし始めていた。
その彼らの前を、吹かし気味にタービンの甲高い金属音を響かせながら「うみばと」同じように白地に水色や濃い青のラインを纏ったビーチ350が慌ただしく横切っていった。機種には「きんばと2号」と愛称が描かれている。その上の窓から乗員がこちらに敬礼をしていた。
ビーチ350は、プロペラ機では名門のアメリカビーチクラフト社の双発ビジネスターボプロップ機で、1964年からいまだに生産され続けているベストセラー機、キングエアシリーズの中でも新しい胴体延長型のシリーズ350を海保が採用したものだった。
「あれ?なんで「きんばと」さんが?ずいぶん慌てているようだけど、出動の予定になかったよな?」
ドアを左右にいっぱいに開けっ広げたままのコックピットに座って副操縦士の加藤と河田船団について雑談をしていた機長の浜田が「きんばと2号」に敬礼を返しながら誰にともなく声を出した。
「いや、魚釣島の状況確認のため、急に出動命令が出たようです。」
少し前から傍受していたのだろう、レシーバーを耳に当てて無線の点検をしていた機上通信員の磯原がキャビンから少し得意げに話に飛びついた。キャビンの左右両側のスライドドアも暑さのため全開にされていた。
浜田が、緊張を和ませようと気の利いた言葉を見つけるよりも前に、磯原の表情が険しくなった。
「了解、今呼びます。」
マイクに吹き込んだ磯原が、浜田に目を向け
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹