尖閣~防人の末裔たち
48.仇討ち
暗闇に小さく点滅する明かりを目指して進んだゴムボートが底を海中の岩に擦る歯切れの悪い音を立てる頃、船首で屈んでいた男が陸地にロープを投げた。陸地に引き寄せられて動きが止まると、
「どうぞ、長官。」
とロープを握った男が声を掛けた。
御苦労。と、男に労いの言葉を掛けた河田が、慎重に岩だらけの海岸に降り立った。ゴツゴツした危険な岩場を想像していた河田だったが、先発隊が岩場に被せるように敷いた毛足の短く長い絨毯のような厚手の布が、滑り止めと、怪我の防止の役目を果たしていた。
ボートからは小さくても頼もしく点滅して河田の「上陸部隊」を導いているように見えた魚釣島灯台の灯は、近付いた今もその明かりは小さく輝き、その灯台の存在とは裏腹の小ささを物語っていた。
今でこそ、魚釣島灯台として海上保安庁に管理されているこの灯台は、1978年に日本のある団体によって建設されたバッテリー式の灯台に由来する。その後、この灯台は1988年に10周年を機に新調され、さらに2005年2月にはこの灯台を国に無償譲渡したことで海上保安庁の管理下に置かれたものだった。
ついにここまで来た。。。
今は暗くて見えないが、東西3.5km、南北1.3km、そして標高362mの奈良原岳や320mの屏風岳を擁する自然と、かつては、日本人が住み、鰹節工場があったこの島の歴史ある地に立った河田の胸に熱いものが込み上げてくる。
河田と藤田は、部下に案内されるがままに、平坦だが岩がゴツゴツとした磯のような場所を歩いていった。低騒音型の発電機の低い安定した音が一度近付いて遠ざかった頃にノクトビジョンに輪郭をぼやけさせながら映る真っ白い四角い物体が映った。案内の部下が合図をすると、眩しいくらいに白かった四角が薄くなると、河田は幕を開けた部下に続いて四角の中に入った。
「ノクトビジョンを外してください。」
部下の言葉に、ノクトビジョンとヘルメットを外すと、室内の明かりに目が眩んだ。河田は、同じように眩しさに目を細めている藤田と顔を合わせた後、周囲を見回し、おお~。と感心の言葉を漏らした。
河田達が入った四角く見えた物は、この尖閣上陸で司令部として作られた建物である。建物とはいっても、建設現場で足場の骨組みに使われる単管パイプとジョイントで作った骨組みに明かりが漏れないように遮光幕を張った建物であった。幕は、布だと思われないようにコンクリート打ちっ放しの壁に見えるような模様として重厚感を持たせてある。
この建物は、先遣隊として上陸した元陸上自衛隊で駐屯地司令の経験も持つ藤田の部下で、施設教導隊で活躍したこともある土木建築のエキスパートをリーダーとしたチームが、予定通り約1時間で仕上げた野戦司令部だった。間もなく別働隊が奈良原岳にレーダーその他の無線基地を完成させる頃だった。
「ご苦労」
敬礼する部下達に河田と藤田は答礼した。
室内で各種端末を操作していた男達が、立ち上がって敬礼していた。深夜とはいっても真夏である、しかも南の島、普通なら寝苦しいほどの暑さになるであろうが、彼らは汗ひとつかいていない。洋上の巡視船を警戒して明かりを漏らさないようにしつつも風の流れをうまく作った野戦司令部の中は、快適で外よりも涼しいぐらいだった。
元海上自衛官で、河田水産の経営者でもある河田は、海に関すること全般と当然ながら経営、雇用の確保を担当し、元陸上自衛官の藤田は、河田水産の志ある社員(とはいっても事務の地元女性を除いた殆ど全員しかも元自衛官)に対して、陸戦・陣地構築の指導をしていたが、何よりも南西諸島に無数にある無人島のお陰で訓練場所には事欠かなかったのが幸いした。実戦に即した訓練に勝る錬成はない。それが藤田の信条だった。
「田原君から連絡は?」
河田は、ヘッドセットを被った男に尋ねた。
「今のところ、何の連絡もありません。」
その答えに河田の目に一瞬の翳りが現れたのを藤田は見逃さなかった。指揮官たる者、部下の前での感情の起伏は出さない方がいい。特に不安な面は。。。さすがに部下は気付かなかったようだが、藤田の目は誤魔化せなかった。
「まだ古川さんが石垣に現れないと見た方がいいようですね。」
藤田は、最も客観的で、それが故に無責任にも思える予測を、さりげなく伝える。進展が無いなら無いなりに連絡を入れて来ないことを河田が不審に思っているのは承知の上での言葉だった。少なくとも部下は不安には思うまい。
「「しまかぜ」の【鷹の目】は、起動しているか?」
藤田の言葉に感謝を込めた眼差しで軽く頷いた河田は、別の質問をする。
【鷹の目】は、河田達が、自衛隊から様々な情報と技術を持ち出して開発した多機能戦術システムのことで、護衛艦のCICの情報さえ見ることが出来る。
「「しまかぜ」の【鷹の目】からの信号は、キャッチしていませんので、起動させていないと思われます。」
事実から判断した明朗な答えが返ってくる。そこには一抹の不安も含まれていない。
河田は、その態度に満足そうに頷くと
「了解。キャッチしたら報告してくれ。」
と念を押しておいた。
連絡が来ないということは、連絡が出来ない何か、が発生したと考えるべきだろう。しかし、作戦は始まっている。もしそれが古川さんの仕業だろうが、誰の仕業だろうが、田原を止めることは出来ても作戦自体を止めることはできまい。。。いずれにしても、「しまかぜ」の【鷹の目】を使用すれば、場所を掴むこともできる。それから対処を考えるしかない。
今はいたずらに不安を煽るべきでは無いな。。。
そう結論づけた河田は、藤田に目配せをすると、小便に行く。と言い、ノクトビジョンを再び被って野戦指揮所を出る。あ、俺もと言って藤田が続いた。
「うーわ、マジか?」
その形状からウィング船橋脇の張り出し部分で双眼鏡を覗いていた、佐竹二等海上保安士は、格好に似合わない今時の若者の口調で叫んだ。驚きのあまり地が出てしまった。というところだろう。
彼が乗り組んでいる海上保安庁巡視船「ざおう」は、釜石の第2管区海上保安部所属だが、応援のため尖閣諸島に派遣されていた。数日前には搭載ヘリコプターのパイロットが銃撃される事件まで起き、思っていた以上の緊張の連続だったが、若者らしくすっかりその雰囲気に慣れてしまった佐竹二等海上保安士をもってしても、驚かせるモノが、その双眼鏡の視野に広がっていた。昨日は全く存在しなかったモノが確かにある。日の出の頃は気付かなかったが、日が高くなるにつれてその存在が明確になってきた。
コンクリートの。。。建物?
口の中で呟いた佐竹は、無線で船橋を呼び出した。すぐ近くが船橋だが、持ち場を離れるわけには行かない。
「こちら船橋。どうした?」
特徴のある高めの通りの良い声がレシーバーに響いた。「ざおう」船長、近藤三等海上保安監の声に間違いなかった。聞き慣れた、というよりは、特徴的なのですぐに分かる。
朝から船長のお出ましだぜ。でも話は早い。
「おはようございます。左舷見張りの佐竹二士です。魚釣島灯台付近に建造物らしき物を発見しました。」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹