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尖閣~防人の末裔たち

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 あと10分で電車が来る。暑さと緊張で喉が乾いた。1本目のビールを飲んでしまおうかと、手を伸ばしたとき、再び電話が鳴った。古川は左手でビールを持ったまま、折り畳み式の携帯電話を慣れた手つきで右手だけで開いた。着信画面の「河田 勇」という文字を目にして携帯電話をホームに落としそうになって慌てて両手でつかむ。左手から離れた500mlの缶ビールが重力に従って落下し、鈍い音を立てて今度はホームを線路側に向かってゆっくりと転がりだした。大抵の列車のホームは、線路側に傾斜がついているのを古川は忘れていた。
「ふ~っ、」
駆け出した古川は、つま先で缶ビールを止めることに成功した。これなら、携帯を落とした方がマシだったかもしれない。でも、ビールをかばって携帯を落とすのはいかにも飲兵衛っぽいな。と自虐的に照れ笑いをするが、周りには誰もいなかった。そんな古川を現実に引き戻すかのように着信音は鳴り続けていた。。
いつもは田原が電話をしてくるので、河田から直接電話が掛って来たことはなかった。。。ただ事ではないと、心臓が警鐘を鳴らすように音を立てているようだった。
 意を決して古川はボタンを押した。そして録音ボタンも押す。用心に越したことはない。俺にもしもの事があったとしても、この携帯さえ無事ならば、、、いらない機能ばかり付けてると思っていた携帯電話が頼もしく思えてきた。俺はタダでは死なない。
「はい。古川です。。。先日はお世話になりました。」
 河田はいつもの調子で名乗ると、「確認なんですが。。。」と切り出した。
-先日、田原のほうからお願いした写真の話、権田さんから聞いていますか-
 探るような河田の視線が目に浮かぶ。
「あ、はい。伺っております。お金なんかいいですよ。欲しい写真があればデータを送ります。というか、確か、船でメールを使わせて貰ったときにお借りしたパソコンに写真のデータを全部残したままにしてしまって。すみません。でもそこから写真を使っていただいて結構ですよ。一応使った写真のファイル名と使用目的だけ御連絡頂ければ、知らないところで私の写真が出回るのだけはさけたんです。」
いつも通りの話し方を心掛けたが、いつの間にか早口になっているのに古川は気付いたがどうにもならない。途中から、河田の相槌が聞こえなくなると、なおさら焦りが出てしまった。まずい、バレたか?
-古川さん。。。単刀直入に言いましょう。あなたはDVDに写真データをコピーしましたね。しかも同じDVDを3枚も作りましたね。どこでどうお使いになろうとしているかは聞きません。その3枚、500万円で買い取ります。あなたに迷惑を掛けたくないんです。
珍しく抑揚のない河田の声が淡々耳に響く。古川はその声が冷徹に自分を追いつめているのを感じた。しかし引くことはできない。真相を暴くまでは。。。河田が何を思って行動したのかとは別問題だ。
「いや、あれをお売りすることはできません。1枚差し上げることは出来ますが。」
古川は、キッパリと言った。相手の顔が見えない分、言うだけなら何とでもなる。自分に言い聞かせていたが、拾ったビールを持つ左手は素直に震えていた。
-分かりました。残念です。-
 電話は一方的に切られた。
 全てがバレている。。。せめて倉田艦長には渡さねば。。。
 茫然と立ちすくむ古川を急かすように電車がホームに入るアナウンスが流れた。


 権田は、ムカつく胃よりも、頭痛に耐えられずに、ベッドに横たわっていた。エアコンで部屋を過剰に冷やし、タオルケットに頭まで潜っている。子供の時からそうだ、頭まで布団を被ると安心する。妻にもよく笑われたっけ。思い出が頭痛の痛みと絡まりスパイラルしながら頭の中を巡っているうちに、いつの間にか鎮痛剤の睡眠作用で眠りに落ちていた。
 少しずつ意識が覚醒し、睡眠から覚めたのがことを自覚し始めた権田の五感に、頭痛と胃のムカつきが少しずつ蘇ってくる。くそっ、まだ駄目か、、、何時なのか分からないが、もう少し眠ろう。古川に連絡したし、今日はもうすることはない。。。
 どれぐらいまどろんでいただろうか、携帯電話の着信音が、眠らないなら起きろと言わんばかりに派手なロックを鳴らす。片手で枕元の携帯電話を探り当てると、発信者も見ずに電話に出た。
「はい、権田です。」
権田の寝ぼけたようなしまりのない声がタオルケットに吸いこまれる。
-河田です。御無沙汰してます。-
「あっ、河田さん。。。お久しぶりです。」
-写真の話し、田原君から聞いてますよね。いろいろ骨を折って頂き、ありがとうございました。-
河田の声が、耳に響く。これぐらいの声なら頭痛に響かない。さっきの、高村のキンキン声とは雲泥の差だ。礼を言われるということは、古川が応じたということか?権田の中で安堵と失望が入り混じる。
「いえいえ、私は話を取り次いだだけですから。」
-ひとつ頼みがあります。-
河田が声を潜めるのが分かった。
「何でしょう。」
権田は、いつの間にかベッドの上に起き上がっていた。
-古川さんは、応じてくれませんでしたよ。
ある女性を石垣の事務所に連れてきてください。古川さんが取材中に大怪我をした。と言えば来てくれる筈です。経費は、すみませんが立て替えておいてください。もう他に手は無い。-
 淡々と語る河田の声が権田の頭に不気味に響く。あの事件以来、河田や田原に弱みを握られている権田は河田に断るという答えが無いことをお互いに承知している。でも一体誰を連れ出せというのか。。。
「古川の身を案じる女なんているんですか?」
-その筈です。携帯のメールで住所を送ります。急ですみませんが、事は急を要する。先方がいるかどうか分かりませんが、今から行けば、明日の午後にはこちらに着くでしょう。細かいことは、田原君と連絡を取ってください。では、よろしくお願いします。-
有無を言わさず電話が切れた。
 古川の身を案じる女なんているのか?しかも、大人の女が、何の疑いもなく見知らぬ男について来るだろうか。。。
 茫然と電話を見つめる権田は、いつの間にか頭痛も胃のムカつきも消え去っていることに気付いた。
携帯がバイブで震え、画面がメールの着信を告げる。
 権田は、慌ててメールを開く、便利になったもんだ。手紙だったら中身が知りたくて封筒を急いで開けるため、口がボロボロで見苦しくなってしまうが、メールはそんな心配はない。こんな時に、どうでもよいことが頭をよぎる。
-先程話したの女性の住所です。よろしくお願いします。河田-
とだけ記された文面を一瞥すると、添付ファイルを開いた。
それは、葉書かなにかの差出人を写真で撮ったものだった。几帳面で繊細な文字が映る。権田は拡大して少しずつスクロールしながら、読み取っていった。
栃木県小山市。。。
田中 悦子
「えっちゃん。。。」
 権田は言葉を失い、思考が真っ白になる。
 これを俺にやれというのか。。。あまりにも残酷すぎる。。。
 権田は体の底から冷たい何かが湧きあがり、体中が凍りつくような寒気を覚えた。そんな権田の思いとは無関係に強風を送り続けるエアコンの音だけが部屋に響いていた。
 
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹