尖閣~防人の末裔たち
海上保安庁は終戦から3年過ぎた1948年に設立され、戦時中に海軍予備士官と言われた高等商船学校の卒業生を中心に組織された。彼らは高等商船学校を卒業すると海軍予備少尉または海軍予備機関少尉として任官し、戦時中は、駆逐艦より遙かに小さい商船護衛、沿岸警備用の海防艦の艦長や機関長、その他補助艦艇の艦長や機関長として船団護衛や、沿岸防衛に務めた。また乗り組んでいた商船ごと軍に徴用されることもあり、日向に日陰に正規の海軍士官に負けない活躍をしていたのである。一方で海上自衛隊の前身である海上警備隊は、1952年に海上保安庁内に設立され、海軍兵学校出の旧日本海軍正規士官を中心に組織された。旧日本海軍は、海軍兵学校出身者を偏重する組織であり、予備士官は常に正規士官より下位とされ苦渋を舐めてきた。さらに太平洋戦争での戦死者は、高等商船学校出の予備士官が正規士官を上回っていたこともあり、同じ大日本帝国海軍の伝統を引き継ぐ海上保安庁と海上自衛隊ではあったが、至るところで禍根が残っており、互いを目の仇としてきた感は否めない。そんな状況の中1999年に発生した能登半島沖不審船事件で海上保安庁が対処できる能力を超え、海上自衛隊に初の海上警備行動が発令されたことから、共同対処が必要であることが明らかとなり、情報連絡体制の強化や合同訓練が行われるようになり、両者の長年の疎遠関係を改善するきっかけとなった。
それでも長年の禍根が残っていた影響は、風土として互いの組織に残っており、海保-海自間のコミュニケーション強化だけでなく、現場の人間の意識改革が必要不可欠であると冨沢は考えていた。
少し間が空き
「確かにここまで来ていて、手を出せず海保任せというのは歯がゆいものがある。クルーの士気に影響は出ていないと思うが、君はどう思う?」
倉田は静かに口を開いた。
海保に息子がいる護衛艦艦長が、目の前で緊張状態のさなかにある海保の巡視船に何もしてやれないことは無念に違いない。冨沢は倉田の横顔を見たが、夜間のため照明の落とされた暗い艦橋のなかでその表情は読み取れなかった。
「すこぶる良好です。心配ありません。」
視線を前方の海面に向けたまま冨沢は努めて明るくと答えた。
「そうか、すこぶる付きか。なら安心だな。逐一海保と連絡を取り情報を共有することで、この海域で共に国を守っているという一体感をクルーに感じてもらおう。よろしく頼む」
と倉田は静かに自分に言い聞かせるように言った。
前方の凪いだ海面は、月明かりを受けて細やかで優しい光を放っていた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹