尖閣~防人の末裔たち
3.艦隊
日本、中国、そして台湾が領有権を主張する尖閣諸島は、石垣島の北方約130kmから150kmに点在する魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島などの島々で構成されている。いずれも現在は無人島となっているが、戦前は定住者もあった。そもそも尖閣諸島は1885年から1895年の長きに渡り当時の日本政府が領有状況を確認し、隣国であり現在は中国となった当時の清国など、いずれの国にも属していないことを確認したうえで、1895年1月14日の閣議で正式に日本に編入した。というのが日本政府の見解である。
尖閣諸島は、日本国に編入の年に、実業家の古賀辰四郎に期限付きで無償貸与された。その後、琉球諸島の住民が建設した船着き場や、古賀が建設した鰹節工場やアホウドリの羽の加工場などが存在し最盛期には約280名の島民が生活をしていた。1940年の事業中止に伴い無人島となったが、戦後1951年サンフランシスコで連合国との間で交わされたサンフランシスコ講和条約により戦後日本が正式に独立を果たしたが、沖縄だけはアメリカの施政下に置かれる事となり、これに合わせて尖閣諸島は沖縄の一部として、同じくアメリカの施政下に入った。その後1978年まで尖閣諸島の久場島と大正島を在日米軍が射爆撃場として使用していた。無人島から殆ど使用されることがない射爆撃場と化していた尖閣諸島であったが、1969年国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査により、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告されたことで一躍脚光を浴びた。1971年には、沖縄と共にアメリカから返還された尖閣諸島だったが、日本の防衛力、国際影響力の弱さに付け入るかのように日本返還のこの年、中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めた。それは海洋資源という獲物すなわち尖閣諸島を強国アメリカが手放すのを待っていたかのようであった。
その後、実効支配する日本と領有権を主張する台湾・中国側との間で、不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生し、2005年には沖縄近海における台湾漁船の抗議活動や尖閣諸島沖で不法操業を行っていた中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が発生した。さらに2012年9月に日本政府が尖閣諸島を地権者から買い取り国有化を果たしたことで中国国家海洋局の海監など、中国公船による尖閣諸島での領海侵犯が繰り返し行われている。また、中国の航空機による領空侵犯も行われ、この海域の緊張状態は予断を許さない状況にまでエスカレートしていた。
6月23日午前4時30分、空が明るくなり始めた頃合いを見計らって船上での人の動きが活発になってきた。その周囲の慌ただしい雰囲気を感じて古川は目を覚ました。フリーの記者になってから海外の紛争地域でも取材を行った経験から、古川はどこでも短時間で熟睡し、体力を温存する術を学んでいた。それがこの海でも活かされており長旅の上、漁船に揺られて眠っても目覚めはすっきりし、疲れも感じなかった。もちろん船酔いとも無縁だった。
古川はカメラを落とさぬようにストラップで首からたすき掛けに吊してカメラ本体を小脇に抱えながら狭い船室から甲板に出ると、3人の男が甲板上の荷物に掛けられたブルーシートを外す作業をしていた。古川は彼らに挨拶をしながら河田の居場所を聞くと、操舵室の上にいるという。舷側に設けられた狭い通路を操舵室へと向かい船首方向へ歩いていく。漁船にしては大きい方だが通路から海面が間近に感じられる。古川は慎重に船べりを掴みながら進んだ。船の中央近くまで通路を進むと操舵室の屋根上へと通じるハシゴのような細い階段がある。バランスを崩しそうになり手摺を掴む手に思わず力が入る。これが荒れた海だったらと思うとゾッとするな、と古川は一瞬背筋に寒気が走るのを感じた。あと数段で登り切るところで、河田が古川に気付いて右手を差し伸べてきた。左手には大きな双眼鏡を持っていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
河田は、早朝にも関わらず清清しい笑顔で古川を迎えた。
「ええ、お蔭様で、今までいろんな場所で取材したので、どこでも熟睡できるように心掛けてはきましたが、まさか漁船にも順応できるとは、自分でも感心してますよ。」
古川は、昨夜は分からなかったが、昔に比べてこの人は随分色黒になったな、と思いながら河田に言った。続けて古川は
「今はどの辺ですか?」
と尋ねた。
「尖閣諸島まであと60海里(約111.2km)です。」
と河田は誇らしげに答えた
「そうですか、もう少しですね。」
これから、河田はどういう行動をするのだろうか?という期待と不安に古川の声音は河田とは対象的となった。
少なくとも不安だけは紛らそうと
「以前、海自にいらっしゃった頃と比べて随分日焼けなさられましたね。」
失礼かとは思いつつ古川はストレートに聞いてしまった。
「退官してから石垣で漁業をやってますから焼けたんでしょうな。」
と河田は言った。
古川は驚きの眼差しで河田を見つめる。元自衛艦隊司令官で最終階級が海将の河田には、多くの天下り先があったはずだ。その河田が漁師をしていることに古川は驚かずにはいられなかった。
「えっ、そうなんですか?河田さんなら引く手あまただったんじゃないですか?もしかしてこの船は?」
いくらなんでも船までは持っていないだろう。と思いつつも古川は興味津々といった様子で話を続けた。
「そうです。私の船ですよ。確かにいろいろな職の話はありましたが、私は海が好きなのでね。」
「そうなんですか、すごいですね。船を持っているなんて、他の船は漁協のお仲間なんですか?」
船を持ってるなんて本格的とかいう次元とは訳が違う、古川は、河田が海を選んだ理由を聞くのも忘れて羨望の眼差しを河田に向けた。
「いえいえ、こんなことに漁協は巻き込みませんよ。5隻とも私の船です。」
友人に玩具を自慢する子供のような笑顔で河田が答えた。
「すごいじゃないですか?失礼ですが、かなりの金額になるんじゃないですか?」
古川は、驚きを隠せず感嘆の声で聞いた。と、同時に本当にどうやったらこんなに金が出せるんだ?という半信半疑な気持ちも盛り上がってきた。
「いえね、お恥ずかしい話なんですが、自分の力じゃないんですよ。実は妻が沖縄出身でして、義理の父親が水産会社を経営していたんです。それで婿である私が退官後その跡を継いだんですよ。親の七光りというかなんというか。。。義理のですけどね」
河田は少し申し訳なさそうに語気を弱めた。
河田は、船を5隻も持っているなんて聞かされたら誰だってどんな大金持ちなんだ?って思うよな、みんな同じリアクションをする。婿の大変さなんて、誰も聞いちゃくれない。と思いながら今まで様々な人にのべ何十回も説明してきたのと同じ回答を古川にもした。
「そうだったんですか、私には良く分かりませんが、義理の親の跡を継ぐというのも大変な御苦労があったんでしょうね。」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹