尖閣~防人の末裔たち
写真の話をした翌日には東京を離れた。ということは、さしずめ全ての写真に目を通す暇はなかったのではないか、、、昨夜はかなり権田と飲んでいたらしい古川にそんな余裕はなかったはずだ。さらに、東京を離れたということは、マスコミ関係者と会う機会はない。つまり尖閣関係の活動ではない。ということだ。ということは、あの写真データを持ち歩いていないかもしれない。古川の留守を狙うことができれば、証拠となる写真を誰の目にも触れさせずに闇に葬り去ることができる筈だ。古川が真相の写真に気付く前に。。。もしかしたら事の重大さに気付いて引き返してくるかもしれない。。。急いだ方がいい。
田原は、再び携帯電話を取り出すと、河田の携帯に電話をした。
きっかり3度目の呼び出し音で繋がる。
「田原です。いまお時間よろしいいですか?はい。古川さんは、既に東京を離れていまして、、、そうです。直接の説得は無理でしたが、私に策があります。。。そうです。東京へ行きます。広田君と、藤田君を連れていきたいのですが。。。1日で結構です。事は急を要します。今から出て午後の便で東京へ向かいます。。。はい、ありがとうございます。」
田原は、誰もいない部屋で、電話の相手に頭を下げる素振りをしながら手早く用件を告げた。直接河田に会ってお伺いをたてる時間も惜しかった。電話を切ると、広田と藤田に電話をした。
幸い、2人ともすぐに連絡をとることが出来た。
古川は、東京駅9時ちょうど発のJR特急踊り子105号の車中にいた。夏休みも終盤のこの時期になっても、温泉と海で有名な観光地熱海へ向かうこの列車は、家族連れで満席だった自由席に対して指定席には少し空きがあった。指定席はお年寄りの男女のグループや老夫婦が多い。やはり家族連れは少しでも安く、子育てを終えたお年寄りは優雅に。ということだろうか。古川は、指定席に座り、モバイルギアを取り出すと、キーを打ち始めた。様々なシーンでビジネスマンが使用することにこだわって設計されたモバイルギアのキーボードは、タッチがしなやかで心地よく、しかも静かだったので、昔話に華を咲かせながら温泉旅行を楽しむ老人達も古川を見ない限りは、忙しなくキーを打っている姿に気付かずに温泉旅行の雰囲気を楽しめるだろう。間もなく車内改札に回ってきた車掌に指定席料金を払った。キーを打つ手を止めるた古川の耳に車内の老人達の会話が入ってきた。かわいい孫自慢や、やっと娘が嫁に行って喜んでいたが、寂しいという話。はたまた、息子の離婚問題で孫を取り上げられるかもしれないという話を涙声で言う女性など、家族の話題に、気まずくなったのか昔はああだった、こうだった。という話が主流になってきた。
高度経済成長が落ち着き、世界に冠たる経済大国となった日本。明るい未来を抱いて職についた矢先にまさかのオイルショックに社会構造が大きく揺さぶられたさなかを乗り越え、御褒美のように訪れたバブルの華やかな時代を謳歌し、天罰のようなリーマンショックを味わって、そのダメージを回復しきることなくリタイヤの年齢になってしまった企業戦士たち。。。職を失うことになった人もこの中にはいるかもしれない。。。そして、無事に勤めを終えた男達、家庭を守り、男達を支えてきた女達は、若い世代にバトンタッチした今、お互いに労を労い、ともに余生を楽しんでいる。。。平和な時代を精一杯生きてきた証として。。。
そんな老人達の顔に、河田や田原の面影が重なる。彼らは確かに同じ時代を生きてきた。しかし、河田達の老後はまだ訪れていない。
彼らが自衛隊に入隊した時代は、世界一広大な国土を誇るソビエト連邦(現ロシア)を中心とした東側諸国と、アメリカを筆頭とした西側諸国に世界が二分されていた。いわゆる東西冷戦と呼ばれる時代だった。ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米。。。第三世界と呼ばれる小国までもが東側か、西側かで別れた。アジアも例外ではなかった。一部の中立国を除いて、その勢力は西は自由主義陣営、東は共産主義陣営とも呼ばれ、単に軍事だけでなく、政治、経済、思想なども包括的に二分され、両者の溝は深かった。その勢力を伸ばすべく、各地の紛争やクーデターに陰に日向にアメリカやソビエトが支援した。共産主義を唱える勢力が政権を取れば東側の国が増え、民主主義を標榜する勢力が政権を取れば西側の国が増えるからだ。いわゆるアメリカ、ソビエトの代理戦争と呼ばれる戦いがあちこちで起こっていた。一歩間違えば代理では済まない、東西陣営の溝に一気に火が回る危機と常に背中合わせだった。いわゆる第三次世界大戦勃発の危機である。
東西冷戦の真っ只中に自衛隊に入った彼らは第三次世界大戦の引き金になりかねない状況で緊張に晒され続けた。当時、極東とよばれた地域の日本は、東側諸国の雄、ソビエト連邦と海峡を挟んだ至近距離で対峙し、中国、北朝鮮といった東側でも強力な国々と海を挟んで隣り合っていた。連日のようにソビエトの航空機が日本に近づき自衛隊はスクランブル発進を繰り返した。領空侵犯されたことも数え切れない。そして、核弾頭ミサイルを搭載したソビエトの原子力潜水艦が日本の周囲を遊弋した。そんな中で、法が整備されていない実状に苦しみ、自衛隊の存在を認めない政治家や多くの国民に虐げられながら、それでも彼らは日本を守ってきた。
そしてドイツを東側と西側に分けていた「ベルリンの壁」崩壊に端を発したソビエト連邦の崩壊により、あっけなく東西冷戦は終わりを告げる。多くの国で経営破綻した東側諸国は、急速に西側諸国と経済的つながりを持つようになり、凍った水が溶けて泳ぎ回る魚のように、民間レベルまで自由が及んだ。それは、それぞれの国が地域の実状や状況に合わせた自由な利害関係の再構築を促し、もはや複数の国家が同盟を組んで睨み合う意味を消し去ってしまった。そこで顕在化したのが、大国に対して燻っていた不満が爆発した大規模テロと、隣り合う国家同士の紛争や国益を掛けた領土問題である。日本でいえば、北朝鮮による不審船事件や拉致被害。韓国との竹島問題と中国との尖閣諸島問題が降って湧いたように顕在化した。これらに比べたら旧ソビエト時代から協議を続けてきた北方領土問題は、まだまだ健全な領土問題と言えた。
冷戦が終わって顕在化したこれらの問題に対して、自衛隊が有効な装備を持っていることが再認識される反面、その有効な装備を有効に行使するための法律がない。ということが今さら問題となった。解決に乗り出した政治家が出した答えは、海上警備行動と呼ばれる制度だった。防衛大臣によって発令できるこの法律を持ってしても、海上における警察権の行使でしかない。しかも防衛大臣の命令を待つだけの時間的余裕がどれだけあるのだろうか。。。現場で危機に直面した自衛隊員は、唯一認められた正当防衛でしか事態を切り抜けられないのは昔と変わりない、法の弱さだった。即ち、相手に武器を突きつけられていても撃たれなければ、こちらから撃てないのである。
高度に発展した現代の兵器に狙われて、最初の一撃をかわして反撃することなど不可能だ。相手に撃たれて犠牲者が出た後で撃ち返す方法しかこの国を守る方法がないのが実状なのだ。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹