尖閣~防人の末裔たち
権田が、原稿を差し出した。それは、昨夜古川がメールで送った資料を印刷したもので、週刊誌の構成の部分に「倉田艦長へインタビュー」と赤で記入されていた。
「分かりました。空いてますよ。早い方がいいですね。よろしくお願いします。」
古川は手帳を取り出すと、他のどんな予定が来てもブロックする決意表明のように「佐世保行き」という文字で予定を埋めた。
窓の外に見える漁船の灯りが遠ざかって行く。低くリズミカルな漁船独特のエンジン音が、やっと耐えられる温度になった空気と共に網戸を通して部屋に流れ込む。
石垣島新川漁港に面した白い鉄筋コンクリート3階建ての「河田水産」。この2階にある社長室の応接セットに河田と田原が向かい合って座っていた。
田原がテーブルに並べられた紙の中から左端の1枚を手に取ると、内容を一瞥して河田の方へ向ける。2人は左手をテーブルの縁につくと、腰を折るようにしてその紙を覗き込む。
応接セットは座り心地は最高で格好もつくのだが、この低いテーブルが戴けない。老体には辛い姿勢になってしまう。田原は歳に勝てぬ自分の体に落胆しつつも、その内容を説明する。テーブルに広げられた用紙は、各メディアから河田の元に寄せられた出演依頼や、インタビューの依頼に関するメールを印刷したものだった。
「これは、産業テレビの日曜朝のトーク番組ですね。在民党の菅野幹事長も出演します。これは影響力が大きいですね。」
田原の言葉に河田は満足気に頷くと、
「そうだな、これは外せないな。よし、予定に入れよう。」
「分かりました。生放送ですから前泊になりますね。前日の午後に出ますか?あ、朝にしますか?産業テレビの前日午後に、テレビ旭日のインタビューがありますが?」
田原は思い出したようにテーブル右端の紙を目の前に置く。
「う~ん、旭日か~。あそこは好かんな。揚げ足とるやつばかりだしな。
あ、それに昔、記者が沖縄で珊瑚に落書きした写真を載せてモラルの低下を記事にしたが何のことはない記者自らが落書きしたことがあったよな?
俺も「でっち上げ」されたらかなわん。断ってくれ。」
ひとしきり予定が組み終わると、田原は、部下に用意させたウィスキーと水割りセット、乾きモノをテーブルに並べ、河田と今後の話で盛り上がった。
飲み始めて1時間が経った頃、
「次はいよいよ本番だな。
今度は古川さんは抜きにして、俺達だけで行くことになるだろう。」
と、河田が切り出した。田原が畏まって背筋を正してソファーに浅く座り直した時、慌ただしく扉をノックする音が響いた。
「入れ。」
河田の凛とした声が部屋に響く。
「失礼します。」
閉じたノートパソコンを小脇に抱えた広田が深く礼をした。
「どうした。君も飲むか?」
河田が尋ねると、
「いえっ、結構です。お話中申し訳ありません。」
広田は言うと、テーブルの上の酒の量をチラッと確認する。
「いいんだ。何かあったのか?」
アイツめ、俺達が飲み過ぎてないかあたりをつけてるのか?お前達の前で俺達が話もできぬほど酔ったことはあるか?いいから話すんだ。田原は、先を促す目を広田に向けた。
「はい。失礼します。これを見て頂きたいのです。」
広田は、テーブルの前へ進み出ると、左右それぞれのソファーに座る河田と田原に見えるようにテーブルの端に横向きノートパソコン置き、画面を開く。サスペンドで待機状態だったノートパソコンがすぐに息を吹き返したように画面を表示する。広田が手慣れた手つきでパスワードを入力すると、ロックが解けて写真が大きく表示された。
「こ、これは。。。」
河田と田原の言葉が続かず、表情が凍り付く。
その場の緊張を解くように広田が言葉を発した。
「このパソコンは、古川さんが船からメールを送る際に貸し出したものです。当時急いでいた古川さんは、写真をメールで送るために、取りあえず全ての写真をこのパソコンにコピーして、その中からメールで送る写真を選びました。画面が大きく、処理も速いパソコンで選んだ方が早いですから。
その。。。古川さんが、写真をこのパソコンから消去するのを忘れていたので、消去しようと思ったのですが。その前に中身を確認して河田さんにも確認してから消去しようと思って確認作業をしていたところ、この写真を発見した次第です。」
広田が申し訳なさそうに言った。見てはいけないモノを見てしまった。という顔だった。
「いいんだ。広田君、ありがとう。君が機転を聞かせて写真を確認してくれなかったら、取り返しがつかなくなるところだった。このパソコン、少し俺に預けてくれないか?後で君に返しに行くから。」
河田が落ち着いた口調で広田に労いの言葉を掛けた。長年河田の副官を務めてきた田原には、河田が精一杯の演技をしているのが手に取るように分かった。事態はただ事ではない。田原は、胃が重くなるのを感じた。
広田は、安堵の表情を浮かべると、失礼します。と言って、部屋を去っていった。
広田がドアを閉めたのを見送ると、河田は、
「田原君、権田さんに電話してくれ。古川君が気付く前にデータを全部買い取るんだ。金は幾ら払ってもいい。」
河田は、殻になって溶けかった氷が残るグラスにウィスキーを半分注ぐと、一気に飲み干して音を立ててグラスを置いた。
田原は、久々に取り乱した河田の顔を見上げる。返す言葉が見当たらない。
「了解しました。すぐに電話します。」
これしきのことで呼吸が乱れるとは。。。田原は自嘲すると携帯電話を取り出した。
河田に気付かれない程度に深呼吸をしてから通話ボタンを押した。
打ち合わせを終え、権田が合図をすると、和服を着た中年の女性が、次々と料理の善を運び込んだ。古川は、その手つきのしなやかさに心を惹かれ、襟から白く伸びた首筋に目が奪われた。
刺身や焼き物、揚げ物など、一通りの料理が運び込まれた。一度に運び込んだのは、大事な話の邪魔をしないようにとの配慮だろうか、それにしても量こそ多くはないが見た目の高級感が古川が目にする料理とは別格だった。
女性が部屋を出ると、遠慮気味に目を泳がす古川に、「まずはビールだろ。」
と権田が瓶を差し出す。
「あ、すみません。実はこういう場所は初めてなんです。」
古川がグラスを差し出しながら頭を掻いた。権田の手前、意地を張る必要はない。
「そうか、とっくにこんな店ばかり案内されてるかと思ってたぜ。心配するな我が社の接待だ。それだけお前の実力が認められるようになったってことだよ。さ、飲め飲め」
権田が笑いながらビールを注ぐ。
「いえいえ、全て権田さんのお陰です。ありがとうございます。」
深く頭を下げた古川は、権田のグラスをビールで満たした。
「俺達の成功と、健全な日本の未来に乾杯。」
権田がグラスを上げた。
旨い料理と旨い酒、懐かしい話にこれからの仕事、日本の防衛、次から次ぎへと話題は尽きなかった。
「なあ、お前、結婚はしないのか?お前、もういい歳だろ?早くしないと「ただのオッサン」になっちまうぞ。悲しいぞ~。「ただのオッサンは」」
権田が突然話題を変えた。
「いや、それには全然興味がないんですよ。仕事で飛び回ってる方が性に合ってます。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹