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尖閣~防人の末裔たち

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 膨大な写真の整理は、権田との打ち合わせの後でいいや。古川は、ノートパソコンの電源を切り、机を片付けた。時計は21時を回っていた。権田にメールを送った旨と明日の打ち合わせ場所を確認する電話を入れると、古川は遅い夕食をとりに街へ出た。明日は自炊しなきゃ体が持たんな。こう外食が続くと体が落ち着かない。俺も歳だな。と苦笑しながら雲の低い夜空を見上げた。曇り空の湿気に人混みの熱気が混じり、べとつく汗をさらに不快に感じさせた。

「よお、久しぶりだな~。すっかり焼けたな。」
襖を開けた古川の顔を見上げた権田が人懐こい笑顔を浮かべて座布団から腰を上げた。手には、原稿の束を持っていた。
 古川が訪れたのは都内某所の料亭の個室だ。なるほど飲み食いをしながらゆっくりと人目を気にせず仕事の話をするには打ってつけだ、特に今回はネタがネタだ。人の目はおろか耳も避けたい。
 産業日報で権田と部下として仕事をしていた当時は当然使ったことがない料亭の個室と、当時は見たことがない権田の人懐こい笑顔が時の流れと一抹の寂しさを感じさせる。
「お久しぶりです。先日はありがとうございました。お陰様で、無事に戻ってこれました。」
古川が深く頭を下げた。場の雰囲気に飲まれ、口調が硬くなるのを古川自身でも気付いた。
「いや~、あれはヤバかったよな~。ま、まずは座れや。」
畏(かしこ)まった雰囲気とは裏腹な屈託のない権田の言葉が、古川の肩をほぐした。
「お前の機転の良さが、みんなを救ったんだよ。俺はそれに乗っかっただけだ。」
権田が分厚い座布団に腰を落ち着かせようとしている古川に言葉を掛けた。
「いえいえ、権田さんのあの素早い動きがなければ実現しませんでした。下手したら、あのP-3Cは撃墜されてましたね。」
古川の言葉を聞きながら、権田は小洒落たグラスに入った玉露茶を勧めた。鮮やかな緑の茶と程良く水滴をまとったグラスがいかにも涼しげだった。
言葉を切ると、「いただきます」と言って、茶を口に含んだ。程良い苦みが、疲れを解し、雑踏に揉まれた体を冷ます。
「ま、俺達のコンビネーションプレーが久々に炸裂したってことだな。あのテロップには、中国大使館も慌てただろうな。」
権田の言葉に2人が声を上げて笑った。
笑いながら茶を一口飲んだ権田は、急に真顔になり、
「でもな、あながちスホーイが撃墜されていたかも知れんぞ。」
と言って、悪戯な笑みを浮かべた。
「えっ、だって、那覇のF-15Jは間に合っていなかったし、スクランブルじゃ、スパローを積んでいる訳がないし。。。まさかあんな旅客機をベースにしたP-3Cで反撃できるわけもないですよね。。。」
 那覇基地からスクランブル発進した航空自衛隊の主力戦闘機、F-15J。いまだに空中戦では西側最強のこの戦闘機に掛かれば、スホーイ戦闘機もただでは済まない。しかし、どう考えてもあの空域には間に合ってなかった。中射程のレーダー誘導ミサイル「スパロー」なら届いたかもしれないが、戦争をしている訳ではないので、目視確認も直接警告もせずに無闇にミサイルを撃つわけにも行かない。そもそも自衛隊が撃てるのか?という問題は別にして、スクランブル発進する戦闘機は、まず相手を確認しなければならないため、この手の中射程ミサイルは搭載せず、短射程の赤外線誘導ミサイル「サイドワインダー」を搭載している。これでは爪の先すらスホーイには掛からない。
 P-3Cに至っては論外だ。P-3Cはアメリカのロッキード社製ターボプロップ旅客機「L-188エレクトラ」を元に開発した哨戒機である。ジェット旅客機が流行る前の旅客機で、東側最強のスホーイSuー33にかなう筈がない。
「分からないか?護衛艦「いそゆき」だよ。」
権田の目は笑っていなかった。
「えっ?」
古川にとって護衛艦の存在は完全にノーマークだった。
「俺達が得た情報では、「いそゆき」の艦長が、シースパローに射撃準備を指示していたそうだ。」
権田は古川の反応を確かめるように少しずつ話を続けた。
「勿論、照準はしていない。照準すれば国際問題だ。しかし、あの時、少しでもスホーイが撤収するのが送れたら。。。」
権田が中途半端で区切ったところで、古川が後を受ける。
「ロックオン。。。別なところからロックオンされたとなれば、取りあえずP-3Cをあきらめて逃げるか、ロックオンしてきた「敵」を探す。いずれにしてもP-3Cは助かりますね。」
古川は納得したように頷く。
「しかも、相手が護衛艦だと知れば、対艦攻撃用の武器を持たないスホーイは逃げるしかない。まごまごしていると、空自のF-15に追いつかれる。」
権田は、どうだい?と得意げな目を向けると。茶に口を付けた。
「なるほど。。。躊躇はしなかったと。。。まさに間一髪。。。」
興奮を落ち着けるように古川は喉を鳴らして茶を飲んだ。
古川がひと息ついたのを見届けると、権田はゆっくりと口を開いた。
「そして、その艦長ってのが倉田健夫。あの倉田さんだ?覚えてるか?」
記憶を探る間でもなく、長身でガッチリした体型に似合わず優しい笑顔が古川の脳裏に浮かぶ。優しい反面、心に熱いものを持っている男。根っからの船乗りタイプだ。
「あ~、あの倉田さんですか。覚えてますよ。あの人が海幕広報室にいた頃は、お世話になりましたよね。私もまだ、権田さんの所に配属になったばかりでした。あの人が艦長になったんですか~。ピッタリですね。」
もともといろいろな護衛艦を渡り歩いてきたが、たまたま陸上勤務になってラッキーと思ったら広報担当で参りました。とよく言っていたのを思い出す。
「お、さすがに覚えていたか、そうなんだあの人が艦長。あの人は熱いから、いざとなったらロックオンぐらいカマすかもしれん。」
権田は苦笑すると、さらに言葉を繋いだ。
「そして、事もあろうに、撃たれた海保のパイロットは、倉田昇護。倉田艦長の息子だ。」
権田が、どうだ驚いたか?というような顔を向ける。特ダネを掴んだときの権田の顔だった。が、これは懐かしさに浸っていられる話題ではない。特ダネではあるが、自分の息子をを目の前で撃たれた父親の苦悩は計り知れない。国を守る海上自衛官でありながら、しかもあの海域で最も強力な武器を持ちながらも何もできない立場の自分への呵責はいくばくか。。。あの最前線で倉田艦長が、立場を越えて奮闘していたのを現場で感じてきた俺には特ダネといって手放しでは喜べない。。。
「何てこった。。。」
思わず古川が絶句する。
 これじゃあワイドショーネタだ。古川は自嘲気味に苦笑した。
 が、裏を返せば、老若男女幅広い人々に防衛問題、領土問題について、訴えることができるチャンスかもしれない。古川は気持ちを切り替えて身を乗り出した。
 権田は、古川の態度に構うことなく興奮気味に話を続けた。
「で、どうだ?佐世保へ行ってくれないか?
週刊誌の方は、倉田さんへの取材を付け加えようぜ。向こうの広報へは俺の方からアポを取っておくからさ、まだ、他社は気付いてないが、なるべく早い方がいい。今週は空いてるか?」
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹