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尖閣~防人の末裔たち

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33.決意の涙


 急に風が吹いてきた気がした美由紀は、ゆっくりと目を開いた。一瞬自分が何処にいるのか分からなかったが、胸の上の中途半端に開いて伏せられた小説に気づき、ここが自分の部屋のベッドの上で、昼食の後、小説を読みながら眠ってしまったことを思い出した。確かに窓は開いていたが、風はそよとも吹いておらず、蒸し暑い熱気が肌にまとわりついていた。美由紀は体を起こして首筋の汗を拭き取ると、小説を片手にベッドから降りた。
窓際の机の上に小説を置いた美由紀は。机の上に写真立てが落ちていることに気付いた。やっぱりさっき風が吹いたんだ。今まで風でこの写真立てが落ちたことはなかったから、よっぽど強い風だったんだな~目も覚めちゃうわけだわ。美由紀は写真立てを拾うと納得した。写真立ての中の昇護が美由紀に同意するようにニッコリと微笑んでいる。2人で初めて行った泊まりがけの旅行の写真。。。柔らかな高原の朝の日差しに包まれたペンションのテラス、素敵な朝食。。。私はこの人と結婚するのかもしれない。。。幸せだろうな~と、何の疑いもなくこみ上げてきた思いに、思わず頬を涙が伝い落ちて、昇護をびっくりさせたっけ。。。あの朝のことは一生忘れない。たとえ一緒になれなくても。。。月日が私の価値観を変えたのか?気持ちはずっと変わらないと思っていたのに昇護のプロポーズに即答できなかった私。。。
 私の返事は届かなかったのだろうか?
昇護にプロポーズされたのは7月下旬のことだった。その後何のやりとりもせずに、気まずい時だけが過ぎた。先日、やっと心を決めた美由紀が遠く離れているであろう昇護にメールで送ったプロポーズの返事について、昇護からは全く何の反応もなかった。
 プロポーズの後、何の音沙汰もなく急に返事を送りつけた私の態度に昇護が頭に来ているのか?プロポーズの後の気まずさに、昇護の私への愛が薄れてしまったのか?それとも単に航海に出てしまい、届かなかっただけなのか?
 返事を送った後、毎日のように湧き上がってくる不安が今日もまた訪れる。
 美由紀は、写真立てを戻すと、机の上に投げ出して合った携帯電話を開くと、深い溜息をついた。
 今日もメールは来ていなかった。
 美由紀は携帯電話をいつもより乱暴に机の上に置くと、気晴らしにテレビをつけた。
 毎週火曜日の夜放送されているサスペンスドラマの再放送が映し出された。男女が言い争っているシーンだった。こういうドラマは途中から観ても全く意味が分からない。
 チャンネルを変えようとテレビにリモコンを向けた瞬間。テレビからチャイムが流れ、画面の上部に「SGTV速報」という文字が点滅した。
 何だろう?美由紀はリモコンをテレビに向けたままだが、チャンネルは変えずにテロップが流れるのを待った。
-尖閣諸島で中国海警船を監視中の海上保安庁のヘリコプターが何者かに銃撃を受けました。副操縦士が重体の模様-
 美由紀の手からリモコンがこぼれ落ち、フローリングの床に硬い音をたてる。大きく開いた口を両手で覆い、体を支えていた筈の足は力を失い、よろめくようにその場に座り込んでしまった。
 昇護は尖閣へ派遣されることになったからしばらく会えない。と確かに言っていた。しかも、昇護は副操縦士だった。海上保安庁が、あの海域に何機のヘリコプターを派遣しているのかは知る由もない。はっきりしているのは、昇護が海上保安庁のヘリコプターパイロットで副操縦士をしていて、尖閣に派遣されることになっていた。という事実だけだった。
 昇護。。。美由紀は呟くとショックのあまり立ち上がることを忘れてしまったかのような体を引きずるようにして動き出した。フローリングを這うように気力のみで机の足下に辿り着くと、手だけを天板の上に伸ばして泳がせる。置いた筈の携帯電話を探して。。。立ち上がって探せばすぐに見つけられるのは分かっていたが、体が言うことを聞かない。やっとの思いで携帯電話を見つけると震える指先で昇護の携帯番号を呼び出して、通話ボタンを押す。なぜか呼吸が整わない。。。美由紀は、いつの間にか頬は涙で濡れ、しゃくり上げている自分にやっと気付いた。
落ち着こうと深呼吸をしようとしたとたん、呼び出し音も鳴らずに接続する音が聞こえた。
-お客様のおかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、掛かりません。。。-
美由紀は、携帯電話を壁に投げると、そのまま床に頭を突っ伏して泣き始めた。白くて華奢な右拳が力無く床を叩き、細くしなやかに伸びた左手の指が、床をゆっくりと何度も引っ掻いた。。。
 昇護、私はどうすればいいの?
 声にならない声で美由紀は繰り返し呟いていた。

 古川が石垣島のホテルに着いた時には、既に20時を回っていた。中国側が軍、海警など様々な周波数で帰還命令を出したのを河田達が傍受するとすぐに、船団を組むように河田の漁船団と併走していた中国海警の船団が急速に離脱し、海上自衛隊のP-3Cにロックオンまで掛けていた中国軍の戦闘機もあっさりと帰還していった。
 中国海警船が引き上げたのを見届けると、河田の漁船団は毒気を抜かれたように一斉に回頭し、一路石垣島へ帰港の途についた。回頭を終えて間もなく、魚釣島方面から海上保安庁の巡視船2隻が、猛スピードで接近し、40分程度併走した。彼らは舐め回すように漁船団の各船を監視すると、再び魚釣島方面に引き返して行った。巡視船が、魚釣島から一時離れる余裕が出来たという事は、魚釣島に向かっていたという中国漁船団も引き返したといえる。要するに、漁船も海警のような公船も関係なく、官民一体となって尖閣諸島で活動していると言うことを証明しているといえた。
 今日あの海で発生した出来事は、産業日報の夕刊と号外に間に合うように、河田の船のパソコンから権田にメールで送っていたので、今夜はゆっくりできる。古川は、ホテルのレストランで豚の角煮のような見た目のラフテーのセットに舌鼓を打つ。甘辛で濃厚な味とよく煮込まれた脂身の旨味が疲れた体と脳に染み渡っていく
。久々に落ち着いて味わう食事を冷たいビールで喉を潤しながら済ませると、程良い酔いが興奮に忘れかけていた疲れを呼び起こしてきた。
 食事を終えた古川は、テレビを付けると、リモコンを手にしたまま部屋のベッドに腰を降ろした。疲れに身を任せて勢いよく座ったので、ベッドが悲鳴のように軋み音をたてると同時にシーツが海面のように波打った。
 時刻は20時47分。始まったばかりのNHKニュースには、銃を持った船員が甲板にいる中国海警船の真上を海上保安庁のヘリコプターが飛行している写真が映し出されていた。河田の船で古川が権田にメールで送った写真だった。昼間の内に産業日報系のあらゆるメディアが報じた後、他のメディアにも「お裾分け」したのだろう。権田からこの仕事を貰ったときの条件の1つが、権田が勤務する産業日報が全面的にバックアップする代わりに古川の記事、写真の優先使用権を得ていたのだった。もちろん、優先的に使用するアドバンテージがあるのみで、著作権は、古川に帰属している。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹