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千と一匹の蝶

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 彼はそのあと消えた蟻たちを探した。地面に膝をつき、顔が地面につく寸前まで必死に探した。無残なものに平穏を重ねるという新しい宇宙の中で新しく作られた考えによって引き起こされた衝動がそこにはあった。彼が蟻たちを探しているときも、彼の頭、彼の中では星が宇宙の限界まで飛び回り、跳ね返り、また飛び回っている。その振動は彼に軽い頭痛をもたらし、蟻を探す彼の衝動を少なからず邪魔するようで、すでに蟻がどこにいるのかなどどうでもよくなっていた。けれどここで捜索を辞め、家に帰ろうものなら、せっかく手に入れたこの新しい星をうまく処理できずに終わってしまい、いつの日か、おじいさんに聞いた質問をまたほかのだれかにしてしまうだろう。それはもうしたくない。彼のことを少しだけでも理解しているような雰囲気を醸し出していたおじいさんでさえあれほどの緊張に似たものを感じたのだ。その辺の大人に聞くのはいくら成長した後の彼であっても無理なことに思えた。
 幼いながらに思考にふけりながら意味のない捜索を続けていると、反対の道のほうに一匹の蟻を見つけた。その蟻はどこに行けばいいのかわからないといわんばかりに、右往左往している。春の日差しが優しく降り注いでいる道の上で何を混乱しているのか。ともあれお目当ての蟻を見つけた。あいつについていこう。今度は逃げられないようにと蟻の姿が彼の陰で隠れないように注意を払いながらあとをつけてみる。彼がその蟻についていこうと決めた瞬間に戸惑っていた蟻は行く先を決めたのかある一点を見つめるようになった。その方向は彼のほうではなく、彼とおじいさんが歩いてきた道とは違う別の道がある方角だった。その道はさっきまでの道と違い、砂利が敷き詰められたもので、どこへ向かうのかはわからなかった。けれど周りには木が程よく生え、とても明るい道だったので、彼にとっては希望を体現する道のように思える。蟻がいきなり歩き出した。目線と同じ方角へだ。つまりこの砂利道をだ。しかし、当然のことだが蟻の体は砂利の大きさと同じ、もしくはそれより小さいため、土の地面のように容易に進むことは難しく、何とかその道を進んでいた。彼もそのあとをつける。この蟻についていけば新しくできた宇宙の限界についてもっと知ることができるような気がした。こいつは案内役なのだ。けれどこいつ自身もどこへ案内するのかわかっていないのだ。つまり彼と蟻はどこかわからない、けれど熱望する場所へ行くのだ。必死に全速力で進む蟻と高揚感にあふれゆっくりとその一歩一歩を歩いている彼との間の温度差はどこにも干渉する様子がなく、むしろその温度差が彼らの未知なる場所への探検を支えているようであった。

 しばらく歩いていると広場のような場所に出た。ある程度整備されているが、都会の公園のように人工感丸出しの物ともちがう。草が生えているようす一つとっても彼が知っている公園とは少し違うものだった。けれどそこは宇宙の限界を体現するようなそんな大それたものではなかった。つまり彼が勝手に抱いていた願望は現実のものではなかったのだ。
 
 すでに蟻はいなくなっていた。つまりここが終点であり、ここが蟻が出した答えなのだ。実に中途半端な答えだ。 

蟻が出した答えの広場に座り、彼は一人今日起きた出来事の中で新しいものを一つ一つ出していった。鳥居をくぐったこと。数字の限界を知ったこと、宇宙にも限界があること、蟻はそこまで親切ではないこと。その中でも宇宙は驚いた。これまでの常識が崩れ去る経験というものを初めてした。今日は実に多くの新しいものに出会った。けれどその裏でどこまでも広がり続ける無限の宇宙という彼の以前の考えは消え去ってしまった。失ってしまった。それに気づくと急に今いる場所が不確実なものであり、それに対する不安が押し寄せてきた。彼が多くの物を手に入れたと喜んでいたときに同時に失っていたのだ。ここまでくる間に一体何を失ったのだろうか。
草のにおいが風と共にやってくる。少し暗くなってきた春空が彼の心を余計に沈ませる。いつかやってくる限界と夜の訪れが重なってしまう。限界まで宇宙が広がってしまったら、一体彼の体はどうなるのだろうか。電子レンジで殻のままの卵を温めると爆発するのだが、それと似たようになるのだろうか。はたまた、中身がいなくなってしまった蝉の抜け殻のようになってしまうのだろうか。

 少し背の高い花にモンシロチョウがとまっている。軽い体を風のリズムに合わせて揺らしている。さっきと同じ景色なのに、少し違うように思える。あいつは新しく宇宙に現れたあの星なのではないか。もしくはあの星を操っている親元なのではないか。そうに違いない。あそこで彼が宇宙の限界であるこの広場からはみ出ないように監視をしているのだ。彼の視線と意識をあの揺れている蝶に向けることでそうさせようとしている。幼い彼が一体どうやってここまでひねくれたともとれる考えをしていたのか、これもあのおじいさんの星のせいなのだろうか。とすると、彼は一日という短い時間の中で急速に成長したことになる。今の彼にとってその急成長が意味するものは、限界への急接近だ。実際、この広場に来てしまった。これまで通りの生活の中ではたどり着くはずのなかった場所。
 彼は破裂の限界近くまで来ている。それは崖の前まで来ていることと本質的には同じことで、あと一歩進めば、これまで広げてきたものがすべて消える。その消失は彼の体もろとも消し去るものなのかそうでないのかもわからないということはさっきも考えたが、やはりこの不確実性はかなりの不安を生む。地面に座っている彼の足が震えている。今恐怖に駆られ、強引に立ち、来た道を駆け抜ければ、体勢を崩し、限界の境界線を越えてしまう。そんな小さなつまずきでさえ今は命取りなのだ。
 これだけ心配になり、実際に不安を感じている彼だったが、よく考えれば今まで考えてきたことはすべて妄想の類であり、今現在の彼にそれらが降りかかる可能性はほとんどないということに気が付いた。もしかしたらこの広場の存在さえ妄想なのかもしれない。しかし、この心配はいずれ形をもってやってくることは自明のことに思え、その決定された不可避の未来を恐れることになった。
 ふとおじいさんを思い出した。彼にとって未来のことは、おじいさんにとっては現在のことなのではないか。実際宇宙の限界はおじいさんから教わった。とすると、おじいさんはいままさにこの恐怖に直面しているのではないか!彼が足を震わせ極度に不安がっている恐怖を体験しているのだ!彼のようにまだ先のことだと割り切ることはできない。すぐそこまで迫ってきている恐怖なのだ。花にとまっている蝶が二匹になっていた。もしかするとこの蝶は時間がたつたびに増えていくのではないか。そして長い年月とともに、この広い広場いっぱいになった蝶たちは彼、もしくはそのときこの広場にいた人を押し出し、谷に突き落とす。そうか、この蝶は人間が限界を超えないように見張る救世主でもあり、人間を無感情に突き落とす、サイコパスでもあったのだ。それならば早くここを離れなければ。さもないと彼が突き落とされてしまう。
作品名:千と一匹の蝶 作家名:晴(ハル)