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からっ風と、繭の郷の子守唄 136話~最終話

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 たかだか半世紀前の農村の話だ。どこにでも有った、あたりまえの話だ。
 だが、俺らが学校へ行き始めた頃。
 もう『百姓では食えないから、別の道を選べ』と、と親から言われた。
 1960年代からはじまった、日本の農業の曲がり角だ。
 1960年代といえば、日本が高度経済成長へ突入した時代だ。
 働き盛りの男たちが、好景気に煽られて、京浜の工業地帯へ出稼ぎに出た。
 サラリーマンとして会社で働きながら、休日に農業をおこなう
 兼業農家もはじまった。
 『兼業農家』という言葉は、流行語になった。
 『三ちゃん農業』が始まったのもこの頃だ。
 働き手を失った農村で、残されたおじいちゃん、おばあちゃん、
 おかあちゃんたちが主に農業を行うことになる。
 三つの『ちゃん』が行う農業。
 そこから、三ちゃん農業という言葉が生まれた。
 1963年に国会で「三ちゃん農業」という言葉が使われて、それを
 報道したことから、その年の流行語になったそうだ」

 康平の肩へ寄り添ってきた美和子が、『うちもそうだった』とつぶやく。
ゆっくりした歩調のふたりが、一ノ瀬の大木へ下っていく。
風花を運んできた灰色の雲は、はるかな彼方へ遠ざかっている。
果てしなく広がる関東平野が、午後の柔らかい日差しの下に戻ってきた。


 「寒くないか。体を冷やすなよ。また、風が冷たくなってきた」

 「そう思うなら、あなたが温めて・・・・」


 康平の肩で、美和子がささやく。
ショールを大きく広げる。それをふわりと康平の肩へ回しかける。
薄いシルクのショールが、2人の距離を一気に縮める。
2人が密着する。
美和子が康平の背中へ手を回す。康平がそれにこたえて手を伸ばす。
そのまま美和子の背中を支える。

 「なぜ百姓の道を選んだの。あなたは?」

 「終生、君と生きていきたいと決めた瞬間から。
 身ごもったと聞いたとき。これで君とは終わりだなって一度は覚悟を決めた。
 だが、どこかに、かすかな幸運が残っていたようだ。
 俺たちは思いがけず、10年以上も、遠回りしてしまった。
 今からでも、遅くはないと思う。
 この地で生きていくために、いま準備している桑の苗のように、
 俺はあたらしい生活の根を張っていく。
 たしかに、百姓は厳しい。
 おれの大好きな一ノ瀬の大木は、100年以上もこの地で風雪に耐えてきた。
 天然素材のシルクも、100年、200年を生き続けるという。
 厳しい自然。一ノ瀬という御神木。シルク。
 この3つがこれからここで生きる、俺のあたらしいキーワードだ。
 もう30歳。でもまだ30歳。
 躊躇ばかりで、君にはずいぶん歯がゆい思いをさせてきた。
 でも。これから先はここへ土着したひとりとして、君を真正面から見つめる。
 で、なんだったっけ・・・
 シルクの効能ってやつの続きを、もう少し聞かせてくれないか。
 俺もまだシルクについて、学び始めたばかりだ」


 「喜んで教えるわ。
 シルクは、蚕が口から吐き出す天然繊維。
 18種類のアミノ酸で構成されている、タンパク質でできています。
 人間の肌も同じタンパク質。
 そういう意味で、人の肌に1番近い天然素材といえます。
 吸汗性に優れて、夏は肌をサラサラ守ってくれます。
 冬は優れた保温性を発揮します。ポカポカと身体を温めてくれます。
 細い繊維がいくつも撚られて、一本の糸になっているからです。
 繊維の間に多くの空気が取り込まれていますので、暖かくなるのです。
 この素材が暖かいと感じるのは、この素材が生み出されるまで
 おおくの人たちの手が関わっているからなの。
 たくさんの人の手によって生み出された、暖かさです。
 お蚕を育てるため、たくさんの時間と手間ひまがかかります。
 そうして繭が作り出されるの。
 繭から糸を引き出す工程を経て、風合い豊かな生糸が生まれてきます。
 セリシンをどの程度に加工するかで、手触りも変わってきます。
 少しごわごわした感触から、このショールのように柔らかい風合いまで、
 千差万別に仕上がります。
 シルクの持つ暖かさはたぶん、これを育ててくれた農家の皆さんと、
 それを紡いでくれた千尋の手の暖かさだと思います・・・・」