カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅵ
「夏季休暇だから、一週間ダーっと休んでいいんだぞ。この前の正月もろくに休み取ってなかっただろ」
「片桐1尉が戻ってきた時に、お休みをいただければいいですから」
「それじゃあ、片桐にはかえってプレッシャーだねえ」
美紗と松永のやり取りを聞いていた高峰が、口ひげをいじりながら左隣の空席をちらりと見やった。当の片桐は、第1部長室に入っていた。日垣から最後の受験指導を受けているようだった。
「あいつの試験が終わるの待ってたら、自分の休みは九月になっちまうぞ。その時期に旅行にでも行くってんならいいが」
「特に遠出する予定はありません」
美紗は早くこの話を終わらせて自席に戻りたかったが、面倒見のいい2等陸佐は、時々お節介だった。
「だったら、早めに取れ。休みってのは、基本、前段に取るもんだ。夏季休暇は七月後半から九月前半までの間しか取れないからな。先に休み入れとけば、もし急に仕事が入っても後で取り直せばいいが、後段に休暇入れてそこで緊急の仕事が来たら、完全にパアだ」
「それは言える」
すでに一週間の休暇を終えてすっかりリフレッシュした内局部員の宮崎が、銀縁眼鏡を少しあげて、ぼそりと呟いた。
「鈴置が片桐のことなんか気にかける必要はない。小坂を見習え。あいつ、後輩なんか全然気にしないで、さっさと休んでるだろうが」
松永の目線の先には、小ぎれいに片付いた無人の机があった。遠方の出身である小坂は、帰省に備えて早々に航空券を手配し、「シマ」の休暇予定表に真っ先に自身のスケジュールを書き入れる始末だった。
「すいませんね。私の指導が至りませんで」
小坂と同じ海上自衛隊に属する先任の佐伯が、ひょこりと頭を下げた。
「別にいいさ。実家の遠い奴が優先だ。そういえば鈴置は、実家は関東圏内だっけな?」
美紗は松永に「はい」と短く答えた。彼を含む直轄チームの誰にも、実家に帰らない理由を話したことはなかった。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅵ 作家名:弦巻 耀