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Many thanks~詩集 紡ぎ詩Ⅷ~

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廊下に佇み
ふと眼に止まった庭の一角
トンボが南天の緑の葉上に羽を休めている

今年は十年に一度の猛暑だというが
予報は当たって欲しくないときに限って当たる
トンボだって こんなに暑ければ やってられないだろう
大自然の営みの中で
季節はうつろい
刻は刻一刻と永遠に流れ続ける
時の狭間でふと見つけたワンシーン
ふっと心が和んだ瞬間
ほんのひととき 
うんざりするような暑さが遠のいた
トンボは見られているのに気付いたのか
忙しなく羽を動かしながら飛び立った


止まっていた時間が流れ出し
再び もわっとした熱気が私を否応なく包み込む
盛夏 暦の上では秋と呼ばれる立秋まであと数日
秋の気配の片鱗さえ見当たらない
夏の午後


☆祈り~夏風鈴~

蝉時雨が降る降る
容赦ない真夏の陽射しがうなじを灼く午後
私は一人 人気の無い神社を歩く
蝉の音に混じり
私の砂利を踏みしめる足音だけが響く
静謐な社内
一隅に数多の風鈴が風に揺れている
祈願風鈴とでも呼べば良いのだろうか
短冊に願いをしたためて奉納するらしい



チリチリ シャラシャラ
時折 気紛れに吹き抜けてゆく夏の生温い風に
数え切れない風鈴が一斉に鳴る
その涼やかな音色がやけに物悲しく切なく響く
たくさんの人の願いと想いをこめた夏風鈴
ここを訪れた人の数だけの想いを乗せて
色とりどりの風鈴は音を奏でる
私も自分なりの祈りを込めて短冊にしるし
無数の風鈴の間につるした



また一陣の風が吹いた
チリチリシャラシャラ
ゆっくりと遠ざかる私の背後で
風鈴が祈りの歌を歌っている

☆「Believe in myself~ただ淡々とひたむきに~」
淡々と
ただ淡々と
ひたすらに進む 
雨降りの日は親切な人の家の軒先を借りて休み
雨上がりにまた歩き出す
時には ぬかるみに足を取られて転ぶこともあるだろう
そんなときは 両手をついて起き上がれば良い

淡々と
ただひたすらに
愚直なほどに一途に
目的地を目指す  
ふと見上げた雨上がりの空の向こう
七色の虹が見えるはず


☆「私について」
私は短気である。

他人からは絶対にそんな風には見えないと言われることが多い。



その証として、中学時代のxからの手紙というのでは、こんなことがあった。



これは、先生が配った紙に自分の名前だけを書き込み、全員でランダムに回す。



自分のところには当然、他の誰かの名前が書かれた紙が来るわけで、その誰かに無記名で「手紙」を書くというわけだ。



無記名だから、誰が書いたかは分からない。

書かれた手紙は再び回収され、本人の元に戻る。

そんなことを中学の授業でやった。

私も誰かへ手紙を書き、また私のところにも誰かからの手紙が返ってきた。

自分の名前を書いた紙は複数回すから、必然的に何通か返ってくる。



私宛てには大抵同じ内容ばかりだ。

ーラビ村さんは、いつも笑っていますね。

ーラビ村さんの怒ったところを見たことがありません。

ー怒ることは、あるんですか?

ー優しそう。



一見、好意的なように思えるけど、最初の「いつも笑ってる」というのは、受け取りようによっては、いつもヘラヘラしてるヤツと取れなくもない。

いや、ちょっと穿った考え方すぎるか。

にしても、この評価は自分でも意外だった。本人にその自覚は殆どない。



強いて言えば、自分は物凄く内向的で言いたいことの半分は他人様に言えない。要するに、意気地なしなのだ。

いつも相手に言われっ放しで、

ーうう。

と、言いたいことを言えず、我慢して溜め込む。挙句、一人になってから、モヤモヤするというのだから、建設的ではない。



もしかしたら、そういう「無理をしている部分」が私自身の上辺「トレードマーク」と

いつしかなっていたのかもしれない。



これは、あくまでも私の推測にすぎないけれども。



なので、私は自分のことを短気だと思っており、むしろ短所だと認めているのだけれど

他人は、割とそのコンプレックスを良いように誤解してくれているらしい。



自覚しているなら直せば良さそうのものだが、これがなかなか直せない。

もちろん、それなりの努力はしているつもりなのだが、直らない。

ー三つ子の魂百まで。

昔の人はよく言ったものである。



私の許に戻ってきた「Xからの手紙」は上記のように、すべて似たような内容ばかりであった。

ーふーん、他人の眼に自分はそのように見えているのか。

一番最初の「いつも笑っている」だけは流石に素直に歓べず、引っかかりを憶えたものの、

その他はおしなべて好意的なものばかりであったことに、ホッとした。



だが、他人の眼に映ずる我が身と、ありのまま間の自分=真実の姿のギャップに

おおいに戸惑いもあったのは事実である。

いつも微笑んで、鷹揚に構えて優しげに見える。

それは、けして本当の私ではなかった。



そういうこともあってか、昔から私は自分の気持ちや想いをストレートに表現できる人に

憧れるし、尊敬さえ抱いてきた。

もっとも、それで相手に反感を持たれたのでは意味がない。

ストレートに表現でき、なおかつ相手から好感を持たれるようでなくてはならない。

私の理想が高すぎるのだろうか。



私だけでなく、人は誰しも他人から「見えている部分」だけがその人のすべてとは限らない。

だからこそ、凶悪犯罪が起きた時、後日談の取材で犯人をよく知る人たちは口を揃えて

言う。

ー彼、彼女はとても大人しくて優しい人で、そんなことをするような人には思えない。

とは、お決まりの文句ではないか。



とはいえ、短所を自覚していながら、直らないと言い続けるのは、やはり頂けない。

完全に直すことはできなくても、せめて少しでも改善したいものである。

ーかなり難しそうだが。