からっ風と、繭の郷の子守唄 131話から135話
真っ赤なBMWが、猛前と走り去っていく。
『広すぎる道路を横切るのは大変です。
車を回してくるから、あんたはここにいるんだよ』
そう言い残した千佳子が、道路を急ぎ足で横切っていく。
残された美和子は、戸惑いを覚えている。
事態がまったく理解できていないからだ。
だが旋回して戻って来た千佳子は、そんな様子の美和子にきわめて優しい。
「お義母さん。これっていったい・・・・」
助手席へ座った瞬間。どういう意味なのですかと、聞こうとした矢先、
千佳子が一枚のCDを美和子へ手渡す。
『聞いてみて。とってもいい歌だから』と千佳子が微笑む。
言われた通り、美和子がCDを挿入する。
聞きなれた前奏が流れてきた。美和子が思わず体を固くする。
小指に絡む 絹糸は 二人を結んで切れた糸
根よりの松さえ寄り添うものを ああ 切ない ここは前橋、恋のまち
むなしく廻る 糸ぐるま 白衣の眼にさえひとすじの
涙で散ります面影もみじ ああ わびしい ここは高崎、ネオンまち
夜霧に濡れる 乱れ帯 せつない逢瀬の綾織も
こらえて流した渡良瀬川に ああ 別れの ここは桐生、霧のまち
憾みはしない 恋絣 離れた愛なら紬ます
届かぬ想いをお酒にすがる ああ 酔えない ここは伊勢崎 なみだまち
榛名の空に 六連星(むつらぼし) 哀しい運命(さだめ)のもつれ糸
嘘とは知りつつ明かした夜の ああ 想い出 ここは渋川 未練まち
「いい歌だろう。そう思うだろう、あんたも。
康平から『母さん、聞いてくれよ』とポンと渡されたものだ。
受け取って聞いた瞬間から、大のお気に入りになった曲さ。
『知り合いの女の子が歌っているんだ』と言うだけであとは、知らんぷりだ。
どんな子が詞を書いて、歌っているのか、興味が湧いた。
となり村のあんたのことだとわかったとき、そりゃあもう、びっくりだ。
でも嬉しいよねぇ。CDじゃなくて、本物の歌が聞けるんだ。
私にしてみれば、今世紀で最高の楽しい出来事だよ」
「あのう・・・・お義母さん、」
「身元を引き受けるのは、この私。
お腹の中の赤ん坊の身元引受人も、同じくこの私。
実家へ顔を出したいというのなら、私の家から好きな時に通えばいい。
ひとつ山を越しただけの隣りの村だ。
運動がてらに歩いたって行ける距離だもの」
「あのう、お義母さん。
まだ康平くんから何ひとつ聞いていませんが・・・・」
「私が好き勝手にすすめているだけだ。康平はまったく関係がない。
私が面倒を見るというんだから、遠慮しないで、私の所へ
転がり込んでくればいいさ。
なんだい、その不服そうなその顔は。なにか問題でもあるのかい?」
「あ、いいえ。でも、あの、その・・・・」
当惑したままの美和子を乗せた千佳子のハイブリッドカーが、
前橋の市街地を抜けていく。
やがて、赤城山の長くつづくすそ野に踏み入れていく。
アクセルが踏み込まれた車体は、身重の美和子を乗せたまま、最初の高台へ到達する。
一ノ瀬の大木が、高くそびえている。
その下を通過した千佳子の車が、きつくなってきた勾配をさらに元気よく
奥へ向かって走っていく。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 131話から135話 作家名:落合順平