からっ風と、繭の郷の子守唄 131話から135話
「実家には兄嫁がいるだろう。
大丈夫かい?。居心地が悪いはずなのに、君はそれでもいいのか?」
「充分に鋭気を養いました。
子どもが生まれると温泉に行けなくなるから、いまのうちに満喫しましょう
と言って女3人で、出かけたのが4日前。
誰に気兼ねすることなく、のんびり、温泉三昧を楽しんできました。
その帰り道。あなたのお母さんが私を迎えに来てくれました。
あなたには、内緒だそうです。
お母さんが、私とこの子の身元引受人になってくれるそうです。
涙が出るほど嬉しい申し出です。
でも、そうそう甘えるわけにもいきません。
私はやっぱり、実家へ戻ります。
次のチャンスのために、備えることにいたします」
「次のチャンス?。君は一体何を考えているんだ」
「最優先はまず、無事にこの子を産むこと。そのつぎに歌手。そして作詞家。
この3つが、やっぱり私の、これから先のキーワードです。
私にはそれしか無いもの。
それしかできない女だと、今でも考えています。
子持ちの女でも構わないからという男性が現れたら、再婚も視野にいれます。
いずれにしても、あなたとは結婚しません。
それだけははっきりと、申し上げます」
「なぜ、俺じゃ駄目なんだ」
「もう、堪忍して、康平。
他人の子供を身ごもった女なんか、大嫌いだとはっきり言って頂戴。
あなたの気持ちは痛いほどわかる。でもこれが現実なの。
誰もわたしのことを責めない。問い詰めもしない。それがかえって辛いの。
でもね。忍耐のいる生きかたは、これから先なのよ。
この子を産んだあと、そういう生き方がきっとはじまる。
みんなの優しい気持ちはとても嬉しい。
だからこそ私は、やっぱり実家へ帰ることが一番なの。
分かってよ、康平。
もう、覚悟を決めたの。
私はここで子供を育てるために戻ってきた。
決断の後押しをしてくれたのは、やっぱり、千尋と貞ちゃんだった」
突然、荒地へ強風が吹き付けてきた。
ふたりのまわりで、枯れた木の葉を巻き上げていく。
真冬の赤城山の山麓で、よく有る光景だ。晴れた日の午後に限り、
気候が急変する。
斜面一帯で温められた空気が、山肌に沿って上昇していく。
1400メートルの赤城の峰を超えた次の瞬間、大陸からの冷えきった空気と
温められた空気がぶつかりあう。
これが冬場の強風を生む。
突風に煽られた美和子のショールを、慌てて康平が抑える。
「女性の場合。離婚後6ヶ月以内の再婚は不可能です。
そのくらいは、あなたも知っているでしょう。
離婚後すぐ再婚してしまうと、妊娠しても、どちらの子どもか
分からなくなります。
よくトラブルの原因などになるそうです。
男の場合は、離婚をしたその翌日でも、結婚することはできます。
でも女性の場合は、6ヶ月以上が経過しないと、新しい籍へ入れません。
私は実家でこの子を産みます。
その後は、誰かが迎えに来てくれるまで、辛抱強く実家で暮らします。
この子が生まれてくるのは、春。3月のはじめ。
私の身が解放されるのは、7月の七夕の時期。
民法の中に、婚姻中に妊娠していた場合は、その子どもが生まれた日から
再婚することができると書いてあります。
でも私に、特に急ぐ理由はありません。
あなたはゆっくり、この問題を考えてください。
納得のいく結論を出してください。
どんな結論であれ、あなたが出す決断に、私は無条件で従います」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 131話から135話 作家名:落合順平