ぺんにゃん♪
その言葉がミケの脳裏を過ぎった。
今までずっと家族と呼べる存在はバロンだけだった。だが、ミケは孤独だった。周りがミケを孤立させたのか、それともミケが自ら周りを避けたのか……。
ミケは自分と同じようなアレックの白い肌、白銀の髪、緋色の瞳、そして猫の耳を見つめた。
それは無意識なのかアレックがミケにしがみついた。
まだ幼い身体、幼い少女なのだ。
「(なのになんで……どうしてこうなったんだ)」
アレックのやったことは許せなかったが、その背景になにがあったのか考えると、単純に怒りをアレックだけにぶつけていいのか。ミケはペン子の優しさを思い出していた。
急にアレックの身体がビクッと動いた。そして震える奇声をあげた。
「ひゃああああああぁっ!」
「どうしたんだ!?」
「怖い……怖い……なんという……怖ろしい……」
アレックの眼は剥き出しにされ、開いたままの口からは涎が垂れていた。
ミケは涎を自分の袖で拭いてやり、とにかくアレックの幼い体を抱きしめた。
なにかアレックは呟いている。
「余は絶対でなければ…捨てられる……母も殺される……あの中には絶望があった」
「あの中?」
「余の絶望……それ以外の絶望……有りと有りゆる…宇宙に存在する……絶望」
「なんのことを言ってるんだ?」
「あの女は…絶望の中に……あの女の絶望も…いくつもある絶望……一つを具現化した象徴……宇宙に存在する絶望の一つ……余はもう駄目だ」
「しっかりしろ!」
ミケの声が届いているのかわからない。アレックは焦点の合わぬ眼で、独り言のように呟いているだけだった。
しかし、その仄暗い瞳がミケの瞳を見た。
「兄上……指環の〈眼〉を閉じろ……余はそうやって…還った」
「あの中から還った? 中に入るなら指環の力を……〈サトリ〉の能力を閉じるってことか?」
「……〈眼〉を閉じれば……すべてを拒絶できる……それで……」
突然、ミケの体がアレックによって押し飛ばされた。
雨の地面に尻と手をついてしまったミケ。
その手が見る見るうちに朱い海に沈んでいく。
ミケはその場を動けず声すら出せず、その光景を見てしまった。
ワンコ族の兵士の持つ剣がアレックの腹を貫いていた。
アレックは最期の力を振り絞って剣を奪い取り、渾身の突きで兵士の心臓を貫いた。
最初に兵士が倒れた。
次にアレックがよろめいた。
「これも……また……余の絶望の……一つであった」
静かにアレックが崩れ落ちた。
時間の動いたミケがすぐにアレックを抱きかかえた。
「アレック!」
すでにアレックは息絶えていた。
その死に様は無惨に、恐怖に歪んだ表情をしていたのだった。
ミケは最後までアレックを許せなかった。
しかし、その死に絶望した。
ミケは雨水の来ない場所にアレックを寝かせ、その体に自分の上着を掛けた。
その場に死したアレックを残していくことは躊躇われたが、これ以上の絶望を引き起こさないためにも、一刻も早くペン子の元へ行かなくてはならなかった。
ミケは歩き出す、何よりも暗い漆黒の〈闇〉の中へ。
閉ざされた〈闇〉の世界。
その場所は酷く寒く、どこまでも闇色が広がっていた。
自分の身体さえも見えず、進んでいるのか、戻っているのか、自分がどこに向かって歩いているのか、方向感覚を狂わされる。
ミケは指環の〈眼〉を閉じていたが、その声はどこからか聞こえて来る。
叫び声、泣き声、嗤い声……ほかにもさまざまな絶望した声が聞こえて来た。
もしもここで〈眼〉を開いたら、これ以上の恐怖が襲って来るのだろうか?
この場所でアレックはいったい何を見たのか?
ミケは極力考えないようにした。
ここの寒さは悪寒だ。たしかに気温そのものも低いような気がするが、それよりも寒さは心にくる。少しでも気を抜けば、なにかが躰を蝕んで来そうな。
歩いても歩いても暗闇。時間の感覚すら狂っている。
ミケは決して足を止めなかった。
自分がどこを歩いているのかわからなかったが、ペン子の元へ辿り着けると信じて歩いた。
首につけた大きな鈴を握り締めるミケ。
いつか出逢った?少女?にもらった大切な鈴。
――あの日の後悔をもう忘れない。
きっと忘れようとしていたのだ。記憶は月日が流れあやふやになり、大切なことを忘却させた。けれど、思い出さなければいけない。
大切なこと。
まだ残された大切なものがあるはずだった。
鈴がひとりでに鳴った。
凜と響いたその音色と共に、黄金の鈴がほのかに輝きはじめた。
ほんの少しだが世界に色が灯った。
今にも〈闇〉に呑み込まれてしまいそうなその輝き。
どんなに小さな輝きでも、それはミケに勇気を与えた。
その勇気でミケは今こそあの?少女?に言わなければならなかった。
「ごめん」
言葉は波紋のように広がった。
そして、ミケの目の前に突然現れた大きな卵。
ミケはその卵に触れてみた。酷く冷たく、閉ざされ、ミケを拒否している。
この卵の中に?少女?がいるとミケは確信した。
「お願いだからこの中から出てきてくれ!」
その叫びは刹那に〈闇〉の中へ呑み込まれる。
卵がさらに冷たくなったように感じる。
凍り付いていく卵。さらに閉ざそうとしている。拒絶しているのだ。
なにをするべきかミケはわかった。
指環についた宝石が鳴いた。
そして、開かれる猫の〈眼〉。
嗚呼、心の声がミケの内へと流れ込んで来る。
わたしは望まれない子供でした。
きっと母も仕方がなくわたしを生んだのでしょう。
父はわたしが生まれて間もなくして死に、未婚の母とわたしを置き去りにしました。
おそらく母はわたしを仕方なく育てることにしたのでしょう。
母は自由奔放な人でした。
そのせいなのか、わたしのことを忘れてしまったり、故意にいないことにしていたような気がします。
幼いわたしを独り置いて出かけ、食べ物を与えることも忘れました。思い出したようにわたしの世話をする母の顔は、とても嫌そうだったことを覚えています。
ある日、わたしの生活に知らないおじさんが入ってきました。
おじさんはわたしのことをよく叩いたり、踏んづけたりして遊ぶ人でした。
それからしばらくして、わたしに弟ができました。
生まれたばかりの弟は神に祝福され、誰からも可愛がられる天使でした。
しかしそれからというもの、母も知らないおじさんも、わたしを見るたびに暴力を振るうようになりました。なぜそのような仕打ちを受けなくてはならないのか、わたしにはわかりませんでした。
ただわかることは、弟が生まれてからそうなってしまったということ。
だからわたしは思いました。
――弟なんていなくなってしまえばいいのに。
残酷な願いでした。
その願いが天に届いたのか、しばらくして弟が高熱を出して寝込んでしまいました。
本当に苦しそうな顔をする弟の姿を見て、わたしは酷く胸が苦しくなりました。
後悔したわたしは自分が死んで弟が助かるように願いました。
数日して弟は元気を取り戻しましたが、わたしは死にませんでした。
代わりに死んだのは母でした。交通事故でした。
作品名:ぺんにゃん♪ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)