詩集【紡ぎ詩Ⅲ】 ~恵想花~
この世の光を見ただけで ヤモリの赤ちゃんは息絶えてしまったのだ
地面に横たわる死骸には 嫌悪感はまったく感じなかった
ただ既に生命の焔が消えてしまった哀しみと
死という現実から逃れられない厳粛さがあるだけだった
好きでは虫類に生まれたかったわけではないだろう
は虫類にも生きて生を楽しむ権利はある
静かな哀しみが私の心に波のように押し寄せた
小さなヤモリは既に変色している
死とはかくも無残で 厳粛すぎるほど厳粛だ
過ぎゆく時の果てしない流れの中で
人も虫もは虫類も生きて生きて やがては死ぬ
小さな動かないヤモリを見つめ考えた
今日 明日 自分に何ができるだろうか
生命は無限ではないと
小さな生きものが無言で教えてくれた梅雨入りしたばかりの今日―
梅雨が明ければ また猛暑の夏がやって来る
☆「世界は無限の可能性に満ちている」
ある人はいつも不平ばかり言っている
私には○○がない 私には○○もない 私は不幸だ
だが 私から見れば その人はすべて満たされているとはいえないけれど
この広い世の中では恵まれている部類だと思う
ある日 その人はとうとう自分を追い詰めて過ぎて心の病にかかってしまった
もちろん その人とまったく同じ立場ではない自分に
その人の苦しみや哀しみがすべて判るわけでもないし
理解できているともいえないだろう
けれども 私には私なりの悩み苦しみもある
世界にはたくさんの人がいて
それぞれの人が皆 何かしらの悩みを背負っている
よほどすべてに恵まれた人でない限り
人は必ず悩み苦しみを持っている
どれほど幸せそうに見えたとしても
それは表面上のものにすぎないかもしれない
皆 他人に滅多に内面までさらけ出さないから
判らないだけ 知らないだけ
私から見れば その人は恵まれている
優しい理解ある旦那様 何不自由ない生活
やろうと思えば何だってできる
なのに 何故 否定的な面ばかりを見るのだろう
人生は幸せ探しのゲームだと思った方が良い
不幸よりも幸せの数をかぞえた方が絶対に幸せになれる
その気になれば 自分を取り巻く世界は無限の可能性に満ちている
考え方次第で「幸せ」は見つけられる
ある時期から思うようになった
幸せとは待っていて受け取るものではなく
なければ自分で作り出す もしくは見つけ出す努力をするものだと
☆「解き放つ」
いつだったか こんなことを言った人がいた
―どうして、それで満足できなかったの?
何故だろう そのひと言はズンと心の奥底に響いた
たとえていうなら 土壌の奥底の更に底のやわらかな部分にまで
真っすぐにズブリと突き刺さるような感じだった
今日 ある出来事があって ふとその言葉の意味を考え直してみた
―どうして、それで満足できないの?
それはとりもなおさず今の自分自身への自分からの問いかけでもある
下を見ればキリがないが
上を見てもキリがない
向上心を持って成長したいと願うこととことと誰かを妬むことは別で
現状を幸せだとありがたく感謝することと自分を卑下することは違う
ところが この二つはまったく違う癖に表面は似たようなものだから
ともすれば区別できなくなってしまう
―どうして、それで満足できないの?
その言葉の意味は重く大きい
今の自分を取り巻く環境に感謝しながら
それでも高みを見つめて成長したいと願う
いつもそんな自分でありたいと思いつつも
なかなかなれない自分に深い溜息がこぼれる梅雨の狭間の日
ぼんやりと眺めた庭の紫陽花も色あせて見えるのは
私の心を映しているかのようだ
トキハナテ トキハナテ
どこかから声が聞こえてくる
自分を固く戒めているすべてのものから心を解放してみよう
自分の「今」に素直に感謝できたそのときこそ
きっとすべてのものから解き放たれて自由になれるだろうから
☆「姉妹」
子どもの頃、姉妹に憧れていた。それは小学校を卒業するまで続いた。小学校高学年ともなると、下の弟妹が新入学してくる。どこか誇らしげな表情で幼い弟妹の手を引いて登校する級友たちを羨ましく眺めていたものだった。
そんな私がその頃、夢中になっていたのは人形遊びだ。紙人形を作り、「私」、「妹○○ちゃん」、「妹○○ちゃん」と理想の弟妹たちの役をそれぞれに振り当てる。当時、「私」の他には妹が二人、弟が一人の三人の弟妹の人形がいた。
ある年の誕生日、私は母に頼んだ。
「プレゼントは要らないから、妹が欲しい」
むろん、願いはすぐに却下された。私が熱心に頼めば頼むほど、母の怒りは増していったようで、最後は「煩い」と怒鳴られて泣く羽目になった。
今になってみれば、家庭の事情というものもあったに違いなく、無邪気な子どもの願いとはいえ、母にはしつこく言われることが耐え難かったのだろうとも理解できる。
とはいえ、その頃の私は大真面目だったし、そこまで弟妹が欲しかったのは事実である。小学校卒業と同時に人形遊びも自然に卒業し、憑きものが落ちたように「姉妹願望」はなくなった。
その後、私は四人の子の母となった。男の子一人、女の子三人だ。特に意識したわけではないけれど、奇しくも我が子は幼い頃の私が夢見た「四人兄弟姉妹」となった。子どもらがまだ幼い昔、仲良く寄り添って遊ぶ姿を見ては、幸せな想いに浸った。
長女と第四子になる三女は八歳離れている。小学校学年のお姉ちゃんが小さな妹に対して母親のように振る舞って面倒を見ているのを見る度に、姉妹とは良いものだとつくづく感じた。それは、まさしく自分が幼い頃に何度も思い描いても実現できなかった夢が形になった光景であった。
来春、長女は成人式を迎える。母としては四人の子に恵まれて幸せだったが、長女に言わせれば「一人っ子が良かった」と思うことはしばしばあったと言う。一人っ子なら何でも独り占めできるというのが理由らしい。やはり、妹がいればいたで何らかの不満はあるということで、それぞれに言い分はあるのだと今更ながらに知った。
☆「寄り道~途中下車の贈り物~」
七月下旬のある日、私は自宅最寄りのJR駅のホームにいた。息子が通う高校で三者面談があるからだ。息子は補習があるため、いつものように既に朝、登校している。
高校に近い駅までは電車で二十分余りかかる。ガタゴトと二両編成の電車に揺られてゆくのも良いものである。私は電車の旅が好きで、新幹線を利用するべきところでも好んで在来線を使う。
十二時十二分の電車に乗るつもりだったのだが、その少し前に別の電車がホームに入ってきた。アナウンスによれば、その電車は途中停まりらしい。周囲を見回すと、私以外は全員、その電車に乗り込んだ。一人だけホームに取り残されるのも恥ずかしい気がして、慌てて乗り込む。
まもなく発車し、十数分後、私は目的地よりは数駅手前の駅で降りた。乗客は皆、急ぎ足で駅舎を後にしてゆく。私は一人、陸橋を渡り向かいのホームへ渡った。もちろん、誰もいない。携帯で時間を確認したら、本来乗るはずだった電車が来るまでは三十分もあった。
作品名:詩集【紡ぎ詩Ⅲ】 ~恵想花~ 作家名:東 めぐみ