ヒトサシユビの森 1.オヤユビ
石束署で行われた事情聴取は半日に及んだ。
事情聴取が終わった直後に裁判所から逮捕状が交付された。
逮捕容疑は、溝端さちやの殺害および遺体遺棄。
逮捕容疑を聞かされたかざねはすぐに、さちやの遺体の有無を担当官に尋ねたが、担当官は回答を拒んだ。
逮捕されたかざねは帰宅できず、その夜を留置場で過ごした。
翌日早朝から始まった取り調べは、かざねの想像を越える冷酷なものだった。
「どうやって殺した? 手で絞めたか、川に顔を沈めたか? それでゴミみたいに川に捨てたのか?」
かざねにとって”言葉の暴力”が容赦なく振りかかった。
「どうせ男とやりまくってできた子だ。愛情なんてこれっぽちもなかったろ」
かざねは怒りに震える両手を机に叩きつけ、担当の取調官を睨みつけた。
「なんだ、図星か。さっさと吐いちまえ」
睨み返してくる取調官に当初は喰ってかかったかざねであったが、次第に言葉を返すのが空しく感じられるようになり、ついには黙して語らないことで反抗の意を示すようになった。
そんな取り調べが14時間続いた。
トイレになかなか行かせてもらえない屈辱も受けた。
そして翌朝、また同じような取り調べが始まり、かざねの心は疲弊していった。
3日目になるとかざねの心身の疲労は限界に達していた。
取調室の歪んだパイプに座らされたかざねが、想うことはただひとつ、さちやの安否だった。
だが、担当官からその答えは得られなかった。
3日目もまた担当官の言葉の暴力が、かざねに浴びせかけられた。
かざねは沈黙を貫いたまま、”さちやは生きている。さちやは私が守る”と心の中で何度も何度も唱えた。
それがかろうじて正気を保つ唯一の手段だった。そしてその日の夕方、取り調べは終了した。
「溝端かざね。釈放だ。言っとくが起訴猶予だ。容疑が完全に晴れたわけじゃないからな」
かざねの勾留期間中、結局警察はさちやの遺体を発見することができずにいた。
逮捕容疑を裏付ける物的証拠は皆無で、かざねからの供述も取れず、警察と検察は起訴を断念せざるを得なかった。
勾留が解け、留置場を出るかざねを雪乃が迎えに来ていた。
かざねは雪乃に尋ねた。
「さちやは見つかったの?」
雪乃は首を横に振った。かざねは小さくため息をついた。
失踪現場にいち早く駆けつけた年若い警官が、警察署の薄暗い廊下を玄関まで先導した。
ガラス扉が自動で開き、かざねたちが表に出ると、タクシーが一台、後部席のドアを開いて待機していた。
しかしその車の周囲を、カメラを構えた報道関係者やボイスレコーダーを持った新聞記者らが取り囲んでいた。
彼らはかざねを見るや色めきたち、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「溝端さん、今の気持ちをお聞かせください」
「取り調べはどうでしたか? 本当のことを話されたんですか?」
「母親として反省すべきとことがあったとはお思いになりませんか?」
かざねは歩をとめた。
警察署玄関先の車寄せには、マスコミ以外の一般町民も少なからずいて、かざねの言動を注視していた。
その視線は冷たく嫌悪の腐臭を放つものだった。
かざねはマスコミの質問には何も答えず、群衆に背を向け、若い警官に言った。
「お願いです。さちやを早く見つけてください」
若い警官は小さく頷いた。するとかざねの言葉に呼応して、群衆の中から声が起こった。
「よく言うよ、自分で殺しておいて」
かざねは肩を震わせて声のするほうを睨みつけた。
カメラマンが一斉にシャッターを切る。かざねは口を開きかけたが、ぐっと堪えた。
”お前ら、みんなクズだ!”
雪乃にはかざねの心の叫びが聴こえた。
雪乃はかざねの肩を抱き、マスコミの一団に言った。
「すみません。この子をそっとしてやってください」
雪乃は深々と頭を下げた。
作品名:ヒトサシユビの森 1.オヤユビ 作家名:JAY-TA