ヒトサシユビの森 1.オヤユビ
ラクダの背の形をした岩の上に、灯されたカンテラが置かれていた。
カンテラの炎は揺れながら辺りをほの明るく照らす。
カンテラが照らし出すエリアの中にあるものといえば、風化した岩山と群生林の幹と枝葉。そして、4人の男たちの影。
天狗岳の麓、アラカシやヤマウルシが生い茂る深い森のさらの奥深くに、その一画はあった。
男たちは地面にバスタブ状に掘られた穴の底を覗きこんだ。
穴の底にはキナリ色の収納袋がひとつ、無造作に放りこまれていた。
その袋の中で何かが動いた。
身をよじるようなくねくねとした動きだった。
収納袋は前面に長いファスナーがついている。その閉じ目の部分に動きが集中しだした。
ひとりの男が鉄製の重いスコップで、掘ったあとの残土を穴に放り入れたそのとき、閉じ目にわずかな隙間ができた。
その閉じ目から白く小さな指が、まるで発芽した新芽のように伸びてきた。
小さな指は、何かを訴えかけるかのように激しく動いた。
男はさらにスコップで残土をすくい、その指めがけて土を被せた。
ほかの男たちもショベルを手に作業に加わった。
収納袋が放りこまれた穴は、瞬く間に土で埋めらた。
”車で走っていたら、いきなり若い女性が飛び出してきて、小さい子どもを見かけませんでしたか?と必死の形相で窓を叩いてきた”
かざねのことを誰かが警察に通報した。
路肩に停めた軽自動車の陰でぐったりしているかざねを、パトカーで巡回中の警察官が発見したのは、夜が明ける少し前だった。
かざねのパンツスーツは泥シミで変色し、かなりの部分が水に濡れていた。
ところどころに裂け目があり、露出した肌にはできたばかりの擦り傷が何か所もあった。かざねの手の中のレッドキングもまた、無傷ではなかった。
パトカーを背にして体格の良い若い制服警官が近づいてくるのが見え、かざねは地面に手をついて立ち上がった。
足を踏み出そうとしたが、痛みと疲れで足に力が入らない。
よろけかけたところを若い警官が抱き支えた。
「大丈夫ですか? お怪我をされてるんじゃありませんか?」
「あの子が、さちやが、さちやがいないんです。助けてください」
かざねは若い警官の胸にすがり、半ばうわ言のように言った。
「わかりました。とにかく座りましょう」
軽自動車の助手席に、かざねは足を車外に投げ出すようにして座らされた。
若い警官はかざねと目線を合わせるように低い姿勢をとりながら質問を繰り返した。
「もう一度お尋ねしますが、信号が赤、だったんですね?」
「ええ、そうです。赤でした」
「そうですか・・・」
力なく答えるかざねに、若い警官は首をかしげながらメモをとった。
「それで、工事中の看板というのは? 何か他に書いてありませんでしたか、工事中以外に業者名とか・・・」
「いいえ、あったかもしれませんけど、よく憶えていません・・・」
「今はその看板どこにも見当たりませんが・・・」
「確かにありました。あそこらへんとこの辺りに・・・。疑っているんですか?」
かざねは怒気を強め、看板があった場所を手で示した。
若い警官がライトで照らしたが、その場所にはガードレールと雑草と砂埃しかなかった。
かざねは深いため息をつき、シートにもたれかかった。
「工事の車とか、人影はありましたか?」
「いいえ・・・」
警官は片膝をつき、低い姿勢を作り直した。
「もし、さちやくんのお顔がわかるものがあれば・・・」
かざねはポケットから携帯電話を取り出し、待ち受け画面を警官に見せた。
警官はその画面をデジタルカメラで撮影し、立ち上がると「少し待っていてください」
とかざねに言い、パトカーの脇に立つもうひとりの警官に目で合図を送った。
パトカー脇で待機していたのは、婦人警察官だった。
婦警は少し身構えて、かざねに鋭い視線を注いだ。
若い警官はいったんパトカーに戻り、警察無線のハンドマイクを掴んだ。
しばらく経って若い警官はかざねのもとに戻ってきた。
「もうすぐ救急車が到着します。病院までお送りします」
「いいえ、結構です」
「でも、怪我の手当てをされたほうがいい」
「さちやを探します」
「溝端さん、さちやくんは全力で我々が探しだします」
「さちやは必ず帰ってきます。そのとき私がここにいてやらないと・・・」
「溝端さん・・・」
救急車のサイレンの音が遠くから近づいてきた。
だがそれより早く一台のタクシーが現場に到着した。
タクシーから降りてきたのは、かざねの母、溝端雪乃だった。
「かざね、かざね」
雪乃の声に振り返ったかざねは、痛む足をひきずって雪乃の胸に抱きついた。
「母さん、さちやが、さちやがいないの。ひと晩中探したの・・・」
かざねは雪乃の胸に顔をうずめて泣き崩れた。
作品名:ヒトサシユビの森 1.オヤユビ 作家名:JAY-TA