小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ヒトサシユビの森 1.オヤユビ

INDEX|3ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 


かざねは隣接する町のスナックでカウンターレディを勤めていた。
自宅のある石束の山村から勤め先まで、車で約50分。
かざねがその店を選んだのは、夜間も看てくれる託児所があったからだ。週に3日、かざねは夕刻になるとさちやを車に乗せ、勤め先に向かった。
そして夜明け前に帰宅する。
その夜もいつもと同じように、かざねはさちやを連れて夜の山道をドライブしていた。
寝待月が雲間に隠れ、墨絵色の曇天はさらに深い漆黒となって夜空を覆い隠した。
幼児を乗せる際に義務づけられているチャイルドシートが、かざねの軽自動車にはなかった。
さちやは、斜め掛けに甘くロックされたベルトとシートが作る空間に正座し、ほぼ無言でソフトビニールの人形を相手にひとり遊びに興じた。
どちらが勝利するか結末のわからない髑髏怪獣レッドキングと正義のヒーローウルトラマンの戦いが、さちやの眼前で繰り広げられた。
集落と集落を結ぶ山間の舗装道路もまた、深い闇に沈んでいた。
灯りはかざねが運転する車のヘッドライトだけ。
右に左に大きくうねる車道を、ハイビームの灯りを頼りに走る。対向車に出くわすことはほとんどなかった。
時おり車の前方を小動物が横切ることがあるが、気づいて速度を落とした頃にはもう通り過ぎていた。
トンネルをひとつ抜け、峠をひとつ越えると少し視界が開ける。
左手下を笹良川が静かに流れている。右側の稲荷山の山肌に沿ってほぼ平坦な道がしばらく続く。
近くに民家も何もない地区なのに、ほどなく走ると信号機がポツンと立っていた。
青黄赤が横に並ぶ一般的な車両用信号機だ。
民家もなく車の通行も頻繁でない地区に場違いな信号機がある理由は、山に中にあった。
信号機からほど近い山側には人が登れる石段が設えてある。
それは山深くへと伸びる山道へと続いた。
山道は、山の頂き付近にある稲荷神社に通じる参拝者の登山道ひとつになっており、地元の人間が夏の例大祭のときにおもに利用するものだった。
正規の登山道と比べると勾配が急なため、祭礼のとき以外に使われることは、まずなかった。
そしてその信号機もまさに例大祭のときのみ交通を制御する働きをし、普段は黄色のシグナルを点滅させるだけのお飾り的な存在だった。
しかしその夜、その信号機は黄色の点滅ではなかった。
遠くからそれは赤色の継続点灯のようにかざねの目には映った。
近づくにつれ、それは紛れもない赤信号とはっきりわかった。
例年その信号機は例大祭の時期でも、夜間帯は黄色点滅になっていた。
かざねはその場所で遭遇した初めての赤信号に不思議な気持ちを持ちつつ車を停止させた。
かざねがさらに気になったのは路肩に立つ「工事中」の看板だった。
信号機を挟んで同じような大きさの看板がふたつ、ドライバーから見えるように立っていた。
しかし工事の物音ひとつ聞こえないし、工事車両や工事業者が近くにいるようにも見えない。
かざねは信号が変わるのを待ちながら、しばらくヘッドライトが照らす周辺の様子を窺いつつ考えを巡らせた。
もっと先のほうで車両の通行を妨げるような何か大きな工事をしているのか、それともきょうこの日この時から信号のシステムが変更になったのか。
タバコに火をつけ、赤信号が黄色点滅に変わるのを待つかざねだったが、信号機は赤のまま、一向に変わる気配がなかった。
隣ではレッドキングとウルトラマンの果てない戦いが続いている。信号を無視して突っ切ることも頭を過ぎったが、躊躇された。万が一これがねずみ捕りの罠だったら、免許停止は免れない。免停になればたちまち仕事に差し支える。かざねは
「ちょっと待っててね」
とさちやの頭をなで、タバコを加えたまま車外に降りた。
ひんやりとした空気に首をすぼめて、かざねは信号機の支柱があるところまで歩いた。
あまりに長い赤信号だからこれは警察の罠ではなく、信号機の誤作動か何かか? 何か信号を切り替えるボタンがありはしないかと、かざねは信号機の支柱をぐるりと一周した。
ところが外部から操作できるようなボタンや箱の類は一切見当たらない。
誰かいますか?と声を出すことも憚られて、かざねがあらためて見上げると、信号は「黄色の点滅」に変わっていた。
「なんなの、これ・・」
かざねはタバコを地面に落とし、それをヒールの先でもみ消した。
背筋をグイと伸ばし車のほうに踵を返した。
ハイビームのライトを手かざして遮り、車のほうを見ると、助手席側のドアが半分開いている。
ドアロックを解除する知恵をつけてきたさちやにかざねは近頃、手を焼いていた。
今度もそんなイタズラ心が起きたのだろう、と車に近づいた。
「さちやぁ」
とけだるい声で車内を覗きこむ。
助手席にはだらりと伸びたシートベルトがしなだれかかっているだけで、さちやはいない。
ヘッドレストに手をかけて後部座席の足元まで調べたが、さちやの影も形もなかった。
車外へ出て、その辺りを歩いているのか?
ヘッドライトで照らし出されている領域に、さちやの姿はなかった。
今走ってきた道は、光が届かず暗闇に覆われている。
かざねは大声でさちやの名前を叫んだ。
深い闇の中、かざねの声がこだまする。
さちやからの返事は聴こえない。耳を澄ませても笹良川のせせらぎ以外、耳に入ってくるものはない。
そのとき闇の中でザクっと地面がこすれる音がした。さちやの名前を呼び、かざねは音の方向に目を凝らした。
しかし何も浮かび上がってこない。
車のダッシュボードから懐中電灯を探し出し、音がした方向に光源を向けた。ガードレールが白く光った。
いや、たしかあのあたりに「工事中」の看板があったはず。
かざねは懐中電灯で行く手を広く照らし、工事看板を探しながらゆっくりと歩を進めた。
ガードレールに手が届くところまできたときである。
弾力性のある何かをヒールで踏みつけてしまい、かざねはビクっとして立ち止まった。
胸騒ぎを抑えつつ、「何か」からヒールの底をそっと持ち上げ、懐中電灯の光をゆっくりと足元に向けた。
ビニール素材の手のひらサイズのフィギュアだった。
さちやがどこに行くにも手放したことのない、レッドキングだ。
かざねは慌ててその怪獣を拾いあげ、暗闇に叫んだ。何度も叫び続けた。
「さちやぁぁぁぁぁぁ!」
返事はなかった。ただこだまとなった自分の声だけが空しく返ってくるばかりだった。