からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話
「だからよ。そっちの姉ちゃんも、そんな怖い目で俺を睨むな。
何度も説明した通りだ。
俺も、危険だからやめろと何度も説得した。
だがよ。本人がなにがなんでも絶対に『やる』と言い張ったんだ」
「それを止めてくれるのが、大人の仕事でしょ。
無事に戻って来れたからいいものを、何か有ったら、どないするつもりなの」
「わるかった。あの子を危険な目にあわせたのは、全部、俺の責任だ。
謝る。だからもう、そんな怖い目で見つめるな。
別嬪さんにそんな怖い目でみられると、俺も切なくなる。
で、・・・・、そういうお前さんは、いったいどこの誰なんだ。
初めて見る顔だ。
もしかしたらお前さんは、康平のあたらしい恋人か?」
「この人は、京都から来た千尋さんだ。
安中市で、美和子さんと一緒に、座ぐり糸の修行をした仲だそうだ。
この人だけ、今回の顛末を知らないんだ。
部屋の中を見れば瀕死のけが人はいるし、
あの子は2階で死んだように寝ている。
これでは事情がわからず、怒りだすのも無理はない。
紹介しておこう。
こいつが今回の首謀者で、極道稼業の岡本という男だ。
俺は、蕎麦屋の俊彦だ。
いちおう。康平の師匠ということになっている」
茶碗を配り始めた俊彦が、見かねて横から助け舟をだす。
『師匠』という言葉を聞いた瞬間。反射的に千尋が慌てて、背筋を伸ばす。
姿勢を正す。
「あれ?。俺のことは軽蔑の眼差しでしか見てくれないが、師匠と聞いた瞬間、
姿勢を正すとは、お前さんもなかなかのものだ。
只者じゃないな。お前さんも」
「只者ではおまへんというのは、どういう意味でしょう?」
千尋が怖い目で、尋ね返す。
「お前さんも、美和子と同じ座ぐり糸の職人か。
今のご時世。座ぐりの仕事で生計を立てようと考えるのは、
並み大抵のことじゃねぇ。
それを承知の上で、群馬までやって来て修行しようというのだから、
見上げたもんだ。
座繰りの仕事は、後世に残したい文化のひとつだ。
富岡製糸場が、世界遺産入りを目指している。
姉ちゃんのように絹の文化を後世に伝えてくれる存在は、まさに貴重だ。
志にも高いものがある。
それから、師匠と聞いた瞬間、姿勢を正す心がけも見事だ。
どうだ。これくらい褒めれば、俺への機嫌も直してくれるかな?」
「はい。事情も知らんと、たいへん失礼いたしました」
千尋が目を細めて、やわらかく笑う。
「そうこなくちゃ!。やっぱり美人には笑顔が似合う。
2階で寝ている姉ちゃんも美人だが、お前さんは、それ以上の別嬪だ。
そう言えば康平の初恋の相手の美和子も、かなりの美人だ。
康平の周りには美人ばかりが集まってくる。
なにか集める秘訣でもあるのかな。
だからこの野郎は、目写りばかりしているんだ。
いつまで経っても、嫁が決まらないのかもしれねぇ。
となると、モテすぎるというのも考えものだな。あっはっは!』
「いつの間にか賑やかですねぇ。あら、千尋さんまできてくれたの。嬉しい」
2階から、毛布をまとった貞園が降りてきた。
こころなしか、頬が青白く見える。しかし本人は元気を装っている。
「大丈夫か、起きて来て。
体調が悪いのなら、もうすこし寝ていてもいいんだぜ。
俺たちのことなんか、気にしないで」
「ありがとう康平。でももう大丈夫。
すこし寒気を感じるの。このまま毛布を借りていってもいいかしら?。
帰ろう康平。
オジサマ達にはこのまま失礼して、家に帰って眠りたい」
ふらりと態勢を崩す貞園を、千尋があわてて支える。
立ち上りかける岡本を、貞園が柔らかい笑顔で押しとどめる。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話 作家名:落合順平