からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話
「大丈夫。杉原は、助かると言いきった。
貫通した傷の治癒に時間がかかるだろうが、致命傷にはならないそうだ。
さて、着替えも終わったようだから、これからどうするお姉ちゃん。
帰るんならうちの若い者に前橋まで送らせる。
それが気に入らないというのなら、誰かに迎えに来てもらおうか?」
「それなら、心配はない。
無事に救出したと康平へ連絡したら、車で迎えに来ると返事があった。
スケベで、鼻血を出しているお前さんの子分たちに送ってもらうより、
昔馴染みの康平の方が、よほど安心できるだろう。
まもなくここへ着くそうだ。
到着を待つ間。2階へ行って、2部式着物を物色するかい?。
何枚でもプレゼントするぞ」
「物欲に目が眩みました。2階の2部式着物が気になります。
本当にもらっていいの?。
大事なお嬢さんの、大切な2部式着物でしょ。
大切なものをもらえるなんて、まるで夢のようなお話です」
「願ってもいないところで、2部式着物のご褒美が手に入ったようだな。
じゃ、もう春の新作はいらないな。
ゴルフウェアの代わりに、響の2部式着物を山のようにもらっていけ!。
あとのことは、この俺にまかせろ」
「あら。おじさまったら。
春物の新作ウェアのご褒美は、また別のお話でしょう!」
「わかってるさ。冗談だ。
お前さんが、危険を顧みず、身体を張って実行犯を救出した。
正直なところ。うまくいきすぎて俺のほうが救われた。
ひとつ間違えれば、あっちの組と、戦争が始まるところだ。
ゴルフウェアで済めば、安いもんだ。
真っ暗闇の店内で頑張り抜いたおかげで、今回の作戦が成功した。
感謝するのは俺たちのほうだ。
お前さんは、まったくもって見上げた根性の持ち主だ。
どうだ。愛人なんかやめて、俺の組で働かんか。高給で優遇するぜ」
「お断りです」と貞園が、ぺろりと赤い舌を出す。
「そういうだろうと思ったぜ。俺も。
悪いなぁトシ。そういうわけだ。
俺からも頼む。気に入った2部式着物をこの子に、
たんまりプレゼントしてくれ。
響には、用の無い品物ばかりだろう。
おかげで俺の首も、こうして皮一枚を残して無事に残った」
2階へ戻った貞園が作務衣のまま、ぺたりと畳に座りこんでしまう。
(とりあえず、私の仕事は終わったわ・・・・)
いままでの緊張感がすこしずつ、貞園の体から抜けていく。
重い疲労感と恐怖が、どこからともなくまた蘇ってくる。
持病の過呼吸症が、ひそかに狙っているようなそんな気配も迫ってくる。
身震いする。貞園が、思わず悪寒を感じる。
2階へ上がってきた俊彦が、背後から貞園の肩へ毛布をかける。
「もういい。すべて忘れろ。気を張りすぎて疲れきっているんだ。
みんなに無理に。明るく振舞う必要はない。
もういい。自分の気持ちに正直になれ。
俺はまた階下へ戻る。君をここに残しておいて大丈夫かな。
寂しいのなら、廊下の隅で待機していている・・・・
君は、どうしてほしい?」
「大丈夫です。ひとりでも。
康平が来たら起こして下さい。すこし、眠りたい」
「わかった。そのほうがいい。
過激な場所で君は、神経をすり減らしてきた。
今は身体と気持ちを、ゆっくり休めることが最優先だ」
「ありがとう。でも・・・・心配して、また2階へ戻ってこないでね。
私。涙を見られるのが嫌いなの。
ごめんなさい。生意気すぎる女で」
「すべて了解した。
思いっきり、ひとりで泣くがいい。それで今日のことは全部忘れろ。
悪い夢を見たと思ってね。じゃぁ」
トントンと階段を踏んで、俊彦が階下へ立ち去っていく。
頭から毛布をかぶった貞園が、そのまま畳へ朽木のように倒れ込む。
固く閉じられた貞園の両方の目から、涙が一筋溢れ出す。
やがて貞園が、小刻みに震えはじめる。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話 作家名:落合順平