からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話
顔を真っ赤にした貞園が、胸を隠し、あわてて2階へ駆け上がる。
俊彦のアパートでは、医師の杉原が実行犯の到着を待っていた。
車から降ろされた実行犯は、そのまま居間へ移される。
意識不明の実行犯の治療が始まる。
銃弾は腹部の浅い部分を、ななめに貫通していた。
大量の出血を発生させたものの、奇跡的に内部臓器は、最小限の損傷ですんだ。
致命傷にならずに済みそうだと、杉原が岡本に説明している。
「どこまでも運の良い野郎だ。
貞園に助けられたうえ、医者にも恵まれたとなるとこれ以上、
悪あがきはできまい。
国外逃亡をさせずとも、美和子との離婚に同意させたも同然だ。
さすがにオルレアンの乙女だ。
あの子はまわりを幸せにする運を持っているようだ。
おかげで手間がひとつはぶけたわい。万事めでたし、めでたし。
よかった、よかった」
岡本がひとり、笑みを浮かべている。
「なにがそんなに楽しいのですか、おじさま」着替えを終えた貞園が、
居間へ戻ってきた。
振り返ると、響の作務衣を着た貞園がにこやかに立っている。
「なんだその格好は・・・
よく見ればそれは、昔、ここで響が愛用していた作務衣ではないか。
どこから見つけ出してきたんだ、そんな古いものを。
台湾生まれだというのに、日本の衣装が似合うとは、
お前さんも不思議な女の子だ。
うん。似合っている。悪くはない」
「2階のお部屋に、たくさん置いてありました。
見た目が素敵だったので、思わず袖を通してしまいました。
着心地いいですねぇ、すっかり気に入りました。
こちらも素敵ですが、下が巻きスカートのようになっている着物も
また素敵です。
プレゼントなら、私はそちらのほうが好みです」
「今着ているのが作務衣だ。
巻きスカートは、2部式着物という。
気にいったのなら、難しい仕事を勇敢に片付けてきたご褒美として、
俺から進呈しよう。
娘の響が蕎麦屋を手伝っていた頃、着ていたものだ。
遠慮しないで何枚でも持っていくがいい。
チャーミングな女性へプレゼントしたといえば、娘も納得するだろう」
「あら。俊彦さんにも、娘さんがいらっしゃるのですか?」
「おう。居るには居る。だがトシの場合は複雑だ。
芸者をしている清子という同級生の女が、勝手に生んでしまった隠し子だ。
独り娘が24歳になるまで、トシは存在すら知らずにいた。
意地を張りあったまま、トシと清子は、いまだに桐生と湯西川で
別々の生活だ。
いいかげん覚悟を決め、所帯を持ってもいい頃だ。
親がグズグズしているうちに、娘は結婚適齢期になっちまった。
その響なんだが、若狭の原発を見に行ったまま、
いまだに帰ってくる気配がない。
そんなわけだ。こいつの事情も複雑で大変だが、俺の家だって大変だ。
俺も、適齢期になった娘を持て余している。
娘を持つ男親は大変だ。
なんだかんだと、ひとときも気が休まらねぇ、こいつも俺も・・・・」
「関係ないだろう。そんな細かい、俺たちの家庭の事情など。
今は実行犯の治療が先決だ。助けることが大事だろう。
適齢期の娘の話など、後回しだ。後回し」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 121話~125話 作家名:落合順平