隣と彼方 探偵奇談9
「須丸!」
声をかけられ気が付くと、そこは弓道場だった。友人らが覗き込んでくる。机に突っ伏して、眠っていたようだ。
「おまえ風邪ひくぞー」
「うわあ、俺寝てた?」
「ウトウトしてたぞ。昨日ガンバリすぎたかー?」
昨日の疲れが抜けていないのだろうか。朝練とはいえ、情けない。
「お、主将の立ちだ」
射場に、伊吹の背中が見える。伊吹が射に入るとき、弓道場の雰囲気がちょっとだけ変わる。主将の射とは、やはりそれくらい影響力があるものなのだと思う。静かで、音もなく、張りつめたというよりは、柔らかな射。
(ああ、そうか…)
その背中を見つめながら、瑞はさきほどの夢を思い出す。物見をいれる伊吹の視線が、朝の空気へと向けられている。表情は見えない。
(こんなに近くにいるのに…まだ辿り着いていないっていうことか…)
絡まった糸の先。
まだ遠く、見えない行方。
伊吹の放つ矢が、次々と的を射抜く。弦音が心地よく響いている。
それでも、向かう先が明確に、ぶれることなくここに在るのなら。
「おまえ寝てたろ、いまさっき!」
射場を出た伊吹が、瑞を見つけて笑う。
そう、迷うことなく向かうだけだ。
いつかの自分が失った、このひとのもとへ。
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作品名:隣と彼方 探偵奇談9 作家名:ひなた眞白