からっ風と、繭の郷の子守唄 105話~110話
車の中が冷え込んで来た。康平が暖房のスイッチを入れる。
狭い軽車両の室内が、苦もなく温まっていく。
数分後。暑いほどになってきた。
フロントガラスが外の冷気に反発して、やがて雲りはじめる。
窓の外の夜景が、ぼんやり霞みはじめる。
『効きすぎどすなぁ、暖房が』千尋が助手席の窓を少し開ける。
冷えた夜の空気が、一瞬、車内を駆け巡る。
ほっと一息をついたあと、千尋が足を揃える。姿勢をただす。
「違和感を感じたのは、22歳のとき。
ウチは美術大学へ通っていました。将来は、美術の先生になると
決めていました。
彼はすでに、コンピューターのソフトを作る会社で、働き始めていました。
週末は彼のアパートへ行きました。下手ですけど、ご飯をつくりました。
ゲームも楽しみました。時には、カラオケやボーリングへ出かけました。
どこにでもいる恋人たちと同じように、セックスもしました。
そのことで、罪悪感は感じませんどした。
彼が求めれば、普通に応じるという感じどす。
ごく自然にそれは始まり ごく自然のまんま継続しました。
1年くらい経った頃。症状が現れました。
病院で、『子宮頸がん」と診断されました」
(来るべきときが来た・・・・)康平がごくりと唾を呑む。
千尋は前を向いたまま、曇りガラスのようなフロントを見つめている。
「子宮頸部の粘膜の上皮にとどまっとる状態が0期。
子宮まわりの臓器や他の臓器に転移するIV期までの、段階があります。
0期かIa1期までの初期段階に発見をできれば、子宮頸部の一部を
切り取るだけで済みます。
『円錐切除術』と呼ばれています。
この段階なら、妊娠や出産も可能どす。
Ia2期以降にすすむと、子宮の全摘出を行います。
さらにすすんだII期は、卵巣や卵管なども含めた生殖のすべてを
取り除く手術が必要になります。
さらにがんが進行しとる場合には、放射線治療と化学療法が
並行して行われるようになります。
ウチの場合。進行した子宮頸がんであることが分かりました。
子宮摘出もふくめて、より積極的な治療が必要なことが
分かってきました」
康平が、喉の渇きを覚える。
千尋は前を見つめたまま、淡々と自分の病気を語っている。
千尋の瞳は、冷静に自分の症状を見つめている。
女として大切な臓器を失うことが、一体何を意味しているのか、
それは、当人が一番良く理解している。
子宮の摘出を決意したあの日のように、今夜の千尋もまた、
正面を見つめている。
康平のために、ありのままに、すべてをさらけだそうとしている。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 105話~110話 作家名:落合順平