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鳥籠―Toriko―

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 世界に存在する数多の宗教を、カルフェもいちいち覚えてはいないが、この言葉は、それら宗教のうちのどれかの聖域へと盗みに入った時に聞かされた。その時も、高額な以来によるものだった。聖域に住まう信者達を次々に殺し、目的の物を最後まで守ろうとした老聖者を殺そうとした時に、彼が最期に口にした言葉だ。その記憶も、時間の流れによって薄れつつあるが、時折カルフェは夢に見る。
「過去とは消すものにあらず。忘れるものにあらず。乗り越えるものなり」
 全てに向き合う勇気が持てなかったカルフェには、これほど辛い言葉もなかっただろう。だから、カルフェは自分に言い聞かせていた。自分は狼なのだ。ヒトの皮を被り、人間を人間とも思わぬ悪しき人狼なのだと。
 だが、その仕事を最後に、カルフェは狼を辞めた。自分の中の隻眼の黒い狼を殺し、ただの旅人になった。今まで手をつけてきた全ての仕事の記憶を封印し、違う人間への転生を図った。
 それでも、過去が、罪が、消えるわけではない。
 老聖者の最期の言葉が、呪いのように、その身に、その心に、沁みついている。
「君が忘れるのは勝手だが、隻眼の黒狼という者の噂は死んではいないのだよ」
 カルフェにはミュネがいる。グレハまでも巻き添えになっている。
 これは呪いなのだろうか、過去の亡霊の招く呪いなのだろうか。
 どんなに厭になっても、どんなに逃れたくても、苦しみながら同じ事をしなければならないこの呪われた腕。それこそが、過去にカルフェが殺した者たちの呪いなのだろうか。
 カルフェが手に掛けた者は、聖域の者達だけではない。それまで、ささやかな幸せと共に暮らしていた何の罪もない人々も数多いただろう。殺されても仕方ない者などいない。
 人々の負の感情を一身に請け負って、剣を振り払うあの時、目の前で命を落とす者を見つめながら、自分は一体何を考えていただろうか。老聖者の言葉を耳にし、彼が死ぬまでを見つめているうちに、自分のなかの何が変わったのだろうか。
 何が変わったにせよ、これは呪いだ。
 同じ事を繰り返させようとする呪いだ。
 しかし、カルフェは自分の事をよく知っていた。写真を握り締めるその手の力から、自分の意志がよく分かっていた。
 ――ミュネを守る。
 自分にはこれしかない。
 その為に、自分が悪鬼となり下がっても、ミュネさえ守れればそれでいい。人から後ろ指差される狼だとしても、自分には、ミュネさえいてくれればいい。
 ――それでいい!
「やります」
 カルフェの独眼が、鋭く光った。
 その光の奥に潜むのは禍々しい闇。穢れのなき白を守るために、何処までも穢れていこう、そう誓った者の中に生まれた、闇の色。

三.門出

 三日後に、写真の男の演説があるらしい。
 彼が何者なのか、雇い主は一切教えてこなかった。だが、その演説に行くとカルフェが言った時、グレハの答えでなんとなく分かった。
「やっぱり旅人だとその土地その土地の風土病には興味があるの?」
 どういう事なのか、カルフェはぴんとこなかった。
 しかし、どうやらこの男、この町で一番頼られている製薬の開発者らしい。その事実を知ったのは、グレハの問いの答えをはぐらかして街へと出ていった後、とある店の壁で写真の男のポスターを目にした時だった。その時まで、ポスター自身に全く気付かなかったが、町の到る所に貼られているらしい。
 男は、この地方で罹れば絶望的だと言われていた、ある風土病の唯一の治療薬を開発したチームの代表。その病の事も、治療薬の事も、カルフェは知っていた。知ってはいたが、旅人としての知識のみだ。どうして彼が狙われ、どうして雇い主が彼を殺したいのか、まったく分からない。町の者に聞けば、その男がどんなに立派な人物なのか、目を輝かしてたくさん説明してくる。
 こんなにも尊敬されているのだ。
 ――それなのに、どうしてだろう。
 男は町外れの館に住んでいる。雇い主の家よりもシンプルな家。住処にあまり金はかかっていない。それどころか、話によれば、服装も、趣味も、さほど金はかけていないらしい。なぜなら、彼は金持ちというわけではないのだ。
薬は格安で出回っている。研究員達は、町から、決められた額の研究の援助と最低限の生活保障を受けているのみ。金持ちというわけではない。それに、金にゆとりがあったとて、彼はそれを自分の趣味に使ったりしないで寄付するだろう。そういう人物なのだ、そう町の者たちは口をそろえて言う。
 そういう人が、何故殺される?
 そういう人を、何故殺さなければいけない?
 男の噂を聞けば聞くほど、カルフェの心はもがき苦しんだ。どうしてやらなければならないのだろう。しかし、やるしかない。やらなければならない。やらなければ、ミュネは雇い主に殺されてしまうかもしれない。命が守られたとしても、同じこと。二度とカルフェの手には戻ってこないだろう。そう、カルフェは分かっていた。ミュネの為ならば、ミュネを欲する自分の為ならば、狼所か鬼にすらなれるだろうという事。
 そうなれば、誰であろうと、討てるという事。
 ――行くしかない。
 カルフェは心を固めた。
 そうなれば、三日なんてあっという間だった。

 運命の日の朝、カルフェは幾度となく、自分に言い聞かせていた。
 狼を辞めた日からずっとこの身を支配していた良心を、必死に説得していた。全てはミュネの為。全ては自分の為。身勝手な事ではある。許されないことである。だけど、ここは自分の世界。ミュネと共に生き抜くことこそが、この世界の全て。
 そう言い聞かせていた。
 カルフェの得物は、小さな弓。それだけでも、命は奪ってしまう。どんなに遠くても、どんなに離れていても。風さえ味方してくれれば、カルフェに射止められないものはない。
 そうやって、何の罪もない人間を、今日殺さなければならないのだ。
 ――それでもいい。私は狼なのだから。
 狼よりもずっと闇に染まった、真陰の狼。きっと、本物の狼は、カルフェよりもずっと情に溢れているだろう。そうカルフェは思いながら、小さな弓を大事に抱える。
 この弓が、全てを終わらせてくれる。
 この得物が、全てを救ってくれる。
 ――この弓矢だけが、我々の味方。
 残るは敵ばかり。
 そう信じて、カルフェは歩みを進めた。
「待ちなよ」
 だから、暗黒へとまっすぐ進む自分を呼びとめる者がいるなんて、カルフェは思いもしなかった。カルフェは息を詰まらせた。そこに居たのは、グレハ。一人だけだった。
「ミュネは……」
 真っ先に出た言葉はそれだった。ここの所、雇い主の所に世話になっていても、やはりミュネの面倒はグレハが見ていた。ミュネはグレハにすっかり懐いていたし、グレハもミュネの扱いは異常なほど上手かったからだ。
「安心しな。今はぐっすりさ。起きたとしても、あの館を抜け出すなんて、ミュネには不可能だろうしね」
 グレハはくすりと笑んで、髪をかき上げる。その仕草が、非常に女性的だった。凛とした瞳が、まっすぐカルフェを見つめる。深みを帯びた色に、カルフェの中の狼が怯んだ。そう、グレハは知っている。カルフェが何をしようとしているのか。
「その弓」
 グレハが指を刺した。
「泣いているよ」
作品名:鳥籠―Toriko― 作家名:幼 ゐこみ