鳥籠―Toriko―
さて、ミュネの方は初めてこの町に来た。
カルフェがミュネを捕まえて、まだ一年と少ししか経っていない為、まだまだこの近隣地方で行っていない場所は多い。まるで鬼ごっこでもするように、カルフェはミュネを連れてこの地方をぐるぐると回っていくのだろう。
「すごい」
ミュネが辺りを見渡している。
「人工なのに、人工じゃない」
淡々とした口調でミュネは言った。
思えば、カルフェはミュネを引っ張ってきたのには、この町を見せたかったからという事も少し含まれていたかもしれない。何処か自然物とは思えないミュネが、人工だけと自然なこの街並みを見たら、どう感じるのだろう。
そんな興味もあった。
そして、その感想は、実にミュネらしいとも思った。
人工なのに、人工じゃない。
なるほど、カルフェのような人間ならば、そのような言葉は思いつかないかも知れない。きっと通論のような感想を漏らす旅人ならば、この感想を味気ない物だと感じるだろう。だが、カルフェはそうは思わなかった。
古くからの建物。
計算されたその並び。
石畳の道路。
そして、季節ごとに色を醸し出す取り巻きの自然。
如何に美しくあろうと、人工には変わりない。人工ならではの美しさなのだ。だからこそ、ミュネが感動する事が嬉しかった。
人工なのに人工じゃない。
ミュネはその古都に魅入られたようだった。
「あっち見たい」
そう言って、無邪気にカルフェの手からすり抜けようとする。
失敗だ。
やはり連れて来るのは早かった。
使役か服従の呪文を覚えてから来るべきだったかも知れない。
素早くミュネを引き寄せて瞬時にそう思ったが、結局の所、何処に連れていってもミュネは自分の興味を見つけ、今の様に勝手に行動しようとすることを思い出した。
やはり呪文を覚えよう。
「あっち見たら駄目?」
ミュネが恐る恐るカルフェを窺ってきた。
この目に負けてはいけない。
「買い物が済んだら町を見渡そう。だから、もう暫く我慢してくれ」
「えー」
ミュネは小石を蹴りつつ、上目遣いにカルフェを見つめる。
駄々っ子だ。
こうなったら暫く言う事を聞かない。
「ミュネ、カルフェが買い物している間、あっち見る」
「駄目だってば。全く、俺の気持ちもわかってくれよ」
「カルフェの気持ち?」
ミュネは首を傾げ、不思議そうにカルフェを見つめた。軽く指を噛みながら、ミュネは何やら考え、直ぐに納得したように頷いた。
「分かった。じゃあ、ミュネが買い物行く。カルフェあっち見てきて」
分かっていない。
全然分かっていない。
カルフェは呆れた。
ミュネは度々このような事を言う。自分の思っている事は、絶対に他人も思っているのだと信じ込んでいるらしい。つまり、今の場合、カルフェも自分と同じくそのあっちとやらを見たいのだと思い込んでいるのだ。
それとも、ミュネの種族は、皆が同じ事を想うような生き物なのだろうか。
「ミュネ、一緒に買い物に行ってから、あっちを見ようか」
カルフェは根気強く、ゆっくりと、ミュネに語りかけた。
すると、ミュネは目を丸くして、閃いたように答えた。
「うん、そうする!」
やっと話が通じた。
これでも、カルフェがミュネを捕まえたばかりの頃よりは、この意思疎通の時間は随分と短縮されたものだ。
あともう少し短縮できれば。
カルフェはいつもそう思っていた。
買い物が終わると、ミュネはもうあっちとやらを忘れていた。こういう時は無かった事にするのが一番だ。カルフェはこれ幸いと宿を探した。
探しているのは、そこそこの宿。安すぎてもいけないし、高すぎてもいけない。一晩幾らなどとは書いていないため、一々受付まで行って確認しなくてはならない。すぐにつけるかは運の問題だ。ミュネが飽きないうちに見つけ出したい、とカルフェは外見から大体の値段を予測しながら宿を訪ね歩いた。だが、意外にも分からない物だった。だいたいの目星をつけて見ても、見栄っ張りな宿だったり、外見に気を配らない高価宿だったりと、何かを試されているような宿続きで、カルフェでさえも疲れてしまった。その上、ミュネが一緒なのを見て、いきなり値を上げる非道な宿もあるのだ。つまり、泊まるな、と言っているのだ。きっと、カルフェの事を人攫いの類だと思っているのだろう。トラブルを起こしそうな者とは関わりたくない気持ちが見え見えだった。
結局、カルフェは路頭に迷ってしまった。
ミュネはとっくにうとうとし始めている。背負わなければいけないのも時間の問題だ。だが、カルフェ自身にも、もう気力がない。
如何するべきか。
カルフェは考えるのも億劫な頭を働かせた。その時。
「そこの兄さん」
いきなり声をかけられ、カルフェは緊張した。極力人とは関わりたくない。気のいい町娘の形をした密猟者なんて者もいるこのご時世、どんな外見の者も一目見ただけでは信用出来ないのだ。
カルフェの振り返った先に居たのは少年だった。否、少女だろうか。その子どもは纏まりのない赤毛を肩まで伸ばし、枯れ葉の様な色の衣を羽織っていた。黒真珠のような瞳でカルフェを見上げている。口元は愛想笑いの一つも浮かべていなかった。
「あんたら泊まるところがないんでしょう?」
カルフェが言う前に、その子どもが当てた。カルフェは子どもに目線を合わせると、軽く周囲を見渡した。大丈夫だ。不審な者はいない。
「君は誰だい? 近くの子?」
「名前はグレハ。宿ならいい所を知ってるよ。その子が一緒でも大丈夫なところさ」
カルフェは黙ってグレハと名乗る子どもを見つめた。十代中頃といった外見。しかし、だからと言って、それだけでは安心し切れない。カルフェの警戒する相手に性別も年齢も関係ないのだ。今は、このグレハがミュネを如何見るかが問題だった。
「変な誤解を受けて泊まれないんでしょ? 案内するところはそんな安直な物の見方をしないようなところさ。何時でも鋭い判断をして客を選んでる。あんたらなら、大丈夫。ゼブブにも気に入られるよ」
「ゼブブ?」
「その宿の支配人さ。のんびりしてるが気の好いじいさんだよ」
グレハはにこりと笑い、カルフェを見上げた。
「安くていい宿なんだが、客がいなくて困ってんのさ。おいでよ、案内するからさ」
そう言って返事も聞かずに駆けていくグレハに、カルフェは呆れつつも、「ほら行くぞ」とミュネの手を引き、あっという間に遠くまで行ったグレハをゆっくりと追った。
幸いこの道は真っ直ぐだ。
どんなにグレハがせっかちでも、見失う事はないはずだろう。
カルフェは溜め息混じりに歩き続けた。
それにしても、カルフェの案内する宿とはどんなところだろう。ゼブブとはどんな者なのだろう。まさか、入った瞬間にズドンという事はないだろうか。子どもとは言え、会って数分の人を信じていいものだろうか。
一歩踏み出す毎に、カルフェはより懐疑的になっていったが、本当だった時の事を考えては、グレハを追う気力を取り戻した。
古都の風はゆっくりと吹き、カルフェの背を押していく。
度々は振り返るグレハを追いながら、カルフェは考えた。
作品名:鳥籠―Toriko― 作家名:幼 ゐこみ