鳥籠―Toriko―
だからこそ、カルフェには気苦労が絶えなかった。
ミュネを此処まで守ってやることに利益など無い。金になるとはいえ、売る気にもならないし、頼まれているわけでもない。飽く迄もカルフェの愛玩として、ミュネは存在していた。全く手のかかる愛玩だった。言葉は通じなくとも、犬や猫、鳥の方がまだ扱いやすいだろう。
ここまで守る理由。そんなもの、一つしかなかった。
ミュネに魅せられた。
それだけのことだ。
ミュネは度々カルフェに擦り寄ってくる。それは、自分の気が向いた時だけの事。まるで猫の様な甘え方をする。だが、ネコ科ではなさそうだ。また、ミュネはよく鼻が利く。何かを嗅ぎつけた時には呟く様にカルフェにそれを伝えてくる。最初はカルフェも半信半疑だったが、その嗅覚は犬の様に鋭いのだという事を、身を以て体験した。今は、その時の自分の愚かさを思い出したくもない。だが、ともかく、ミュネは犬の様な嗅覚を宿しているが、イヌ科というわけでもないらしい。
犬の様な、猫の様な、その獣の甘えを、カルフェはいつも受け止めた。
だが、同時にいつも思っていた。
ミュネは真にカルフェに甘えているのだろうか。
ミュネは真にカルフェに懐いているのだろうか。
初めて会った時、逃がしたくない余りに、カルフェはミュネに暗示をかけた。二度と離れないように、得意な幻術で、ミュネの心に鎖を掛けた。それ以降ミュネはカルフェに縋り、その愛撫を喜んで受けるのだ。カルフェは微笑みながらミュネを可愛がったが、同時に不安だった。
何時か、暗示が解かれた日、ミュネは自分からいなくなるのではないか。
「カルフェ」
その時、ミュネが言葉を放った。
「町だよ」
ミュネが示す先には、今から向かう町がある。古都の頃の面影を消し去らない、素晴らしい町。まだ訪れていないその町ならば、少しは長く滞在できるかもしれない。実際、滞在できる期間はそう長くなくともいいが、買い出しや金稼ぎはしたかった。売るものは売り、必要な物を買いそろえる。どうせ、ここにも長くはいれないのだから。
仕事でもあればいい。
カルフェはそう思った。
短期で金の入る仕事があれば、少しは足しになる。だが、ミュネを抱えている以上はあまり長く留守に出来ないだろう。幾ら言い聞かせても、ふらふらと何処かへ行ってしまうかもしれないからだ。逃げる速度も遅いうえ、複数でかかられたら御終いだ。
「ミュネ、一人でいれるよ?」
ミュネはそう言うが、カルフェは信用していなかった。否、ミュネを信用していないというよりも、密猟者を恐れている。そして、それよりも、後ろ暗い請負人などは侮れない。彼らは手段を選ばないのだ。例えミュネが宿に隠れていたとしても、そういった輩は遠慮なく踏み込み、隠れているミュネを見つけ出して攫うだろう。
「ミュネ、そんな弱くない」
ミュネは本当に不満そうに言った。
カルフェは溜め息を吐き、ミュネに訊ねた。
「弱くないと思うのはいいが、それならどうして君は俺と一緒にいるんだい?」
こう問うと、ミュネは大概口を尖らせるのだった。
だが、ミュネが弱くないと自称するのは確かな事だった。もともと、最初の最初にミュネに目を付けた時、カルフェは自分を守る使い魔が欲しかったのだ。その為に、ミュネは相当だろうと思い追いかけ、追いかけるうちに、その美しさに惚れてしまった。捕まえてみれば、守ってもらうよりも圧倒的に守る方が多かったのだが、もともとは使い魔にと思っただけあって、ミュネは決して弱い存在ではなかった。
並みの請負人や人攫い程度ならば、そう簡単にミュネを狩れないだろう。
しかしミュネを狙う者と言えば、普通の者ではないのだ。もっと野蛮な依頼をこなしてきたような請負人。もしくは、狙われたら諦める方が最善の手と言われるほどの凄腕の人攫い。そういう者相手に、ミュネは何処まで身を守れるのか。それを考えると、ミュネが弱くないと自称するのにも素直に頷けない。況してや、決して弱くないけれども、隙の多いミュネの事だ。後ろから催眠薬でも嗅がされれば、彼らにとって易しくて稼げる仕事がすぐに片付いてしまうだろう。
「なら、ミュネ、森にいる」
ミュネが立ち止って言った。
町はもうすぐ其処に見えている。森の外れにも掛かってきた中で、ミュネは大木を示していた。カルフェはミュネを引っ張った。だが、ミュネは言う事を聞かない。幾ら暗示をかけたからと言って、それは逃げないだけの話であって、芯から服従させたわけではない。その事が、こういう時に不便だ。
使役の呪文を覚えたい。
カルフェはぼんやりとそんな事を考えていた。
「カルフェ、痛い、そうじゃなくて、あっち行きたいの」
ミュネは懸命に大木を示していた。
「あっちに雨露があるの。その中入りたい」
見上げてくるミュネの頬を、カルフェは片手で触り、首を振った。
ミュネは不思議そうにカルフェを見つめた。
「だって、町より安全だよ?」
ミュネは言った。
だが、カルフェはそうは思えなかった。
ミュネを狙っているのは、人間の欲だけではない。魔物達だってそうだ。或いは、人間の様に欲の強い獣でさえも、ミュネの敵となった。このような雨露にいれば、逃げ道はない。人間は来ないだろうが、ミュネの匂いを嗅いだ魔物や獣はやってくるのだ。そうなったとき、一体ミュネはどうやって逃げるつもりなのだろうか。
そう問うと、ミュネは更に機嫌を悪くした。
「入りたいだけ! 入りたいだけなのに!」
「駄目、危険だ」
「カルフェのばか」
つんとそっぽを向くミュネに、カルフェは再び溜め息を吐いた。甘やかし過ぎただろうか。だが、ミュネのこの性格は、捕まえた時からすでに確立されていた。当初は調教しようと頑張ったが、所詮は猛獣使いの真似ごとでしかなかったらしく、ミュネはカルフェの気持ちとは正反対の方向で、カルフェに慣れていった。
つまり、舐められているようだ。
誰のお陰で平穏無事に過ごせているとでも、と、しばしば思ったカルフェだが、ミュネがひたすら遊んだ後、カルフェに身を寄せて眠っているのを見ていると、不思議と怒りがすっと退くのだ。
やはり誰にも渡したくない。
自分だけの、獣。
カルフェは歩きだした。
森でミュネを狙う者よりも、町でミュネを狙う者の方が恐ろしくない。守りきれる自信はある。それに、仕事など無理にしなくとも売り物はあるし、もしも物が売れなくても、金は幾らかある。若しミュネの事が露見したとしても、必要な物を買い揃えてここを発つだけだ。何の問題もない。
「ミュネ、人間らしくね」
「うん、分かってる」
ミュネはやや不服そうに答えた。
古都の面影強いその町は、非常に美しかった。近隣の町にはない高貴さと、英知、洗練された輝きを宿している。というのが、大概の旅人の感想だ。
それは尤もだとカルフェも思う。
カルフェはその町に来るのが初めてという訳ではないのだが、それでも町に入る度に、不思議の中へと潜り込んだような感覚がする。不思議の中とは何か。そう問われると、さすがにカルフェも答えられない。だがきっと、日常のすぐ傍に転がっているようなものであるだろう、とカルフェは思っていた。
作品名:鳥籠―Toriko― 作家名:幼 ゐこみ