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秋上がりの女

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 いろんな液が混じり合って、しみ出したのだ。
「気持ち良かったですか」
 もう女はいつもの顔に戻って、男に冷静な言葉を投げかけた。男はあれ、と思った。男はまだ、余韻にひたって、頭も身体もヒートしたままだったからだ。あんなに女も、盛り上がっていたはずなのに、もうさめたのか。
 男は、女の表情が変わって、もう何事もなかったかのような態度に色を失った。すごいことを言う、やっぱり、プロかと、女をきめつける。決めつけて、男の優位を保とうとする。このミスマッチは深い。それはあなたの周りの女たちが演技しているからなのよ、と女は言ってやりたかった。夫婦なら、こういう言葉を出せないだろう、恋人でもむつかしい。そう、さっきまでの興奮ぶりは、すべて演技だったのよと言うわけだ。娼婦ならはっきり言える。
「いやあ、楽しかった、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「名残惜しいな、お腹すいたやろ、なにか食べようか」
「予定があるので、また今度、お願いします」
「もう少しおしゃべりして帰ろうよ」
 男はしつこかった。
「今日はむりです」
「次は、一日、貸し切りで頼みたいな」
「考えておきます」
 男はあきらめて、ホテル代込みで、7万円を置いて先に帰ってしまった。あからさまに不満げな態度だった。不満を表現するのは気があるからだ、この男はコントロールしやすいのではないかと思ったが、男の貸し切り、という言葉にひっかかっていた。

やがて女は強くなる
 男とのおつきあいは、長いやつで10年を越える、だぶっていることも少なくない。短くても3年、4年はつきあった。男たちとのリーグ戦みたいだった。しかし、今は違う。30歳代も後半になれば、トーナメント戦だ。1回毎の勝ち上がりだ。金払いの良い男と刹那的なセックスをする。1回きりだから、全力投球だ。せいいっぱい、着飾って、おしゃれして、デートする。
 20歳代、こんなに楽しい世界があるとは思いもよらなかった。愛とか恋とかの感情にこだわる、男と付き合うのに理屈を付けるのは、思いこみに過ぎなかった。性愛か恋愛か、とかつまらない議論だと思う。そういうことに後先はないのだ。
 朝の男をたぶん、満足させることができたので、女もまた満ち足りた気分で、寺町通にある喫茶店に入り、ひとりの時間が過ぎていくのを楽しんだ。この店の名前は、恋人だった男が、フランス革命にちなむとかと言っていたのを思い出した。その男が、革命に後先はない、とか話していたことも。
 なにげなく携帯のニュースを開いていると、ノーベル賞受賞者が「何かが分かったら、必ず次に新しい疑問がわく。サイエンスはゴールがない」と話している。女は、まったくその通りだと相槌を打った。性的交渉が絡んでくる男女関係にはぴったりの表現である、どこかで使えるな、と。
 ひとりになってから、今別れたばかりの男をふりかえる。冷静にトレースして品評するのだ。「貸し切り」といった、男の言葉が気になってきた。夕方会う約束のもう一人の男が、生意気に「貸し切りで」と注文してきたからだ。今日会う二人の男たちは、何かのきっかけがあって、この日曜日の逢引きの情報を共有したのかもしれない。それならピンチである。危ない女とみられてしまう。
 夕方に会う約束の男は、頭のよいのが気に入っている。「君の指は官能的やな」と言われて、「官能的ってどういうことですか」と聞き返したら、「そうやね、説明することではないけどな、説明しても」と言いよどむ。アイリッシュウイスキーを飲みながら、二人は言葉遊びを楽しんだ。「言ってくださいよ」、女がせがむと「言わせたいのか」「言わせたいのです」、女が甘えると、「性的魅力があるということやね」、女はその言葉を聞いて訓練してきた表情をして微笑んだ。自分を口説くべきでしょうと、視線を絡ませた。穏やかな男であった。
 夕方の男との約束を守るべきかどうか、女は迷う。二人が連携しているなら、手ごわい。二人が連絡を取り合うとは思いもしなかったので、これからのことが心配になってくる。丸裸になってしまう。
 朝の男は思いがけない言葉で責めてきた。こういうパターンは好みだったので受け入れることができたが、いつも会う雰囲気からはまったく想像できないことだったので、気がかりではあった。別れ際の怒った表情もかわいい。ある意味、分かりやすいタイプである。
 夕方の男はなぜか家庭のにおいがしない。小さいけれど会社経営者らしい。経営者なのに、もう一人の男とはものの見方の根本が違っていた。家庭がないから、この男は朝まで付き合えるのだろう。「貸し切り」と言われて、あとの予定を入れずに、その男と食事をして一晩を一緒に過ごすことにした。
 夕方の約束を守るべきか迷いに迷って、優柔不断になる。そのとき、啓示がひらめいた。自分をよく見せようとして、統一しようとするから、思考が分断してしまうのだ、そうではなく思考方法をダブルスタンダードに構造化すればよいのだ、と。
 別々の人格を演じ切れば、お互いに楽しめる。十分、遊ぶことができる。そう発想できるようになると、女は約束通り、会うことにした。テクニックを駆使して異なる印象を作り出せばよい。この二人が連携するなら、かえって面白いかもしれない。もっと強くなれるだろう。
 ホテルから出勤できるように、帰宅して服をもう一組、持参した。しかし、二人目との約束に遅れまいとして、あわただしい身支度となってしまった。

女がわかっている男
 大きなカバンを持ってホテルのホールに向かった。こんなカバンを持っていたら、商売女と間違われそうだ。なかに何が入っているのか、見とがめられそうで、周りの視線が気になって仕方がない。男と会ってほっとした。年の離れた恋人だと周りにアピールするように体を密着させて、腕を絡ませた。男は嬉しそうだった。
 落ち合うこのホテルは、かつて室町の大店が社運をかけて建設した瀟洒な雰囲気の建物で、女は気に入っていた。
「さきに食事しましょうか」
と男は誘う。
このゆとりがよい。セックスも、食事も、その会話の時間にも、対価がある。労働は換金されるべきものだ。女は、空腹でのセックスは大嫌いだ。充たされてから、セックスしたい。
 朝から、ひとり、付き合ったこともあり、ハイヒールの移動にも疲れていたので、男との食事時間は適当な休息時間となった。さっそく、ノーベル賞受賞者の言葉を男に紹介したら、我が意を得たりとばかり男は、生命論に盛り上げた。器用な人物だ。人間も精子、卵子の単純な細胞から進化を再現する、その過程において、処女膜や男性の不能が形成されていく、性欲がゆがむのだと、いつものように話題はセックスになってしまう。たっぷり2時間かけて名物の鉄板焼きコースを平らげた。
 最後の果物が絶品だった。その梨は初物らしいがジューシーで十分に甘い。女は梨を舌先で官能的に味わいながら、一日で二人目とのセックスを思うと気分が高揚し、子宮の奥からとろりとしみだしてくるのが分かった。男にこの体の芯の変化、その気配がさとられないかと心配した。
 部屋は上層階のセミスイート。
「いい部屋だわ」
「東山が見える部屋を予約しといたんです」
作品名:秋上がりの女 作家名:広小路博